今日は阪神淡路大震災の日です。一生忘れられないあの日から19年が経ちました。

全国的には東日本大震災に上書きされてしまって、関心が薄れているかもしれませんが、神戸人の私にとってはずっと特別な日です。

震災の日にいつも載せているのは、これ。

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今年も地震の日がやってきた。もう19年も経ったというけれど、昨日のことのように思える。そして思い出すたびに胸が熱くなり涙が出そうになる光景がある。

1995年1月17日。受験生だった私はセンター試験の2日後、最も被害の大きかった神戸市東灘区の自宅にて早朝に起床し勉強中に被災した。
幸いにも自分や家族は命に別状なかったが、自宅は一部損壊し、家具や食器類は破損し凄惨な光景であった。
阪急電車をはじめ、鉄道は全てストップ。ガスと水道は復旧の見込みが立たず(結局3月まで復旧しなかった)、地震の翌日には父の運転する車で大阪の親戚の元に逃れることになった。

道を塞ぐ倒壊した建物や傾いた電柱をすり抜けるように、命からがら大阪へたどり着き、梅田付近まで来た時のこと。
JR大阪駅のロータリーに大勢の人が列をなしていた。

なんだろうと思って見ると、何台もの献血カーが並び、「神戸で血液が足りません。ご協力お願いします」というアナウンスがなされていた。
大寒も迫る寒空の下、たくさんの大阪の人たちが被災者のために長蛇の列をなして、献血をしてくれていたのだった。

私はその時感激のあまり胸がつまる思いがし、未だに思い出すだけで涙がにじんでくる。

それから6年後、私は産婦人科医になった。Blood Businessと呼ばれる、全科の中でも特に大量出血をみることの多い現場で、毎日安心して医療が行えるのは、善意で献血をしてくださる方々のおかげだ。

献血カーを見かけるなど、機会があれば私は必ず献血をするようにしている。(体重の関係で200mlしかできず、断られることも多いが)

みなさんもぜひ。献血をしたことのある人もない人も、愛の献血にご協力お願いします。

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東日本大震災の後、いろんな人の言動から、「ああ、阪神大震災の時は本当に他人事だったのだな」「東京さえよければいいと思ってるんだな」と思わされることもあり、災害は人のプラスの部分とマイナスの部分を両方再認識させてくれるのだなと思いました。

あの日失われたすべての尊い命に合掌します。