世界遺産だらけの古都・京都で、二条城(築城 1601年)だ、大覚寺(創建876年)だ、東寺(創建796年)だ、清水寺(創建778年)だと、ありがたく見て周っているけれど。

 

 

 

実は、実家の滋賀県近江八幡市で、小さい頃からちょっしゅう行っている

 

日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)通称 八幡神社(はちまんじんじゃ) 

 

 

創建131年。

 

 

もっともっと遡るということを、Wikipediaを読んでやっと知りました。

 

 

日牟禮八幡宮のホームページでも131年創建との説明。

 

 

「第十三代 成務天皇が高穴穂の宮に即位された折(西暦一三一年)、武内宿禰(たけうちのすくね)に命じて当地に地主神である大嶋大神を祀られたのが、鎮座の始めとされています」

 

成務天皇は『日本書紀』での名は稚足彦天皇で、日本で初めて行政区画を定めたとされているそうです。


八幡神社のお堀は時代劇のロケで使われるほどに風情があって有名になりましたが、

神社そのものにそんなに由緒があったとは。

 

神話なのか実話なのか?そのあたり私にはよくわかりませんが、古代ローマの遺跡として観光地になっているスペインのタラゴナ(Tarragona)で見てきた円形劇場が1世紀建造で、そのくらい歴史があるのだと誇りに思ってよい近江八幡。

 

知らないまま一生過ごさなくてよかった・・・!!

 

 

竹生島のお寺や神社よりも古い、八幡神社。 ガーン 

 

 

 

 

松明祭

 

 

 

 

「松明祭り」(たいまつまつり) は千数百年の歴史を誇り、八幡開町以前の旧村落(市井・北之荘・鷹飼・大林・中村・宇都呂・土田・多賀・船木・小船木・大房・南津田)から太鼓が集結して、毎年4月14、15に日牟禮八幡宮に奉納され、ヨシと菜種がらを材料に作られた巨大な松明が境内で燃やされます。

 

 

 

 

「西暦275年に近江の地に行幸された応神天皇が、現在の日牟禮八幡宮へ参詣される際に、琵琶湖岸に位置する南津田7軒の家の者が、ヨシで松明を作り、火を灯して道案内をしたのが始まりではないかと伝えられています。」

 

 

 

とのこと!!

 

松明祭に先駆けて、「小祭」といわれる各町内のお祭りが先にあって、実家の町内では4月7日が小祭。

 

 

今年の我が実家の町内の「小祭」での太鼓の奉納

 

 

 

 

 松明、ひとつ目に点火!

 

 

 

 二つ目に点火!

 
 
そして、最後に境内のど真ん中にある松明に点火されました。
 

 

 

 

太鼓は、担がれていない間は誰が叩いてもよく、町内の人が次々とバチを手に取ります。

 

深尾父の太鼓さばき!

 

 

 

 

 

 

左義長祭

 

近江八幡のお祭りとしては、いまとなっては「左義長祭り」(さぎちょうまつり)のほうが派手で有名となりました。3月14・15日に近い土・日曜日の開催。

 

 

 

「織田信長が城を築いた安土でも毎年城下で左義長祭が執り行われていたようで、派手好きで知られた信長も華美な衣装を身に纏い町衆たちに交じって踊り出たと『信長公記』に記されています。

 織田信長亡きあと八幡山に城を築き八幡城下町を開町した豊臣秀次は、安土の民を招き入れて城下に住まわしました。
安土から移り住んだ町衆たちは、秀次への感謝と亡き信長公の遺徳を偲び、古来よりこの地の氏神様であった日牟禮八幡宮に左義長を奉納することを願い出て今に至ります。」

 

 

豊臣秀次(1568−1595年、豊臣秀吉のお姉さんの長男)の時代に始まったお祭りとのことなので、左義長祭の歴史は400年余り。d

 

派手なケンカ祭で、担ぎ手は女装(着物姿に化粧)した酔っ払い男性たち。町内対抗のケンカに使用される山車は、毎年各町内が夜な夜な寄り合って数ヶ月かかって作る、干支にちなんだ芸術作品。材料は干物とか豆とか。それが祭の最後に境内で燃やされ、燃え盛る火の周りで担ぎ手たちが日本酒を飲みながら大声で歌い踊り回るという・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まじ、びっくり近江八幡。

 

 

 

 

 

 

 Songbird TAeKO

 深尾多恵子