朝日放送ラジオ出演の後で、この日からゴールデンウィーク休暇に入った夫と待ち合わせ。

娘は今日は、まだ学校あり。

 

 

向かったのは、大阪・堂島の国立国際博物館にて開催中の
 

古代メキシコ展🇲🇽

 

 

 

 

 

 

紀元前15世紀から紀元後16世紀のスペイン侵攻まで3000年以上に渡って独自の文明を発展させてきた古代メキシコをたどる展示品、約140展。

 

 

 

 

 

写真撮影、全点可能。

というわけで、自分の忘備録も兼ねて…

 

 

 

 

オルメカ文明  Olmec

メソアメリカ最古の文明

日本は縄文時代

 

幼児の石偶、紀元前1000〜400年!!

 

 

 


展示の最初の方なのでさーっと通ってしまい、あとから調べてみました。


名古屋市博物館で2011年にオルメカ文明の展示があったそうです。

それによると・・

 

 

「オルメカ文明は、紀元前1500年頃、メキシコ湾岸地方に突然あらわれた新大陸(アメリカ大陸)でもっとも初期の古代文明です。 文明を築いたのはベーリング海峡を渡ってきたモンゴロイドの人々。 巨大の石を彫刻し、土造りのピラミッドを築く建築技術、ヒスイなどの玉石を精緻に加工する技術などをもっていました。」

 

 

 

 

 

この時代からゴムボールはあって、バスケットボールの原型になった球技があったそうです

 

 

 

ふむふむ。

 

 

 

 

 

 

テオティワカン文明 Teotihuacan 

 

メキシコ高原の古代遺跡群、世界遺産の一つであるテオティワカン
メキシコの首都メキシコシティ北東約50キロあたり
 

この文明が栄えたころ日本は弥生時代、古墳時代。日本で古墳が作られてたとき、メキシコで支配層のピラミッドが作られてたんですね。感慨深い。

 

 

太陽のピラミッド (高さ65メートル)

死のディスク  300〜550年

 

 

 

月のピラミッド (底辺150m、高さ46m)

死者の大通り(テオティワカンの中心を南北に貫くメインストリート 長さ4km、幅45m)

 

 

 

嵐の神の壁紙

 

 

 

羽毛の蛇神石彫(へびせんせきちょう)
これ、実物を現地の壁から切り取って持ってきてくださったてことですよね

博物館てのは、すごいところだ!

 

 

 

 

 

とても細かい工芸があったのですね 

芸術ってすばらしい

 

 

楽器!トランペット

後ろは、ピラミッドと地下道の絵

 

 

 

 

生贄(いけにえ)と一緒に埋葬されていた石像など…

 

この時代、神様に捧げるとはいえ、「生贄37人」とか「幼児の生贄」とかあちこちに説明が書かれてて、尖った長い針のようなもは生贄の肩に刺さっていたのもだとかそういうのばかりで、今では考えられない概念ガーン 

殺人罪ていうコンセプトがなかった時代て・・
 

 
 

 

この小座像がいちばん好きだなあと思いましたニコニコ 

 

テオティワカンは突如として滅亡したと言われていて、 一説では火事や、他部族の侵攻などが原因といわれていますが、真相はわかっていないそうです。

 

 

 

 

 

 

 

マヤ文明  Maya

日本は平城京〜平安京のころ

 

 

大都市のカラクムルやティカルのほかにも多くの小都市国家が発展

マヤ文明の人口は最大1,000万人

壮麗な建築物、石彫、石細工、土器などの作品にマヤ文化の豊かな芸術性が窺える

天体観測に基づく暦の計算や文字記録

 

 

 

土偶、土器

 

 

 

 
 
トニナ石彫
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マヤ文明のパカル王らしき頭像

 

 

 

 

今回の展示の一番の見どころ

 

パカル王の妃「赤の王妃」の柩から1994年に発見され、復元された装飾品

 
 

 

9世紀頃から中部地域のマヤの諸都市国家は次々と連鎖的に衰退していったそうです。

 

 

 

 

 

アステカ文明 Azteca

1428ごろ〜1521 の約95年間

日本は室町時代くらい

 

Wikipedia より

「アステカ人はアストランの地を出発し、狩猟などを行いながらメキシコ中央高原をさまよっていた。やがてテスココアスカポツァルコクルワカン、シャルトカン、オトンパンなどの都市国家が存在するメキシコ盆地に辿りつき、テスココ湖湖畔に定住した。1325(または1345)年、石の上に生えたサボテンに鷲がとまっていることを見たメシカ族は、これを町を建設するべき場所を示すものとしてテスココ湖の小島に都市・テノチティトランを築いた。」

 

 

 

鷲の戦士像

15世紀半ば

 

 

 

この鷹の絵が、今のメキシコの国旗にも使われています。
ヘビをくわえたワシがサボテンにとまった場所に都を築いたという伝説に由来。
 

 

 

 

そして、1521年にスペイン人による征服、

植民地時代に…

 

 

先程のWikipedia より

「その後スペインはアステカ帝国住民から金銀財宝を略奪し徹底的に首都・テノチティトランを破壊しつくして、遺構の上に植民地ヌエバ・エスパーニャの首都(メキシコシティ)を建設した。多くの人々が旧大陸から伝わった疫病に感染して、そのため地域の人口が激減した(但し、当時の検視記録や医療記録からみて、もともと現地にあった出血熱のような疫病であるとも言われている)。

その犠牲者は征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では、先住民の人口は100万程度になっていた。スペイン人は暴虐の限りを尽くしたうえに、疫病により免疫のない先住民は短期間のうちに激減した[28]。」

 

 

ガーン ガーン ガーン

 

 

 

 

 

 

 

 

圧巻の展示でした!行ってよかった。

夫の感想
「日本人がほかの文化に関心を持って見てるのが興味深かった」


5月6日まで開催。

 

 

いよいよ、日本の歴史をたどりに博物館に行かねばならないと思いました。

 

 

 Songbird TAeKO

 深尾多恵子