身から出た愛はテムズのほとりからアマゾンに向かう・・・ いつか。 -5ページ目
宮城県気仙沼市。
突然ですが、車中生活されてる方が8月11日の時点で17名いるって、知ってます?
おいおいおい。
復興作業で大変でしょうけど、市民を車中生活で放って置くとは?

東日本大震災 復旧・復興宮城県民センターさんのブログ より

気仙沼市に対する車中生活者問題等に関する申入れ、というのが気仙沼市長に提出されてます。
8/18までに返事を、とのことなので、発表があるといいんだけど。

言ってる事はまともですよ。こんな差別、あってはならんでしょう。
みんな避難された人が、その人なりの辛さや悲しさ、無念さを抱えて今を生きてるんだから
皆で助け合って一つになるべきだし、そういう流れを市や国が作れって言うの。
民間だけでは限界がある。でも限界あるけど、民間は強い。

以下まとめて抜粋します。全文見たい方はアップからリンク先へ。




第1 申入れの趣旨

①気仙沼市内避難所周辺の車中生活者の実態を把握し、車中生活者を避難所、福祉避難所、仮設住宅、みなし仮設住宅に収容する等適切な対応を。

→理由
当センターの調査で、気仙沼市内の避難所の駐車場など避難所周辺における車中生活者はこれまで17人把握されていて、この人たちは認知症の高齢者を抱えている、股関節の障がい・脳梗塞を患い右半身麻痺等で避難所の床での生活が困難、ペット同伴で避難所でペットを飼うことができない等の理由でやむなく車中生活をしている。
早急に避難所周辺の車中生活者について措置をとっていただくよう要請する。


②車中生活者に対し食料支給を不当に打ち切らないように。

→理由

車中生活者に対しても食料の提供を行っていたが、避難所避難者以外の人に対して、7/10をもって食料支給を打ち切る通知を出した。
総合体育館の車中生活者(股関節に障がいがある方)は事情も聴かされずに食料の支給を一方的に打ち切られるということになった。
この方は帰る自宅(大島)はあっても被災しており、自宅に帰っても周りに食料を売る店はなく股関節障がいで歩いて買いに行くこともままならない。自宅用の車は津波で流されており、抱えている事情は人により様々。一律に食料支給を打ち切らず対応すべき。

③車中生活者に対する食料は避難所避難者に対する食料と差別することなく同等のものを支給するように。

→理由

申し出あった場合は例外的に食料支給を継続するとあり、実際そのような車中生活者には支給されているが、一日分食料として、菓子パン2個、小型パックのお茶1個、小型パックのりんごジュース1個、さんまの缶詰1個のみ。
それらはまとめて夕食時に支給されるが、その人が食料を受け取りに行く避難所では毎食それなりの食事が支給されており、これは明らかな差別的取扱い。
車中生活者も同じ人間として差別手的取扱いは許されないし、災害救助法で1日1500円の食費は保障されている。即刻このような対応は改めるべき。



④ペット同伴者も避難可能な避難所を増設するように。また、ペットを外で飼える仮設住宅を設けられたい。

→理由

ある避難所に避難している高校3年の女子高生は、猫1匹、犬1頭を避難所で飼えないため、震災後約5か月間毎日避難所脇の公園駐車場で車中泊をしている。
また大型犬を飼っている男性も同じ場所で車中生活をしている。
上記女子高生は、夜間暑くても防犯のために窓を閉め切って車の中で就寝。熱中症の危険、身体に対する危険がある。

あの津波からペットを抱えて命からがら逃げて来た人に対しペットを捨てろとは言えません。また、このような状況だからこそペットの癒し効果が必要ですし、このペットたちが被災者の心の支えになっている事を認識しなければなりません。たががペットの問題と軽視すべきではなく、これは人間の問題であるとの認識を持つべき。
このペットの問題は、6/11の「仮設住宅説明会」(菅原市長出席)の場で上記女子高生自らが車中生活をしている事を話した上で改善・要望が出された。

気仙沼中学校では教室1か所をペット同伴者のために用意するも、教室内でしか飼えず、大型犬は不可。
現在無料のペット預かりの支援を受け避難所や仮設住宅へ入っている人たちも、無料期間が終わればペットを連れ戻すしかない人たちがおり、この人たちは行き場を失うことは必至。
大至急、大型犬を含むペットを飼える避難所を増設すべき。

また、ペットは原則禁止としながら、条件付きで室内飼いのみ可とされている仮設住宅、大型犬を飼っている人も入居できるように、外でペットを飼える仮設住宅を設けるべき。
実際、仙台市若林区の七郷中央公園・荒井小学校用地にある仮設住宅では外でペットを飼うことが認められている。

8月12日

原発事故で被害を受けた福島県内の農林水産業関係者約3000人が都内をデモ行進しました。
昼下がりの猛暑の中­、みんな必死ですよ。
誰が好き好んで、この暑さの中を、牛のきぐるみ着るんですか。

原発事故で苦しんでる人たちの、生の声です。
小さな子供を抱いて参加してる親もいます。
福島の農業者から、残念なことに4人の自殺者を出しました。
農業者ではない方を含めると、ニュースにならないだけで、もっと増えているそうです。

警戒区域内に生き残っていた豚は、子豚も含めほぼ殺処分が終わりました。
鶏は餌箱に首突っ込んだたまま、何十万と言う命が餓死しました。
殺処分に同意するしかなかった農家さん。
自分が愛情いっぱいに育んできた豚を、白い服着てマスクした何人もの人達に
板で豚を囲まれ、殺処分するときの今まで聞いたことない豚の悲鳴を、約1ヶ月に渡り聞いてきました。
もうやめてくれ、出て行ってくれ、と何度も言いたかったそうです。
一生この豚の悲鳴は耳から離れないでしょう。

ある一部の農家さんと政治家さんで、国の支持した殺処分から生きてる牛を守ろうと
浪江にある牧場を【希望の牧場】とし、なんとか生かそうとする活動が4月からありました。
その浪江の牧場をエム牧場と言います。
生きてる牛を生かそうと頑張っているエム牧場の吉沢牧場長さんは、
病院の検査の結果、被爆していたそうです。
自分の家にも帰れず、避難者であり、被災者です。
でも、家畜を守ろうとずっと頑張っておられます。
4ヶ月目にしてやっと、少し動き始めたところですが、そんなことしてる間にも
殺処分は進められています。

福島の方、この暑い中、東京に来て自分達の声を聞いてほしいと頑張っています。
これ見て涙出るよ。
頑張るよ、頑張るよ、って言ってますよ。
これを聞かないで、福島の復興は何処にもない。

原発マネーに潤っていた福島。
福島の原発に電気をもらっていた東京。

でももう時代は変わる。変わる時がきたんだよ。
みんな震災の直後から助け合って生きてきたそうです。
セシウム汚染のわらを牛に与えていた問題で、
まるで加害者かのような報道をされ、誰よりも食の安全、安心の為に
尽くしてきた努力が水の泡になったと言ってますよ。

美味しい美味しいと言って食べてきた福島産の全ては、この人たちの努力のおかげだと言うことを忘れてはいけないのよ、ニッポン。
今助け合わないで、いつするの?


http://www.youtube.com/watch?v=_Pu5CCrJJbg&feature=youtu.be

もうすぐ震災から5ヶ月。

風化してるわけではないけど、実際に生活の場が被災地ではないと
テレビや新聞で見たり聞いたりする時だけで、普段はあまり現地の人の声を聞くことがないよね。

今でもほぼ毎日、誰かしらが危険区域に入り、
動物救助、家畜救助のため、またはまだそこに住んでる住民のため、足を運んでくれてる人たちがいる。
その人たちがそろって言うことは

なんて美しい場所なんだ、福島は。

広大な自然が広がり、山、田んぼ、畑に川、地平線に沈む夕日・・・
放射能が拡散してるが、目には見えない。見えるそこにはそのまま、美しい自然と生活の営み。
しかし人っ子一人いない、不気味な光景。
もったいない。

原発反対や、脱原発に、反対する人の声を聞いたり見たりする。
原発自体は否定しない。
原発があったからこそ今の日本がある。
でもそれはそれ。そこに執着する必要ない。
時は流れ時代が変わる。それに伴い、国も変えていく。普通の流れ。

原発マネーで潤っていた町、村、市。福島。それは他の原発のある地域でも同じだろう。
クリーンで安全で、何があっても絶対に大丈夫と教科書で教えてきた原発は
1000年に一度の大震災には耐え切れず、もろくも崩壊し、その驚異的な恐ろしさを見せ付けることになった。

たった1000年に一度だからいい?
そう思うなら、今もなお苦しんでる福島に行ってみろ、って言うの。
自分の住む街や村に、原発作るのかって言うの。
海に浮かべた小島に原発作ればいいと言う人、あんたがその原発で働けって言うの。
郡山のビックパレットに行って、ダンボールで仕切った小さな部屋に5ヶ月住んでみろって言うの。
食べたいもん食べれないで、必要なもの手に入らないで
いちいち他人に欲しい物を頼むような避難生活、何年間かやってみてよ。
自分の家でくつろいで、きれいなトイレで誰にも邪魔されずウンチして、
誰の目も気にせずイビキかいて寝て、自分の見たいテレビ見ながら、何が脱原発だ、と言ってる人、
福島に行って、少しでも福島人に寄り添ってみろ、って言うのよ。

戦後の日本みたいに、アメリカにハイハイ言って、言うとおりにしなくていいんだって。
私たちの日本の先祖さん、あるいはまだ生きてるおじーちゃん、おばーちゃんが
苦労してここまで日本を再建したんじゃん。
それに甘んじて生きてきたけど、ここから又、自分たちが再建するべく
原発無しで成り立つ国にするために、それに向かって知恵を出し合って働きかけていく時代だと思うのよ。

アメリカは原発国。
だから日本も原発国。
でも今は、日本には日本独自の誇るものがある。
共存していくために、世界と仲良く、世界の各国のやり方をそれなりに受け入れながら
日本の技術で、時間をかけて、この震災があったから今の素敵な日本があると言う未来を作らなければ。

小さな国だけど、日本は強い。

従兄弟に言われて始めたツイッター、自分は大してつぶやかないけど沢山の福島人のフォロワーになった。
福島人の生の声、ココに書きます。

『やはり桃は福島ですね(^-^)v他の産地(南の方)食べましたが、香り、甘味、旨味が全く違いました。僕も食べたくて福島出る前に食べてきました。全国の皆さんにおすすめできないのが辛いです。』

『福島市から長浜にきて実感してること。震災以降悩まされていた下痢が嘘のように治まった。目の下のクマが消えた。頭痛が無くなった。やはり毎日のストレスのせいだったのだろうか…それとも…。歩くことが増えたので健康的にも良いかも。』

『もうやめてと思うのは私だけだろうか。何かしたいと思っても、立ち向かってくる大自然の前で何もできない歯がゆさを感じてめげそうになる。双葉郡周辺の人で疲れていない人などいるのだろうか。緊急時の場所にいて先日早朝の地震のときに逃げられる人はどれだけいるのだろうか。政府も国も考えてほしい』

『避難先のアパートから一時自宅へ帰宅。やっぱり自分の家はいい!飯舘村の親の気持ちがやっと分かった気がする。こんなことをしながら、あとどれくらい過ごすことになるのかな。子供達との大切な時間、大切に過ごしたい。』

次回に続きます。