中学生の頃は、親の言うとおり、偉い仕事についてお金持ちになれば幸せになれると思っていた。
高校生の頃は、恋人をつくってセックスがしたかった。結局、怖くて出来なかったが。
大学に入って、すごく好きな人が出来て両思いになりたかったが、叶わなかった。でも、それ自体が幸せになる方法だとは思わなかった。ただ、世界を旅して色々探したいと思っていた。
短期留学で会った人と恋に落ちて、初めてちゃんとキスして、高校生の頃の夢すら果たして、すごく幸せだと感じた。
それで、その人とずっといることができれば幸せになれると感じた。短期留学から帰った後は、またその人に会いたいと、長期留学と奨学金取得のために猛勉強した。それは苦しい日々だった。
なんとか努力の末に愛した人に会いに行ったら、その人には別に女がいたことを告げられる。私の世界は崩れた。
長期留学中は、だから、その人以上の人を探して色々な人と付き合い、傷つき、最後には、本当に幸せになれるというような人を見つけた。しかし、結局、私はうまく愛情を表現することが出来ず、お互いに愛し合ったものの、すれ違ってしまった。
留学から帰り、日本に来てからは、留学中最後に付き合っていた人とずっと連絡を取り合っていた。いつ会えるかという話ばかりを問い詰めて彼は困り、私は孤独だった。
でも、私は彼と一緒になれれば幸せになれると、また会うためのを努力していた。
そうしていたときに、私は一人の人に会った。その人は、「人は楽しむために生きている」と語った。それは、快楽主義的な楽しみなどではなかった。彼の楽しみとは、何からも目をそらさずに世界を見て、それでいてその世界のありのままを楽しむことであった。
私は、いかに自分が、自分自身にしか焦点を当てずに快楽主義的な幸福を追求していたかを悟る。
私自身とは、大きな全体の中の一部であり、自分をとりまく全体と関係せずに存在し得ない。そして、自分だけという局所的な幸福はありえない。
私は、その人との会話や、そこから得た情報をより広く知るために書物をあさり、何かとてつもない真実を知ろうと思った。
しかし、知れば知るほど、人は何か全ての真実は知ることはできない。ウィトゲンシュタインの言うとおり、語りえないものには口を閉ざさねばならない。ということを知っただけだった。
私が日常的に目にする事物さえ、他者とそのまま共有しているかが疑問に思えた。私が見ているのとそっくり同じように、他の人にとっても月はまん丸に見えているかを証明するすべはない。
そんな哲学上の問題を考えていくにしたがって、孤独感が増した。
でも、私が今発見したより広い世界を見せ付けた彼ならば、同じ孤独を共有していると信じていた。
だから、彼をこれまで誰を愛したより深く愛してしまった。
しかし、相変わらず、愛情表現がうまく出来はしなかった。
彼は私の純粋すぎるアピールに困っていた。私は彼とだけは世界を共有できると信じていた。
それは、間違いだった。彼は私の重さに耐え切れず、私が最後の負荷をかけた時に逃げ出してしまった。
また、世界は崩壊した。
私はまた幸せを探した。誰かに愛され、静かに暮らしたかった。どうせ誰とも分かり合うことなんてできないと悟ったのだから。
見た目が良くて、環境の良いところで、静かに私を養ってくれる人が欲しかった。
私は人間関係の本、男性心理の恋愛マニュアルを中心に研究を重ねた。
何を言えば男が喜ぶか、どうすれば男が遊びでなく真剣に女を愛するかを学んだ。
男友達で、行き過ぎないほどに注意しつつ、好印象を与える練習を繰り返した。普段からも人に好感を与える話し方を心がけ、その結果、友達や家族も徐々に態度を変えた。これは、感動的だった。
そうして、徐々に他者に対する接し方を身につけたときに、夫(現在の)に出合った。
私は学んだことをフル活用して結婚に漕ぎ着けた。鮮やかな戦術だったといえる。
自分が相手を手のひらの上で転がしていると知っていても、最初は、孤独感が消え、幸せだった。
しかし、結婚がせまると、また前に好きだった人のことを思い出し、幸せを感じなくなってきた。
そのうえ、時が経つほどに夫の見えなかった欠点がひとつひとつ見えてきて、なぜ私はこんな人に決めたのかと苦悩もした。
ただ、よく考えてみれば、誰と一緒にいても自分次第で同じだろうと分かったのだ。欲望は満たされればまたすぐに増し、留まるところをしらない。自分の気持ち次第では誰といても幸せを感じることはないのだ。
これは夫の言葉からだった。私は戦略に騙された夫を馬鹿にしていたが、そんなにバカではなかったのだ。
夫も私のように苦悩し、私のように満たされぬ思いに悩まされたということを知り、初めて夫が異物ではなく、生きたものに見えた。
夫は軽い。世界を何だ真剣に見ていない。その必要がないことを知っているためだろう。
夫に尋ねた。「なぜ人は生きなければならないのだろうか?」と。夫は2秒も間を空けずに、「お互いのため」と答えた。
その通りなんだろう。苦しくても、つまらなくても、相手のため、私を含む大きな世界のためを考えることで、生きる喜びを感じられる。
私は恐らく幸せになったんだろう。