一人暮らしを心配して、連絡したりお土産を送っても、その挙句、文句を言われ、結婚したとはがきを送っても音沙汰もない祖父。


結婚式の招待のため電話したら、用事を理由に断り、別の日に会おうと言うから連絡したのに、忙しいとそれきりのいとこ。


海外に引っ越して苦労していることは母から聞いているのに何の連絡もせず、ひたすら東大を中退したというだけを責めて親らしいことをしない父。


日本を去るという日に、妊娠して心身ともに調子を崩している私の去り際に一言もなく、その挙句に、手紙をよこしてもなんの音沙汰もよこさない妹。



私が悪いのか?私は常に歩み寄ろうとした。そんな私を悪意のみで解釈する家族。

なぜこんなにも冷たい。


しかし、下を見ればきり無い。

無理心中を図り息子の両腕を切り落とす父親もいるそうだ。そんな家族にも、崩壊しきった家庭をどうにかしたいと思うメンバーが一人くらいはいるだろう。その人の苦しみはどれ程のものだろうか。


そんな風に、もし良い方向を目指しているのに一人苦しんでいる人がいたら助けてあげたい。


私にできることはないだろうか。


私は報われなかった。でも、もし誰か本気で私の家族を何とかしてくれようという第三者がいたらなんとかなったのではないだろうか。


暇で平和に暮らす私がこれから時間を費やすことがあるとすればこういうことではないだろうか。



昔、東大で経営を卒業して、ロケットの保険をやってる超エリートとデートをした。


その人は話もおもしろくいい人だったけど、他の人が好きだったこともあり、せっかくデートしてるのに、あまり気がないそぶりを見せたせいか、それっきりだったけど、その人はブータン旅行のはなしをしていた。


滞在税の話や、極彩色の仏教建築など、興味深いものだった。


それは、二年前のことだったが・・・・。


当時は気にも留めなかったが、今になってブータン・ブーム


おもしろすぎる国である。


国内全面禁煙、21歳にしてGNPを否定し、国民総幸福なんてことを言い出す国王。

クレイジー音譜な国である。


きっかけは、NHKでやってた五木寛之の『21世紀・仏教への旅』でのブータン特集の回を見たことであった。


そのなかで、仏教的な幸福物質的な豊かさより高い位置に置く国家政策が興味を引いた。


仏教的な豊かさとは何か?


国王はそれを以下の公式で示している。


        財

  幸せ=―――

        欲


なんとなく、分かるのではないだろうか。

テレビをずっとつけて、料理番組が続くと、次第におなかもへってくる。しかし、もし、同じ間だけ、ずっと(『おいしんぼ』以外の)マンガでも読んでいれば、おなかはすかなかっただろう。

情報として、精神状態として、欲を増さなければ、わずかな財産でも幸福感はもたらされる。


だから、近年では穏やかになったが、ブータンではメディア規制や、外国人の出入りを規制したりしているのだ。物にあふれた先進国は一見すると、豊かで幸福に見えるだろう。その実情もしらず、むやみに無知な国民に「豊かさのカタチ」だけの情報を見て、それに憧れ、欲を増すことを懸念しているのだろう。実に優れた国王である。

物質欲を追求した他の発展途上国の無残な近代化から実に多くを学んでいる。人の振り見て我が振りをしっかり正している。


しかし、物に恵まれた先進国でメディアアクセスが自由な環境にいれば、欲はよほど気をつけない限り増す一方である。


そんなとき、われわれが、何をブータンから学べるか。

それは、幸せ=財 と公式の分母を見失う状態に自分が置かれそうになったときに、それを自制することである。

もちろん、置かれた環境でまかり通っている価値観を自分独り涼しい眼で見るのは容易なことではないが。

チェコ大使館に婚姻要件具備証明書を提出した日が妊娠1日目である。

もちろん、妊娠1日目というのはまだ受精していない。

しかし、因果なものである。


子供が生まれたらG(イニシャル)という名前にしようと考えていた。

生理が一週間遅れて、産婦人科に行って、妊娠を確認した日は、

なんとGの名前の記念日であった。


 ※チェコには名前の記念日というがある。365日男女混合で毎日何らかの名前があてがわれていて、自分と同じ名前が定められている日にはお祝いをする。また、生まれた日に定められていた名前を命名されることもままある。


やはり、因果なものである。


喧嘩すると、「もうあんたみたいなヤツの遺伝子を残してやらないから。下ろしてやる。」とかいうこともある。


ひどいと自分でも思う。


しかし、こんな因果を示され授かった子なんだから大切にしなければと思っている。



今は、つわりの鬱で夫にはひどいことばかり言っている。かわいそうになる。

献身的に私を介護し、気遣ってくれる夫に対して罵倒するばかりである。


甘えてくる夫は、幼い子供のように純粋な目をしている。


私は彼を自分の子供のように愛おしい。生まれたばかりの赤ちゃんに感じる母性の感覚と彼に対して感じる愛おしさは同じ類のものである。


彼も赤ちゃんも大切にしたい。