何か書きたいことが

あったはずなのだが

一瞬他のことに

気を取られているうちに

すっかり忘れてしまった。

 

ADHDの特性でもある

短期記憶があまりに短期記憶

なこともあり

 

思い出すのはなかなか

チャレンジだ。

 

日々の暮らしは誘惑だらけ!

 

買った方がいいもの

行った方がいい講座

芸能人のスキャンダル

政治家の失言

友達の誕生日

憧れる人のいい話

 

などなど。

 

書きたいことがあって

MacBook Airを開けたら

はずなのに

 

あっという間に

私の注意は情報の波に

さらわれ

 

フォーカスを失う。

 

「本当に必要なことは

戻ってくるさ」

 

うん。

 

それは本当!

 

私が発信しようとしていた

内容だって

 

しなくたって

誰も悲しまないし

私も死なない。

 

だけどその「瞬間」という

神様を捕まえて

流れの中で文章を書くことの

よろこびと価値を知っていると

 

何とも残念な気持ちに

なってしまう。

 

そして私は

次の神様を捕まえた。

 

それは今ここにあった

「残念な気持ち」だ。

 

心動かされることを

覚えておいて

後から引っ張り出して

文章にすることも

もちろんできる。

 

その方がいいことも

あることだろう。

 

だが、

瞬間の神様にさらわれて

流れの中で表現することは

ちょっと違う。

 

Facebookという

誰でも使えるツールで

表現すること、

 

もしかしたら

誰も見ないかも

知れない、

 

読まれたとしても

対して価値を感じて

もらえないだけでなく

 

ときにディスられ

マウントされ、

誤解され軽蔑される、

 

そんなリスクも

あるというのに

 

なぜあなたは

表現をせねばならないのか?

 

それはもちろん

「せねばならない」

わけではない。

 

だから本当の質問は

「なぜ私は表現するのか?」

 

である。

 

人間とは社会的な生き物だ。

 

それは他者との関わりによって

自己というものを認識する

というところからも

語られるだろうし、

 

他者と関わることを

動物として生理的に

必要だということからも

語られるだろうし、

 

もしかしたら乳幼児時期の

母親との関係からも

紐解くことができるかも

知れないし、、、。

 

ああ、ややこしい。

 

(笑)

 

なぜ私は表現するのか?

 

それは気持ちいいからだ。

 

満たされるからだ。

 

ときにメチャ楽しいからだ。

 

そしてそれが受け止められるとき

共感されるとき、

 

私はまた別の満足を

感じる。

 

ちょっと話は変わるが

私は時々他者への奉仕や

貢献の話をするが、

 

つまるところ

人が行うすべてのことは

自分の満足のために

やっている。

 

ただそのつもりのはずが

やればやるほど

飢えを大きくしてしまうような

表現もある。

 

承認や賞賛を

外に求めることは悪くない。

 

特にそれは

表現初心者にとっては

大変な養分となって

創造性が花開くのを

手伝うことだろう。

 

はじめてのいいね!

コメント欄での

や褒め言葉。

 

それを支えに

表現を、発信を

続けて行くことが

できる人たちも

いるだろう。

 

私がそうであったように。

 

だがそこに頼ってばかりだと

いつまでも心の飢えは

おさまらない。

 

承認欲求お化けとなり

やってもやっても成仏

しないどころか

 

更なる飢えが襲ってくる。

 

じゃあ、どうしたら

いいのよ、そみさん。

 

そうだね。

 

まずは表現すること

そのものの喜びを

活き活きと味わうことだと

思うよ。

 

その面白さに

没頭してみることだと

思うよ。

 

それから自分を認め

褒めてあげることだと

思うよ。

 

そのことで

いい気分でいることを

選ぶことだと思うよ。

 

外に目を向けて

キョロキョロ探すのを

やめて、

 

内に目を向けて

自分の才能を認め

よくやった、って

満足感を選ぶことだと

思うよ。

 

誰に評価されなくても

自分が自分と

自分の創ったものを

好きでいることだと思うよ。

 

ところが今度は

自分に満足したそばから

新たな欲求が生まれてくる。

 

こんなにいいものが

できたのに

 

なぜもっと評価されないのか?

 

なぜもっとお金にならないのか?

 

悔しいよね。

 

その気持ちを感じてあげて

いいんだよ。

 

ただそれに乗っ取られると

苦い気持ちのまま

世を拗ねたくなるかも

知れないね。

 

それだった今度は

もっと認めて欲しい、

 

という気持ちを

外からどう満たすかを考えても

いいよね。

 

もっと人の目に

触れてもらうには

どうしたらいいのか?

 

自分の尊敬する人の

目に止まるように

するには何をすれば

いいのか?

 

などなど。

 

工夫や努力を

してみるんだ。

 

どうしたら

自分の表現の真価を

認めてもらえるだろう、

 

その前に

見てもらえるだろう、

 

と建設的に考え

行動に移すのだ。

 

それからまた粛々と

自分を認める。

 

誰が何と言っても

あなたが生み出した

かわいい子供のような

その表現、

 

自分が認め続けて

あげるんだよ!

 

それが難しい人は

心理的なブロックに

取り組み

 

自身を認められるように

なるよう行動する。

 

または、自分が認められる

ような表現を生み出すべく

試行錯誤、反復練習するのだ!

 

ある日動画を見ていたら

話がすごく上手だと

思うYoutuberがいた。

 

とにかく無駄がなく

的を得ていてわかりやすい。

 

昔はどうだったんだろう?

 

興味が湧いてきて

彼がそれを始めたばかりの時

7年前の動画を見てみた。

 

同じ人物かと

思うくらいに

話が下手だった。

 

無駄が多く

話があちこち飛び散り

何を言っているか

掴みづらい。

 

そう。

 

最初は彼も下手だった。

 

そして表現し続けた結果の

今があるのだ。

 

最初は誰でも下手くそだ。

 

起き上がって

いきなりモデルのように

歩く赤ちゃんだっていないし。

 

(笑)

 

下手くそというのは

技術不足、

 

と言うことで

才能がないという話ではない。

 

才能というと特別な

人だけに与えられたものだと

思うかも知れないし、

 

確かにそういう側面も

リアリティとして

優劣をつけることも

可能だろう。

 

だが、人の「独特さ」

その人ならではの「ユニークさ」

そのものが私は

才能だと思っている。

 

だからあなたが

あなた自身にリラックスして

唯一無二のあなたを表現する時

 

誰でも才能を表現しているのだと

私は思う。

 

それを殺すのはいつだって

 

「こうでなければいけない」

「こうするのが正しい」

 

と言う思い込み。

 

だからとにかく

やってみよう。

 

書いてみよう。

描いてみよう。

 

喋ってみよう。

歌ってみよう。

踊ってみよう。

 

一番最悪なのは

それに対して自分が

どう反応するか、

 

だから。

 

他人がどう反応するか

に自分が反応するか、

 

も含めて。

 

楽しんで!

楽しんで!

 

楽しんでいいんだよ。

 

たった一度の人生

なのだから!

 

✨

 

写真は9月にやった

イベント

 

「満月、無伴奏、独舞」

 

より。

意味のわからん表現に

お金を払ってくれた方

ありがとう!

 

 

 
 

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