須藤薫さんを偲んで(1)から
そして、
15時20分、朝日デジタルに訃報(速報)が。
須藤薫さん(すどう・かおる=歌手)が3日死去、58歳。葬儀の日程は未定。
1979年、「やさしい都会」でデビュー。アメリカンポップスを基調にした作品で人気を集めた。代表曲に「あなただけ I LOVE YOU」「涙のステップ」など。杉真理さんとのユニットでも活動していた。
でも訃報が流れてよかった。
もし無かったら、ネットの書き込みだけだったら、
亡くなったことを現実として受け止められない。
ご家族の意向で正式な発表があるまで待つようにとあったので、
静かにしていたけど、瞬く間にそのニュースはネット上を駆け巡った。
ツイートやブログで、みんな薫ちゃんの思い出をつぶやいていた。
正直にな所、ここまでたくさんの人たちが悲しむとは思っていなかった。
ツイートやブログを折に触れて検索するけど、
一部のコアなファンの投稿がほとんどだったから。
それだけに、みんなのあついツィート感動したな。
(ちょっと不謹慎ですが。
亡くなってしまったのは事実でどうしようもないのであれば、
たくさんのファンに惜しまれることが、愛されていた証なのだから。
愛されているにも関わらず、それが残念ながらレコードやCDの枚数には現れなかったし)
朝3時頃までずっとツイッターやブログを検索してはメッセージを読んでいた。
【3月4日】
朝日新聞を読む。
「朝刊にお悔やみの記事。
どれだけその歌に癒され励まされ慰められ
人生をいっぱいいっぱい楽しいものにしてくれたか。
僕の青春のずっとそばにいた須藤薫さん、
今まで素敵な歌たちを本当にありがとう。
これからも僕は楽しく生きていきます。
あなたの残したたくさんのそんな素敵な歌たちとともに。」
「ちょとだけ涙がでました。本当ですちょっとだけです…
泣いてなんていられないので、面接に出かける準備します。
その前に大切なひと仕事をしてから。須藤薫ちゃんの掲示板開けてきます。」
掲示板、今は薫ちゃんへのメッセージを募っているけど、
正式な発表があるまで、一時的に投稿できないようにしていた。
一番家族の方が目に触れそうだったし。
けれど、閉じている間だけでも5000人くらいここを訪れてくれた。
【3月5日】
「今日面接に向かう電車の中で、
ツイッターや掲示板で須藤薫ちゃんへの追悼のメッセージを
少し読んだだけで涙で読めなくなったのはこの僕です。
だって、本当にみんなに愛されていたのが伝わってきたから。」
【3月7日】
この日は、杉真理さん出演DJのアフタヌーン・パラダイス。
ほぼ薫ちゃんの追悼の内容。
杉さんもワンダフルムーンから、ほぼ年代に従って振り返りつつ、薫ちゃんのエピソード。
どれも、薫ちゃんらしいエピソード。
「今、FM世田谷で、杉真理さんが須藤薫さんの思い出を語ってくれています。楽しいエピソードばっかり。PCやスマホで是非。ユーミンは薫ちゃんのことを音がするほどぶっ飛んでいる人と言ったとか。」
「杉真理さんからたくさんの須藤薫さんエピソードが。「先日ミュージシャン仲間で薫ちゃんに会いに行った。薫ちゃんが寝ている横でエピソードを語ると楽しい話しばかりで、泣き笑いになちゃった。薫ちゃんはハッピーオーラ全開で湿っぽいのは嫌いだから」」
「杉さんからワンダフルムーン (ユーミン・杉真理・須藤薫)の思い出を。振付けがつくんだけど、杉さん手と足が一緒にでたりの変な振りになっていたけど、薫ちゃんはもっと振り付けがひ どかった(笑)。最終日はユーミンも薫ちゃんも感動して涙涙だったとか。ユーミンは杉さんも泣く様圧力をw」
「須藤薫さんの思い出1冊の本になるくらいのエピソードがある。と杉さん 一緒のラジオでは放送禁止用語をそれと知らず連発していたとか。 薫ちゃんビールの銘柄は何が好きの質問に? 薫ちゃんの答えは 「生ビール!」」
「そうなんだよね、歌のうまい女性ボーカルの短命。岡田由希子さん、志賀真理子さん、松原みきさん、本田美奈子さん、そして今回の。。。須藤薫さん。」
「杉真理さんに大瀧詠一師匠から長いメールが来たそうだ。大瀧さんにとっても大事なキーパーソン。元々須藤薫さんに 書いた「君は天然色」や、「あなただけI Love You」について語られていたそうだ。結婚して相馬姓になった薫ちゃんの「相馬っちラブユー」の歌詞に気づいた杉さん。本当だ。」
「須藤薫さん「Franky お願い」について、竹内まりやさんがこの曲がお気に入りと杉真理さんに語っていたそうだ。」
「杉真理さん「逆光線で歌う薫ちゃんを横目で見ると、女神みたいだった。僕も須藤薫ちゃんの歌をもう聴けないのが寂しい。」 そして「I wish」が流れて番組が終わる。」
「須藤薫さんの本名は、相馬薫さん。今日の杉さんの放送にあったように、あなただけI Love Youが相馬っちLove Youなら、僕は薫さんにサンキュー相馬っちだ(笑)」
「須藤薫さんのファーストアルバムから5thアルバムの松任谷正隆さんアレンジ曲の数々は、奥様ユーミンの曲のアレンジを凌駕するものもたくさんあると思う。そして勢い余ってどさくさに混じってマンタさん薫ちゃんには作曲までしてたし(笑)」
「今日の杉真理さんのラジオで話題の大瀧詠一師匠提供「あなただけI Love You」のエピソード、須藤薫さんに提供するはずたった「君は天然色」のエピソードもココに。松任谷正隆、ユーミン、川端薫Dも登場。ロンバケの始まりは須藤薫さんだった
http://www2.odn.ne.jp/~cae03920/chefs-special.htm#ootaki
」
ラジオで一部紹介していただきましたが、僕の薫ちゃんへの追悼メールです。
「杉さん、葛野さん、こんにちは。
薫さんと鉄道のエピソードというと、
キャンペーンで薫さんと杉さんが新幹線で移動する時、
遠足の前日のようドキドキして興奮して眠れなかったと、
薫さんがMCでしゃべっていたのが思い出されます。
それにしても、薫さんの突然の訃報は本当に驚きました。
僕が初めて須藤薫さんの歌を聴いたのは、
当時CBSソニーのモニタールームでした。
Love againを聴いて、その1曲で薫さんの虜でした。
それから32年、僕の人生のそばにずっと薫さんの歌がありました。
好きな思いが強すぎて、もう活動を知っていないと知りながら、
Webでファンの応援サイトをつくったりして。
それが偶然もう一度薫さんの歌を世に中で広めたいと熱意を持っていた若杉プロデューサーの目に留まって。
横浜のランドマークでもう聴くことがないと思っていた薫さんの歌を、
もう一度聴けたのが昨日のことのように思い出されます。
そして、Webサイトを作ったときは、新譜が発売されるなんて夢でしかなかったのに、
気づいたら杉さんとのユニットで「ロマンティック天国」が発売されて。
それ以来、観客としてライブに足を運ぶたび、道端でも、
僕を見つけると薫さんからお声をかけて頂いていました。
本当に気さくな方でした。
昨年9月22日。
薫さんがもう一度歌い始めてからはじめての、
「須藤薫」ソロ名義でのライブ。
今思うと、須藤薫さんのデビューから新譜「恋愛同盟」までの歌の人生をしめくくる素晴らしいラストライブだったと思います。
もう生でその歌声を聴くことはできませんが、
薫さんの歌はこれからも僕の人生そばにあると思います。
大切なMy Favorite Songs。
リクエストはMy Favorite Songsをお願いします。」
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