こと切れる店、長く愛される店(後半の記述) | The world of imagination

こと切れる店、長く愛される店(後半の記述)

梅雨の始まりの週の日曜の昼に、ホテルのバーへ。外資系ホテルのバーは昼からやってるのがいい。

生ビールの光の反映がきれい。

ワインリスト見ながら、、、財布に無理しない程度の良いワインをと思い、最初、シャルロパン・パリゾのつもりで指さしたワイン持ってきてもらったら、

ソムリエールさん「同族の同じマルサネが同年で2種ございますが、念のため持ってきてみました」

と下記が。

シャルロパン・ティッシェに変えました~!(^^)/ ありがたいご配慮。

で、抜栓。18年だけど透明感あって重くはなく、梅鉄で日曜の昼にとてもいい。

とにかく芋。。

このブログにはカクテルはほとんど出てきませんが、蒸し暑かったので、モヒートを。

僕はモヒートの飲み方を去年2月まで知らず、以前ここで頼んで、氷が溶けてないそのままで液体をさっと飲み干してしまった。

去年2月に日本橋のマンダリンオリエンタルのバーで、溶かしながら飲むことをバーテンダーさんから教えてもらって。。。

こちらでも、そうした。美味かった。

 

タコス。やさいたっぷり。

色々とバーテンダーさんとおしゃべりをしながら。一階のレストランから(定期で行ってるホテル鮨のある階)、日本酒の会来てください~と伝達があったとのことですが、楽しい伝達ですが平日なので無理でした。。。くうぅ~~

しかしレギュラーメニューの一種類は、のバイ・ザ・グラス・サケで、オーダー。

日曜の昼からこの絵はいい。。。

長崎和牛のハンバーガー!

ジローさんで〆。まあ、こういう楽しみも、現役の内に。。。

先日の3連休の海の日も、また昼から行ってしまった。それはまた別途記録。

 

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同じ時期の和。

オオモンハタだった気がする。。記録ちゃんと、とっとかないと。。。

真鯛。

渡り蟹の内子添え!!!こりゃ旨いな!

ええわ~~。

本カツオの藁炙り。

平戸の瓶赤うに。このあとウニが暴騰します!!ここで赤ウニ食えてよかった。。

里芋の皮揚げ。芋好き。

とうもろこしとソラマメ素揚げの一合炊き。

季節~。

それと、アマダイのうろこ焼きで焼き魚定食と化して。

なめこ味噌汁と。

この後、既に、また行っております~~。

 

  ★

 

後半の記述は、思い出の記です。

 

最近、今住んでいる県で、

以前行っていたガストロノミーが、私が人間関係失敗で出禁になってから2年後の去年末で開業22年で自主閉業したり、

一回も行ったことなかったけどインスタでずっと推移を追っていた勘違いやとわれフレンチが開業1年で廃業したりというのを見て、

 

20年前の、前住んでいた地区で、名古屋市とその西隣の市の、全く違った運命をたどった2軒の店の歴史を、思い出していた。

 

  ★

 

まず、こときれたお店の方を。

 

名古屋市の西隣の市にあったトラットリアは、僕が転職でお別れをした翌年、経営の限界で廃業なさった。

その13年前にこの土地に新開発ラインが出来て本社から大量転勤を命じられて行った際に見つけて以来、ずっと気に行って、毎月行っていた。

ただ、素人の私から見ても経営には向いてない方で、ビジネスホテルの社長から店舗経営任されてつぶしてしまっていた。

更にその数年後、お店を2倍に広げて同じ市内で移転された。シェフズテーブルと称する半個室はすぐに物置になった。

カレーのイベントもやったが二回目は閑古鳥になった。寂しいお店の中で盛り上げようと僕はカレー大盛二杯食って腹パンになった。

当初の常連(ジャイエとか飲ませてくれた方など)は、少なくともお二人、店に来なくなった。別の店で会った際に聞いたところ、シェフが客商売的に人間関係を上手く作れないことがよく分かった。

大きくしたお店も徐々にお客が来なくなりある日僕に電話がかかった。

食事券を買ってくれないかと。

経営が自転車操業になっているのは明らかで、私はその足ですぐお店に行って、

2万円分買った。

私はその少し後、2004年に転職でこの地を去り、お別れのパーティーもこの店で行わせていただいた。

翌年、廃業された。共通の知り合いに、メッセージを託して読んでもらった。

食事券は勿論、使うことなく寄付となったが、もともと、戻ってくることはないだろうとは、わかっていた。

今、僕の手元にはシェフがお別れの際にくれたソムリナイフがあるが、彼が今も元気であることを祈る。

 

  ★

 

ながく愛される店の方。

 

上と同じく1994年に中京にきて、名古屋のお店を探索していたが、当時はネットが無く、ケリーというな名古屋タウン誌だけが頼りで、そこに掲載されたビストロに、転職まで、ずっと通った。

シェフは渡仏より家族を選んだ方で、当時の限界の中での努力をおしまい方で、また、料理も落ち着いた内容でお値打ちさを維持して、栄地区での人気ビストロとなった。

ぼくは、フランスワインの上級酒はほぼこちらで飲んでいる。

僕が転職した翌年、今の地にお店を移転された。

転職後も、一度、この店に再訪するためだけに、名古屋にも行っている。

今朝も、食べログ見ると、好意的なコメントにあふれ、無理のない気持ちの良いビストロとして愛され続けている。

僕が去る2004年頃に、一番下のお子さんも幼稚園くらいだったから、今は全員独立しているだろう。

おそらく、いま時点で開業30年超えていると思う。すごいことだ。

今、私は引退しようとしており、再訪してみようかとも、思ったりしている。

 

 

 

この2つの事例の差は何なのかと思う。この後に色々説を書いたが、消した。憶測は事実には勝てない。

 

私は精神的に不安定な者だ。心配性で、神経質で、石橋を叩いて渡ればよいのだが叩いて壊しそうになる。引退までの1年5か月も無事でなかったどうしようと心配している。

それでも、前に進むしかない。思い出が勇気付けてくれる。

 

人生は退屈ではない。すべての出会いに感謝する。

 

 

 

 

 

 

今日は、行くお店の長く働いてくださった方が卒業されるので、お土産をお渡ししよう。