時々取り上げている新聞「申報」の記事から今回は1943年10月10日付けです。

この日、国慶節特別号として13ページ建なのですが、通常の日は4ページ建て。1930年代は普通に16ページあった事を考えると変わったなぁという感じです。

 

広告だけ見ても、あれほど毎日のように掲載されていた車やタバコの広告は殆ど見られなくなり、代わりに日本系企業の広告が目に付きます。記事も、どちらかと言えば日本寄りのもの。この辺りもご時世なのでしょう。

 

そんな時に掲載されていた記事の中から、こんな記事を拾ってみました。

 

 

更改路名表という題がついている記事です。

国慶節を機に第1区と第8区の通りの名前を変えた、という事のようです。他の地区がどうなったのか、ということはわかりませんし、日中戦争後に元に戻った、或いは別の名前にまた変わった、かもしれませんが現時点ではこんなことがあった、ということで。

 

あらかじめ印刷されていた封筒の住所を即座に修正した、かどうかは人それぞれでしょうから、どこまで残されている手紙で確認できるかは不透明なのですが、とりあえず記録として残しておこうと思います。