諸考察 | The world of imagination

諸考察

後半は床屋談義なので、適当にスルーしてください。。。前半もかっこ悪いですが。

 

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ここ1,2年の食事の経緯を見ていると、相対的に寿司や和食に行くと飲み過ぎになる確率が高めであることに気づいた。

せっかく優れたものをいただきに来ているのに、終盤、ちょっと飲みすぎ。

 

理由がすぐに分かった。フレンチ、イタリアンでは私は必ず一本オーダーして、液面が下がっていくその推移で、自分が今どういう飲み状態であるかをいつも測っていたからだ。

つまり、追加のグラスワインのオーダーは、水位1/2まで。

水位1/3になったらミネラルウォーターを頼んでワインより水を多く飲む、

そしてメインディッシュの最後の一口で最後の一液を飲んでワインはおしまい。

そうやって制御している自分に気づいた。

 

基本的に一杯づつ瓶から注いでもらう日本酒の店では、この制御が効かない。

たまにワインおいている店でもたいていは数種類おいているだけで口頭で例が告げられるだけなので、

一旦オーダーした後で実はこんなのもありますと言われてオーダーしすぎたり。

僕は箸も真っ当に持てないので(左利きだが右手で矯正された--但し上手くいかなかった--世代。しかし大人になったらそんなことは言い訳にもならぬ)、

こういう発見をすると改めて、

やはり和からは足を洗うべきかなぁ、、、とか思ってしまう。

ま、洗えないんだけど。。。しょぼーんとして頻度は下がるよね。

この日はペース早かった。しかしだ。そういうことを正面から見るためにも記事にするのだ。別にかっこつけるために書いてるんじゃないのだから!

 

二番手さんから、「いつも熊本では(食事は)ウチだけですか?」と聞かれたので「そうですよ」と答えると、「良いイタリアンあるんですよ、パトモスさんあらきっと気に入られると思います」と、教えてくれた。

 

ありがたいことデス。

 

リエット風の白子と出汁のジュレって最高。

ここから、にぎり。

 

みずいか。いつもの、とろける仕上げ。

いしがき鯛。

カマス。

アジ。いつもうまい。

両側くっきり包み込まれてなくて狼狽。まあ、、経験値少ないので言葉にはしない。

えーとこれは。。

青柳。むっちゃしみじみ旨かった。

カツオ。この時期にこんなに旨く出来るとは毎度びっくり。

マグロの脳天の熟成。いつもながら味わい深い(旨みがすごい)。握り具合のたたずまいも最も美しい。

車エビ。いつもながら美しい(完全に地上目線で真横から移したいがすぐ食べないと)

前回(年末)から登場のウニ二種(この地の赤と北のばふん)。味わい複雑~。

 

うーん、ワイン的な流れだと、この段階では、もう、オーダーはしないはずの私。うまうま~とかいって飲んでいたのを覚えている。あかんな~。

とこぶしとその肝のリゾット。以前は巨大なクロアワビだったのですが、店の名声が上がった最近二回、あえて?のとこぶし。

意図を聞きたいけれど経験値踏まないとあまりべらべらしゃべるのもね。。。

あかん。最後の二杯は飲みすぎ。旨かったのは舌に覚えているけどあかんな~。

玉は撮影し損ねているし。。。(アナゴは無しでした<--ホントか!!??<--貫数から行くと正しそうだが。。本当か!!??)

 

いつもどおり素晴らしい時間でした。が、次回、、、行ってもよいのかなぁ~。今度行けたなら元おとなしくしますので~。(単に、予約とれない可能性も大)

 

 

 

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以下は。。。床屋談義なので、、、適宜、スルーください。。。

 

 

 

通常私は時事ネタは書かないようにしているのですが、心に深く感じたことは、、、このブログはフリーな日記なので、それは、書いておきたいのだ。

 

上の命令をそのまま丸呑みして倫理放棄して暴力を起こしたスポ-ツの件を見ていて、

当初、

ナチでジェノサイドを毎日実行していた人々は、「良き市民」「優しい子供思いの親」「上司の命令を忠実に実行しただけ」の人々であったことを、思い出しました。

 

ハンナ・アーレントの言う、「悪の凡庸さ」の件です。。。(*1)

 

悪は、意志を放棄したところに起こるのであって、別に悪魔の仕業ではないと。

良き市民が良心を捨てて粛々と行うから恐るべき巨大な悪になるのだと。

それが、別に生死のかかったわけでもない平和日本で起こったことで、、他人ごとではないと。私もまた、他人ごとではないと。。。。

 

でも今日、当該選手の凛とした謝罪会見を見て、また違う気持ちを覚えました。。。

 

この言葉。。。(*2)

 

かくされた悪を注意深くこばむこと

 

 

彼は、一旦、悪を拒めなかったけれども、全てをぬぎすて自分の言葉で語ったことで、隠蔽という最後の一線を、拒むことが、できた。

 

果たして僕が、同じ立場に立った時、拒むという事が、出来るであろうか?

 

そんなことを、思いました。

 

 

 

もうひとつ、書きたいことがあったけれども、それはまた。

 

 

さて、まだまだ今週も中盤。無理せず頑張ろう。

 

典拠:

*1:「イェルサレムのアイヒマン~悪の凡庸さについて」みすず書房、新装3刷題名

*2::「谷川俊太郎詩集 続」思潮社、1987年5刷、Page-695"生きる"より