こんにちは、実践モチベーターの柏 朗(かしわあきら)です。
【テーマ:本当にやりたいこと】
私は自分が本当にやりたいこと、本気で自分の人生をかけてもやりたことを考えるときに、頭の中で何かが邪魔をしていることに気づきました。
自由に考えようとすると、自分の思考の習慣(パターン)が瞬時に自動的に何かに触れさせまいとするのです。トラウマほど強烈な拒否ではありませんが、考えが迂回させられたり歪められたりします。
そこでこの正体は何であるかを考えることにしました。それらのネガティブな感情について、一つひとつ分析を行いました。
これらを、本当にやりたいことを見えなくしている要因として、まとめましたので紹介します。
一、外的要因 (無責任な常識と価値観)
外的要因とは、自分が生活している環境から植えつけられた、好ましくない常識や価値観のことです。
文化を構成し、社会を円滑に営むためのルールとしての常識、価値観もあります。それは社会人として、文明人として身に付けなければならない最低限のものです。
このような不可欠な常識、価値観と区別するために、ここでは無責任な常識、価値観と称しています。感情としては、主に恥ずかしさとして表れます。次に主なものを示します。
① 年齢、年相応
私たち大人にとって、年齢は無視できない重要なことです。様々な職業、資格等に年齢制限があるため、気になるのは無理もないことです。
年齢とともに、あらゆる能力が衰えてくることは事実だと思います。しかし、若い人に比べて、どれだけ劣っているのでしょうか。私は自分の経験から、皆さんが思っているほどは落ちていないと思っています。これは根拠の薄い無責任な常識です。
覚えが悪いと言われますが、本当にそうですか。若いころのように勉強しましたか。覚える努力を惜しみ、年齢のせいにして言い訳をしているだけではないでしょうか。
年相応という、無責任な常識がしゃしゃり出てきているだけです。
至る所にこの年齢の常識が横たわっています。しかし、そのほとんどが言い訳、逃げ口実だと思いませんか?
不惑・・・。孔子先生は歴史的大思想家ですが、儒教的教えは二千年以上も昔の話です。その時の常識を背景にしていたと思います。それをご丁寧に現代に当てはめるのは如何なものかと思うのです。
マスコミはこの年齢、年相応が大好物です。物事を単純化して分かりやすく伝える方が、受け入れやすいことを知っているからです。
報道は必ず名前と年齢が併記されます。これは○○歳だったら普通こうあるべき、という年相応のステレオタイプを示して、その人物の評価を分かりやすくしているだけです。
本来、年齢観は非常に個人差の大きいものです。人間は思春期まではほぼ同時に成長しますが、これは肉体的、物理的な要因が大きいためです。青春期を過ぎると体は完成されますから、残るは精神的な成長だけです。個々人によって全く異なる方向、スピードで成長します。
年相応は全くあてにならない無責任な常識です
次回は② 我慢と努力の混同 をご紹介します。
・・・ご参考になれば幸いです。