SE1-->SE3での撮像変化 | The world of imagination

SE1-->SE3での撮像変化

私は家電機器に意思がないので、壊れるなりサービス終了なりしそうになってからしかお金をかけない。

スマホは7年?前に初めてガラケーから変えてi-Phone-SE1にしたが、そこから7年も経ってやっと二台目。

だから撮影のイノベーション効果は気にしてなかったのだが、前回の鮨でもくっきり感に恐れ入ったが、今回のダウンライトの店では効果てきめんであった。

従来このお店での撮影では、非常にライトを落としているので、全体にバックグラウンドノイズが多かったのだが、この機種の素子では、十分なダイナミックレンジがあり、全く問題ない。まあ、意思はないけど更新してよかった。

と、言うわけでボトルもくっきり写せるが、この日のボトルワインは、お値打ち作り手で、

ブスドール、

サントネイ1級、クロ・タヴァンヌ。シャサーニュ南端に隣接した畑で得したみたいな。

しかも11年熟成で、ちょうどよい開き方していてよかった!味わいは全く野暮ったさはなく、透明感がまるでニュイの村名並みに感じられるエレガントさでよかった。

しかしもう、、、このサントネイ村や、コートドール南端(の県境を越えた)のマランジュj村でさえ、、、値段は厳しくなりつつありますね。。

 

シャルキュトリー。ここでもうナイフはラギオールでうれしい。撮像もいい。

オート・コート・ド・ボーヌの白のグラス。これいいね。

ラザニア!このプレゼンテーションも好き。あ~うま~。

エミリア・ロマーニャのピノグリージオのグラスで。

うまかった~

で、カルネでは、むしろ、ラギオールからノリタケに。(前のカメラならこれ、映らないね)

煮込みほっこり~

ゆるゆる愉しみます。

で、終盤は、そろそろ、さすがになくなってしまいそうな、80年台に作られたデュジャックのマールを。。

フロマッジオと共に。まだうまく焦点を当てられてない(私の目より、もはや素子の方が感度が良いため)

次に行くときには、もう、無いかなぁ。あったらまた飲みたい。

私がこっちの県に来てから20年が経ったが、結局この店以外にこのレベルのワイン群を料理と共に出すワインバーは他にない。頑張っていただきたい。GWにまた行こう。

 

  ★

 

和の店の方。3月。

 

突き出しがにゃんと真子の出汁漬けに若筍。うめえぇぇぇ~~

縁側が立派~!

その縁側も含んでの、ひらめ。

ああ。。。ねっとりコリコリうめぇ。

いわし!各種薬味と共にとろけるような。。こういう、良質ないわしのも、高級扱いになっていくんだろうな。。

突き出しにも入ってた筍を小鉢でも所望。

SAKEを、

よこわ。長崎のような、制限付きでの漁業をしている場所だけでの水揚げ。このくらいのあつさの切り付けが、口の中での咀嚼にもエレガントですな。

いちわ海老。ぷりぷりで久々。

対馬穴子炙り。

sake.

里いも揚げ。

炭水化物つながり!

それを、最小限の〆のしめ鯖と共に食らう喜び!

しかもその際の味噌汁はさっきのうちわ海老のアラからの出汁も入って!

こちらも、GWまた行きます~(間にすでに今月行ってるけど)。

 

  ★

 

以下は、自分が今この年の春に何を感じたかの自分用の記録なので、テキトーに流してください。

1:

日経平均が下がり始めた。テレ東ビズとか見ていると、40000円付けた頃コーフンしたマネックス証券の方が、企業業績は好調だからバルブではないと言っているが、

実質賃金は株高・円安の2年間ずっとマイナスであり、企業の存在目的というべき「働いてそのリターンで国民が生活できるを達成する」業績に達してないのだから、

好調と判断できる根拠がない、が事実で、ゆえにバブルだ、と認識するのが理にかなった現実理解だと私は、解した。

2:

・TVの一般人へのインタビューを顔出しして非難を浴びているが、顔を写さないと言う約束は確認できなかった、と、局は公知した。
・全国の会社で、入社前の約束と違うからやめたという新入社員は昔も今もあとをたたない。


こういうのを見るとき、これは、卑怯なのではなく、現場の能力が低すぎて単純に仕事のレベルが低い故の可能性がある、と、最近とみによく感じる。
私も、10年確定個人年金を5年で受給するのは問題ないか?現場の保険外交員に訊くと、問題ないと即答されたが、念のため本社の質問サイトに訊くと、不可、だった。
 

日本人のサービス周りの仕事は、シンプルに、能力が低くなった。のだろう。昔からかもしれないが昔は誰も声を上げなかったら情報がなく、少なくともいえるのは、とにかく、今は能力低いのだろう。
日本ではサービスを実は評価をしないしお金も払わないから没落は果てしないということなのだろう。

 

  ★

 

時系列を飛んで、今時な本の記録もしておくのであった。。。

 

今週、博多の丸善でニャンと、今流行りのマルクス・ガブリエル(ボン大学教授)の下記が翻訳出ていたので買ってしまった。家計簿の予定外。

 

トランゼンレンタール・オントロギーなんて内容に関する書物が、21世紀に書かれるとは思ってなかったwwwww

そういった、ハイデガー的にいうところの、アレ-テイア/真理の開けとしての、オン/存在の探求をすること自体が、

アドルノの言う、虐殺の後で詩を書くことは野蛮である、という謂いで吹き飛んで、それこそナチ思考の残照を「黒ノート」で疑えなくなったハイデガーで終わってしまったと思っていたのですが、まあ、試みを止めないのはありがたい。。。

(収容所を生き延びたパウル・ツェラーンが戦後も詩を書き続けたように。。。最後はセーヌ川に入水しましたが。。)

正味、我々の時代の洞察は、たとえばアガンペンの、プラトンにおける「ただ生きているだけ」と「生きる流儀」との差異を論じた、ビオスとゾーエーの分離といった政治哲学のレベルでの論考の方が、今の時代に似つかわしい気はするので、

(下記はアガンペン)

超越論的存在論の没落は仕方ない気はしていたけれども、そういう時代だからこそ、すべてが失われた後の、存在の(というか世界への真理の開けの)、芯、のようなものにたどり着きたいという気持ちはあって、こういう本は、引き続き、不安感情を持ち続けながらコツコツ生きていく人々の中の一部の人に読まれていくのだろう。

 

ただ、まだ、買った日の博多からの帰りの列車の中で長い序章を読み始めた状態ですが。。。

 

 

 

 

今日は、近所のイタリアンのインスタに白甘鯛が映っていたので、家計簿を変更して、急遽訪問。