【差別の根源にあるもの?】
今朝は少し遅く起きて最近ハマっているオクラ水を飲むなどのモーニングルーティーンをこなした後、
Facebookを開けたら、女優の竹内結子さん死亡、と言う記事が飛び込んできた。
自殺の可能性が高いと言う。
正直に言うと竹内結子さんはあまり好きな女優さんではない。それが何故かわからないけれど、とにかく私好みではないのだ。
だから三浦春馬さんの時もそうだったが、私は彼の出演しているテレビも映画を見たことがないし、名前と顔認知している程度だったので、
これといって悲しみを感じる事はなかった。
将来有望な才能ある人の命が自ら絶たれた事に対しての感情的な反応は多少あったとは言え。
ただ祈りとともに通り過ぎたつもりだった。
ところが、今朝引き続きタイムラインを見ていると、それにまつわって、三浦春馬さんの自殺に関しての推測記事も出て来た。私から見たら憶測だが、それは絶対的な事実かのように書いてある。
そしてそこに集う人たちが、口々に差別といってもいいような発言をしていたのに驚いた。
全部が嘘とは言わなくても、全部が事実に根ざしていると思えない、噂と憶測の集大成で、芸能界の闇と言うもののすべてが、ある民族背景を持つ人たちのせいになっていた。
私は芸能界の片隅にいたし、今でも芸能界やその裏方とぼちぼち付き合いがあるが、一部そのようなことがあったとしても、それが全てでは全然ないと認識している。
そこで真っ昼間から、誰でも見られる公で堂々と差別発言をする、そこに集う人たちのうち、非常に過激と思われる1人の女性のアイコンをクリックすると、経済的に豊かそうな綺麗で柔らかそうな雰囲気の女性の写真が出てきた。
私はこういう普通の、普段はとてもやさしい人であろうような人の、根深い偏見に出会う時ほんとに驚く。
初めてそういうことに遭遇したのは、16歳で1人アメリカに留学していた時、とてもよくしてくれていた友人の家族が発した一言からだった。
私はその家に休みのたびに招待され、1週間とか言う単位で個室を与えられ泊めていただき、心のこもったクリスマスプレゼントいただくなど、本当に本当によくしていただいた。
歯科医お父さまと、専業主婦のお母さま。お母様は美しいプラチナブロンドの持ち主で、ちょっとマリリン・モンロー的アーキタイプを持ちながらも、しっかりと家庭を切り盛りしていた。
サンクスギビングの七面鳥は旦那様が必ず取り分ける、と言うようなコンサバティブで愛情あふれる素晴らしい家庭で、その家で寝泊まりさせてもらう事は、家を、日本を離れ1人留学する私の心の癒しにもつながっていた。
そんなある日、たまたまニュースを見ていて何か黒人がした悪いことに対してそこのご家族の1人が差別的な発言をした。
それは論理的で正しくはあったけれども、黒人と言うものを1人くくりにしてしまう私から見たらやはり差別的な発言だったと思う。
また、とあるヒーリング系の知り合いに、体の施術をしてもらっていた時のことだった。
共通の知人の噂話になったときに、彼女はその知人の悪いところを彼女の民族的背景のせいにした。つまり、〇〇人だから彼女はそうなんだ、と言う言い方をしたのだ。
私はベッドから飛び降りたくなるほど驚いた。
と言うのは大げさで、実際はリラックスしてたからそれほど反応はなかったんだが、癒しに関わる人が、こんな差別発言をするんだ、と言うことに驚いたのは間違いない。
またまた正直に言うと、私はその知人があまり好きではなかったので、彼女の批判、非難に同意する部分も多くあった。
しかしそれが、民族的傾向から来てるとは全く思えなかった。
私はベッドから身を起こして、彼女に自分の意見を伝えた。
さて確かにそれぞれの民族やどの国で育ったか、によって、特徴や傾向は間違いなくあると思う。
良いものも悪いものも、他の人たちから見れば異常に思えるものもあると思う。
米国などではそれをお笑いにする事はよくあることだ。例えば米国に住む民族背景がユダヤ人、イタリア人、ポーランド人などの傾向を
お笑いにしたジョークや、コメディーなどがある。
私はそういった傾向を、お笑いなどで表現する事は、差別だとは思わない。それはある種クラスターの特徴や傾向を面白おかしく表現していて、必ずしも差別意識があるとは思えないからだ。
だからなんでもかんでも差別と目くじらを立てているタイプでは全然ない。
日本でも、もっとオープンに笑いに変えてもいい位だと思う。
だがしかし私が見たその記事のコメント欄は、偏見と敵意、憎悪が下敷きにあった。
善良な、普段は優しい人たちが、このように他民族を軽蔑するような感情を持っていることを私はすごく興味深く思う。
そのコメント欄は、決してヘイトスピーチや、汚い言葉が使われているわけではない。
ただ一抹の真実はあったとしても、捏造されたと思われる部分の多いことを、少なくても真実かどうかわからないこと、を絶対的真実のように語り、ある民族背景のある人たちのあるクラスターを非難しているのだ。
彼らが多分学歴も高い、一般的にはインテリジェンスがあると言われるだろう人たちだと言う事は想像できた。
しかし私から見たらこれは知性の欠如である。
人はどうして差別をしたり、偏見を持ったりするのだろう?
私の心はそーゆー根本的な質問へと戻る。
そしてそれは私が思う人類の根深い病の1つである、
「そのままの自分を充分だと思えない」
と言うところに深く根ざしていると思う。
その他に、人は自分と違うと認識したもの、未知なるものを恐れる、と言う部分もあると思うが。
他の人を批判したり、非難したりしてる時、私たちは怒っているように見えても、どこかで良い気分になっている。
それはもちろん偽りの良い気分で、自分に対しての嫌な気分を感じさせないための罠だ。
もしもあなたが本当に自分が自分のままで充分だと感じていたら、他の人を批判、非難して、引きずり下ろそうとするような気持ちになる事は無いのだから。
私もね、ほんとに時々やるんですよ。
自分が正しい、自分はよくやってる、自分の方が上だ、と思いたいがために他人を利用する。
全く私って、人類って。
でももしもその場でそれに気づくことができたら、ちょっと踏ん張って、別の選択をすることもできるね。
そしてさぁ、私は自分が不十分だ、と思ってる人でそれを解消しようとしてる人たちって、実はすごい勇気ある、人類の意識の進化のためのパイオニアではないかなって思うんだ。
なぜなら、社会における多くの問題は、自分が自分のままで充分だと感じられないところから来てる、と見ることもできると思っていて、
多くの、社会で活躍してるように見える人たちは、それを自分に感じさせてあげることができない。
自分ができる人、素晴らしい人、のポジションを取り、そうでないと勝手に判断した人を下にする。
そして自分が不十分だ、と感じがちな人たちは、その人たちの「影」にならないように気をつけることだ。
彼らがあなたに押し付けてくる、だめな人のレッテルを無意識のうちに買ったりしないことだ。
そしてあなた自身が、あなたの存在そのものを肯定して続けることだ。
もしも私たち一人一人が皆、自分はそのままで充分なんだって今より少しでも感じられるようになったら、
世界はどんなところになるだろう?
そのためにも私は、たった1人変えることのできる私の心に今日も取り組む。
瞬間瞬間に襲ってくる、心の中にこそいる悪魔に屈することなく、愛であることを何度でも思い出すことを、今日も私は自分に約束する。
昨日の銀座は、たくさんの人が出ていましたよ。
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