そのばがの人生で -5ページ目

得心

やはり自分で体験したり納得しないと
「信」は生まれてこない性格らしい

ただやみくもに信じる信じないは
個人の自由
ゴーイングマイウエイです


気に入った言葉や文章等にしがみつかないことが真理
状況を正しく把握


クールな心で
多聞を忘れないこと

桜の木が赤く紅葉するなんて
今まで気がつくことがなかった

木なりに

永く感じようと短く感じようと
人が決めた一年は一年
樹に当てはめと
凄いこと何年もそこに静かにいる
時間の観念というか次元が違うのか?

そして「私で良ければ」と言わんばかりに
切り倒されて色々な経験をさせられる
自分がそれを望もうと望むまいと
平然と受け入れる
でも
木は木なりに考えや心を持ちながら成長していると思います
だって木も命があるもん

すき間

心がどんな容であれ
心にスキを作っておくことは
善くありません
そこからパーパやドゥッカが入ってくるのです

穏やかに大変

この痛みに耐えられるのだから
どんな拷問にも耐えられる.と自負していたものの
とんでもない


新しい痛み(大きなゲンノウのようなもので左の踵を叩かれひざと股関節に骨がめり込むような)はまた慣れるまで大変だ


痛くても痒くても
耐えてこそ一人前

あたかも

港南病院がまだ古ぼけた趣きのある建物のころ
敷地に駐車場を借りていた
そこの後ろは崖

車を降りて何気なく崖を見上げた

そこには数匹の猫を従え凛々しいベルがいた
あたかもライオンキングの世界のよう

棒をおいて

考えてみると

今は動き過去になる

これって「武士道とは、、、、、」の

深い意味かな?

殺生も自分の刹那



サッベー      タサンティ   ダンダッサ
Sabbe        tasanti     daṇḍassa,
すべての者は   震える    棒(暴力)に

サッベー      バーヤンティ  マッチュノー
sabbe        bhāyanti     maccuno;
すべての者は   恐怖する    死に

アッターナン  ウパマン   カトゥワー
Attānaṃ     upamaṃ    katvā,
自己を     例えと    して

気付きとは

気付きとは
そのことに対して考えを巡らすなわち
脳の中に有ると照らし合わせることなく
新しいことにありのまま気がつくこと


「偶然とは忘れただけのこと当然とは固執しただけのこと」

内省と気付きを同じように考えてら大きな違いを
理解しましょう

エゴとアガペー

「欲望よ、エゴよ.〔わたしは〕おまえの根元を見た。

欲望よ、エゴよ.〔おまえは〕思惟から生まれた。

〔わたしは〕おまえを思惟しないであろう。
欲望よ、エゴよ.このように、〔おまえは〕有ることなくあるであろう(消滅する)」と。

ベルが

ベルが三歳のときの12月23日、
1週間の入院をして亡くなってしまった
心無いものが、鋭利な刃物で肺に穴をあけた
レントゲンにそんな風に写っていた
僕はその犯人は同じ目に遭わせてやろうと
キリをもって夜な夜な徘徊した
一週間後、
お父さんやめようと声が聞こえた
その声は明るくて楽しそうだった
そこで僕ははっと気が付いた
仇を打ってもベルはもどってこない
ベルはあの世にかえって楽しく暮らしているんだ
「愛すると許すこと」を学んだ
相手が反省しようとしていまいと
許すことをしないと苦しむのは
僕だけだとベルは教えてくれた