カナダが生んだ世界的ジャズピアニスト、オスカー・ピーターソンの生涯を綴った映画『オスカー・ピーターソン』を京都シネマで観てきました。
 
 
映画は年に数本しか観ないし、今週土曜日に大事な公演があるので映画を観ている場合ではないのだけど、これ今日で終わっちゃうので意を決して行ってきました!(近いし!)
 
 
 
Oscar Peterson
 
「カナダにも黒人がいるなんて当時は知らなかった。」
そんなジョークのようで本当の経験を、オスカー・ピーターソンのグラミー賞受賞の際にコメンテーターとして飛ばすクインシー・ジョーンズを始め、ビリー・ジョエル、ラムジー・ルイス、ジョン・バティステ、ジャズ歴史家などのコメントもたくさん収録したドキュメンタリー。
 
 
モントリオール生まれ、お父さんは独学でオルガンを学び、子供たちを音楽学校へ。学校ではクラシックしか学べないので、ジャズは独学。
 
 
ジャズを志し始めた子供時代、アート・テイタム Art Tatumのレコードを聞いて「二人で弾いてる」と思ったら一人の演奏だと知り、「自分には絶対無理だ」と思って二ヶ月ピアノにさわらなかったそうです。
 
そこから練習をかさね、頭角を表し、遠くニューヨークのジャズ界でも噂になるほどに。13歳でカウント・ベイシー楽団からオファーを受けるも、お父さんに「早すぎる」と言われて泣く泣く断ったそうです。「大麻を吸うのは21歳からでいい!」という父の理由・・・ごもっとも。
 
 
17歳のときにプロデューサーのノーマン・グランツ Norman Grants 
に招かれて、ニューヨークのカーネギー・ホールのジャズコンサートを聴きにいったら、その場で「弾け」と言われて、レイ・ブラウンとともに演奏、そして観衆の度肝をぬき、華々しいニューヨーク・デビュー。
 
スイングと喜びに溢れる超絶技巧のピアノさばきで、あっという間に大スターとなり、 世界中をツアー。日本にも何度も。
 
 
とにかく誰も観たことのないスピードとテクニック。
それをもって、心のなかにある喜びを表すピアノ。
世界中の観衆を惹き付けました。
 
 
ナット・キング・コールの影響が相当大きいとのこと。ふたりとも「JOY=喜び」が根幹にある音楽家です。
「歌がうまいのでピアノの才能が隠されてしまったけれど、ナット・キング・コールが何を弾いて何を弾かないかということから大きく学んだ」
といった内容のご本人のコメントもありました。
 
 
 
長いツアー生活で、家庭との両立がとれず、3度の離婚。
4度目の結婚のときには、奥さんと娘さんは常にツアーに同行されたそうです。そして2007年にカナダの自宅にてオスカーの最後を看取られました。
"I want to be respected at home."  と、家庭と仕事を両立することに尽くしたそうです。
 
 
 

人種差別が激しかった1920〜1940年代にアメリカ南部をツアーしたときのエピソードも含まれていました。演奏先のホテルに泊まれない、コンサートホールの手洗いを使えない、到着した街で一番大きい教会の真正面に、黒人リンチの人形が吊り下がっている・・・
 
このころ、オスカー・ピーターソンは Hymn to Freedom という曲を作曲しました。のちにハリエット・ハミルトンHarriette Hamiltonにより歌詞がつけられました。
この曲はオバマ大統領の就任式で合唱団によって歌われたそうです。
大事な宿題ができました。
 
 
 
 
 
ジャズは、即興で作曲する芸術。
心に残る、勉強になるコメントが映画のなかにたくさんありました。
観てよかった。
 
 
"The body controls current moment, 
 while the mind controls a few steps ahead."

 体は今の瞬間を操り、
 頭では数歩先を操る
 
 
オスカー・ピーターソン、来年は生誕100周年。
世界中のジャズコミュニティでたくさん特別プログラムが計画されることでしょう。
 
 
 
自分への宿題
Hymn to Freedom
Sweet Lorraine
Orange Colored Sky
 
 
 Songbird TAeKO
 深尾多恵子