SAYONARA | The world of imagination

SAYONARA

タイトルは、ブログに対してではないです。僕の生活の中での、いくつかのささやかな、しかし象徴的な、別れに、ついてです。


           The world of imagination
3月が終ります。この半年は、様々なことが、「終ってしまった」季節でした。


そしてその最後の扉が閉じる儀式を、いま、生活の中でやっているような気が、します。特に。この一週間。


いろいろあるけれど、ここに、書ける範囲で。


  ★


1■土曜日。JRの車両の中で、博多の美食専門の雑誌「epi」の最新号を見ていた。この雑誌は、僕がここに転職してきた5年前の面接の時に、九州ではじめて買った雑誌だった。

僕が転職する前の年に創刊されていて、自分の新しい生活と同じ成長の歩みをとっていた気がした。すぐに、気に入って、毎号買っていた。

実際にこの本で色んなお店を知った。特に初期は、特に「樋口」という、古いアパートを改造した非常に個性的なイタリアンをこの本で知って、まだ成長途上だったこの店に、カウンターが改装で無くなるまで(僕はたいてい独りなので、カウンターがないと厳しい)、なんどか行ったものだった。

今月発売の、この号で、「epi」があと1号で実質廃刊(編集者も変わって年三回のムックになる。全く別の雑誌ということだ)と知った。

九州を全然知らなかった僕に、これまで、たくさんの情報を、有難う。


2■火曜日。土曜日のパーティーで二年ぶりに偶然再会した女性に、私行きつけのイタリアンが今週一杯で終ると教えられた。最近業態を変えていて、なかなか行けなかった、そんな矢先だった。僕がここに来る1,2年前に開店して店だったから、やはり、僕の歩みとかぶった気がしていた。

そこで、最終営業日のパーティーとは別に、この夜、シェフとじっくり話をするため、訪れた。意図はわかった。彼なりの、新しい生活のための、前向きな決断だったし、生活は大丈夫とのコトだった。

あー、もう無条件で受け入れられるイタリアンなくなっちゃったなー。

トローフィエとかの手打ちパスタや、本物のカルボナーラとか、ローズマリーを利かした素敵な料理とか、ミラノのリストランテ仕込みの本当に旨い、北部イタリアンらしい、イタリアンだった。

これまで、生活を潤してくれて、本当に、有難う。


3■水曜日。職場の送別会。あまり書けないが・・。前の週に、これとは別に、転職のその日以来すっとお世話になっていた、やはり転任される先輩を、鉄板ステーキで、一対一で、お接待した。いろんな事を話した。僕はいつでも、一対一でちゃんと、お話をしたい人だ。テンダーロインとサーロインを好きなだけ食べてもらった。楽しんで、もらえたみたいだった。

転職に慣れてない日本人の僕は、とても色んな不安があったけど、先輩には、そういう点でもフォローいただき、本当にお世話になりました。


4■金曜日(今朝)。

9月に突然発症して、当時の情熱の玉砕の悲しみの傷に塩を塗るように原因不明で悪化した皮膚疾患を、非常に丁寧な説明と対応で改善させてくれた先生が、転任になる最後の診察だった。

症状はもう、炎症の痕をビタミン補助剤でゆっくり消していく(ただし時間は掛かる)ことだけの段階に入っていた。

診察の後、今後の異動の事や次の先生の紹介があって、会話は終った。

この半年、結局、疾病の傷を癒すことで、僕を癒してくれたかのように、思えた。


二週間遅れのホワイトデーと称して、お菓子屋さんで4種類のクッキーを僕が選んでお店で包んでもらったものを、渡した(上の写真です)。

看護士さんに、写真を撮ってもらった。


以前の僕なら、ここで、クッキーの包装の中に、メッセージカード入れて、メルアド書いてお礼にとお食事に誘う文章をひっそり入れていただろう。しかし今の僕は、全てに冷静だった。患者なんて何十人も診るのだから、いちいちお礼に対応させていたらご迷惑だろうと思い、それは、断念した。


LOVE先生(<--英語だとこうなる)、異動で色々大変でしょうけど、頑張ってください。

本当に助けていただきました。



  ★


ほぼ、全ての別れの儀式が、終った。


他の色んなことも含めて、まだ、時折、感情の洪水が、時折僕を襲う。


その瞬間瞬間は、まるで、二度と乗り越えられないのではないかと感じるかのようだ。


それは、この五年間を総括してしまった気持ちがあるからだろう。総括したくはないという気持ちがあるからだろう。しかし、乗り越えるだろう。生活は今日も明日も続く。


新しいことは無い。それでよい。


静かな、


内省の時の、


訪れ。


これで、よいのだ。That's all right.


  ★


「赤毛のアン」の最後に引用されるブラウニングの詩、邦訳では「神は天にいまし、すべて世はこともなし」は、とても綺麗だけど、「こともなし」は、原語では、「That's all right」だと知ったとき、なんだかロマンティックじゃないなと、思ってしまった。僕は、海潮音の、次の綺麗過ぎる訳も、好きだ。


   春の朝


時は春、

日は朝、

朝は七時、

片岡に露みちて、

揚雲雀なのりいで、

蝸牛枝に這い、

神、そらにしろしめす、

すべて世は事も無し。(*1)


今、瞬間的に、この詩を思い出して、よかった。記事が、冷たいばかりの終わり方にならなくて、よかった。



*1:「上田敏全訳詩集」所収、"海潮音"中、ブラウニング、Page-77、岩波文庫、1962