かつて私が住んだマンションは、文化人的な有名人がたくさん住んだ場所だった。

 

敬愛する脚本家、作家の向田邦子が住んだ場所で、私が住んでいた頃にも、糸井重里、樋口可奈子、ドクター中松、プライドの怪人と呼ばれた百瀬博教らがいた。

 

表参道の真ん中、地下鉄の駅の上。

 

当時の私は1度も地下鉄に乗った事はなかったけれど。お出かけは自己所有のえんじ色のBMWのオープンカーでなければ、ほとんどが一千万を超えるような外車に乗った男性たちのお迎えだった。

 

賃貸だったので、女性零細経営者の私には審査が厳しく、1部上場企業の取締役2人の保証人をつけてやっと借りられた場所だった。

 

その場所には芸能人なども含むたくさんの人がやってきたし、誕生日には50平米位の居間全部が花で埋まり、むせ返る薔薇と百合の花の香の中枯れるまで18度で冷房かけっぱなしの日々が続いた。

 

 

ファーストクラスでの欧州への旅行、何百万円もの衣装代。当時のお気に入りはアルマーニとプラダ。毎晩のように開けるシャンパン。シャトーマルゴーやラトゥールの日々。今のようにグラスでシャンパンが飲める場所はそう多くはなかったし。もちろん自分で支払ったことなど数える程しかない。

 

毎日がお祭り騒ぎで、毎日が狂ったように楽しかった。

たくさん恋をして、何人かのパートナーとは一緒に仕事もし、業界ではそれなりの評価をされていたし、人望はともかく人気はあった。

 

 

お金はたくさん入ってきたし、仕事は面白かった。

 

そして王族、スポーツ選手、芸能人、ファッションの世界で活躍する人、世界中のありとあらゆる面白い人たちに毎日のように出会った。

 

その生活に飽きたと思っていた事はなかった。でもある日突然のようにその日はやってきた。会社を処分して自由になろうと思った。

 

その時2組の所属アーティストと4人の社員を抱え、大手エンターテイメント会社との契約もあった。

 

だから会社を辞められるまでに1年以上かかったかもしれない。

 

著作権は潔く売ったてしまい、勤めてくれた社員に退職金を出し、契約の権利を譲って私は9年間頑張った会社を閉じた。

 

先のあてなど何もなかった。

 

ただ自分はヒーラーであり、表現者であることを知っただけだ。

 

なぜ私はあの時あんなにも簡単に、あの生活を捨ててスピリチュアルな道に飛び込むことができたんだろう?

 

それは垣間見た愛の世界へが永遠に続くだろうと言うナイーブな期待が大きかったとともに、魂の喚び声にあらがう術がなかったからかもしれない。

 

そして私が自らこそが愛であり光であるということを知った後に見たものは、ただただ自らの中にある闇、闇、病み、だった。

 

(続く?または続く、続く詐欺?)

 

 

 

 

 

 

 

 

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