どう見ても知的な人たちなのに、

なぜ本当かどうかもわからないことを

大騒ぎして拡散をしたりするんだろう?

「こういう説もありますよ」
「こんな情報が入って来ました」

ならまだわかる。

でもそういう言い方では全然なくて、

それが決定的な事実で、真実で、

それを知らないこと、

信じないこと自体が、

洗脳された家畜であることの

証拠のような言い方をする。

知的なことが、

健全な自我の強さと

比例しないということは、

オウム真理教の例で見れば

わかることだが。

そうではければ、

「火事だ!」「火事だ!」と

火の元もわからないまま

噂だけで大騒ぎしては

近所の人たちを

叩き起こそうとする

長屋のはっつあんみたいな

人たちか。

何度も言ってるが、

驚くようなニュースの中には、

権威や大企業などが

隠したいことで

確かにホントのことも

あることだろう。

だけどね、

後からひどい

フェイクニュースだったり、

恐怖に根ざした

ねじ曲げられた解釈だったと

わかることも多いんだ。

そこはまず冷静でいよう、

と私は今日も呼びかける。

今すぐどっちかを信じなければ、

白黒つけなくては、って

急がなければいけないことなの?

本当のことがわからないままに、

ただ観ているだけでも

いいのではないのかな?

あなたがそのようなニュースを

全面的に信じちゃうのも、

今の社会システムに

飲み込まれているのも、

同じメンタリティから

来てるのでは、

と私は思う。

中にはしっかりした

意見として持って、

確信とともに

拡散してる人たちもいて、

そういう人たちに、

私は何も言う事はない。

ただなんとなく、

目新しかったり、

風が大きく吹いてたりして来ると、

その声の大きさこそ真実

と信じてしまい、

情報にふり回されては、

精神の安定を失う

あなたに伝えたくて書いてる。

スピリチュアルや自己啓発に

惹かれる人たちの多くは、

私も含めて、共感能力が高く、

そのギフトを利用されては

他人や組織から操作されやすい。

しかし信じてしまったら最後、

操作されているなんて

これっぽっちも思わずに、

あなたはいつの間にか

ある考えの信者になってしまう。

拡散が「善なる目的」と

確信を持ってているように

見える人たちの中には、

実はわざと過激に表現したり、

わざと過激な結論付けをすることで、

そのことで釣って、

広告料を稼いだり、

アクセスを稼いだりする

意図を持っている人達だっている。

あなたを脅かすことで、

あなたを取り込もうとする

人たちだっている。

本人は無自覚の場合もあるよね。

シェアしている情報そのものは

信憑性があったとしても、

その意図のために

必要以上に過激な表現になることは

しばしば。

みんながそうだとは

言ってないからね。

陰謀論はさておいても、

社会の2極化は

進んでいるように見え、

既得権益のある人たちは、

何とかそれを継続するために、

他人を利用することに

罪悪感がない。

罪悪感がなさすぎて、

利用しようとしていることそのものに

気づいていない人もいるだろう。

人間としてそれくらい

麻痺していないと、

自分の利益だけを考えるような人

にはなれないし。

そういう団体に限って、

「WIN WIN」という言葉が

好きだったりするが、

それはあくまで、

既得権益のある人同士が、

利益を同等に分配しますよ、

的な意味で使われ、

社会全体のそれを

目指しているわけではない。

ただ見栄えの良さと、

節税対策の一部としての寄付を

楽しむくらいだ。

それでも寄付はしないより

した方がいいと思うので、

これは決して寄付への批判だとは

思わないで欲しい。

なんか話が変わって来ちゃったぞ。

話を戻して

私があなたに聞きたいのは、

そのおドロおドロしい物語を知り、

信じることが

なぜ「真実への目覚め」になるのか、

ということだ。

世の中で構造的にある

不調和を知ることで

あなたはいくばくかの自由を

取り戻すきっかけに

なるかも知れない。

だが、

何かを仮想敵として戦うことが、

真実への目覚めと言えるだろうか?

仮想敵を作って戦うことで、

かえって眠ってしまう人たちも

いるような気がする。

プロパガンダ、というのなら、

政府がやっていることより

もっと恐ろしいことは、

この今の資本主義の構造

そのものの中にある。

「今のままでは幸せでない」
「今のままでは十分でない」

私たちは

そう思い込まされることで

(そう思い込むことを選ぶことで)

それを主軸にして作られる

「商品」を持つことで

「より素晴らしい自分」

になれると信じ込む。

それはより良いところに

住むことや、

より多くお金を持つことの方、

より有名であること、

より知的であること、

より洗練されていることなどなど、

が、

そうでないことより素晴らしい、

というその考えに

洗脳され切っては疑いもしない。

ある人たちはそれを得ることで

エゴを肥大化させ、

ある人たちはそれに挫折し、

または諦め、

自分を不十分とすることで

自分を無意識のうちに

責めながら生きる。

またある人たちは、

それを追い求め続けることを

「人生」と定義する。

私に言わせれば、

そっちの方がずっと大きな洗脳だ!

その洗脳が成功したことの証の1つは、

あなたがそれを「自由だ」と

勘違いしていることに

あるかも知れない。

自分がそのままで不十分だと思う時、

誰かをそのままで不十分だと思う時、

この社会がしたように見せかけて、

実は自分が自分にさせた洗脳は

大成功している。

これまた私に言わせれば、

これこそデーモンであり

悪魔崇拝のようなものである。

悪魔が悪魔たる所以は、

この上なく魅力的で、

神に似た姿で現れ、

極上の蜜をあなたに

舐めさせることも忘れないことだ。

あなたは神に抱かれているつもり

になりながら実は、

あなたの内側にあった

愛されたかった子供の

成れの果てに抱かれている。

気づいたときには

天国へのハシゴは外れ、

次の素敵なもの、

素敵な私、

という獲物を探して

地を這うハイエナとなる。

(ハイエナに罪はない。

このような比喩に使ってごめんね。)

世界に悪や闇を見て、

凶弾することが

使命で仕事の人もいるだろう。

ぜひ続けてもらいたいものだ。

しかしながら

あなたにとってはどうだろう。

それよりあなた自身の中にある

闇へ沈み、闇を抱きながら、

光を思い出すことの方が

ずっと「目覚め」という

あなたの魂の求めに、

近くはないだろうか?

あなたがあなた自身に

ついている嘘や、

あなた自身からも隠して来た

闇という夢から目覚める方が、

ずっと「本当のこと」

ではないだろうか?

光と闇の戦争を見る時あなたは、

自分が光側だと信じ疑わない。

あなたが光であることを

私も信じて疑わない。

だが、もし本当に

あなたがあなた自身の光を

思い出すのなら、

世界に見る闇もまた

光であることを知るか、

そこへ向かう美しい営みの1つ

だということを

知るのではないだろうか?

だからと言って、

世界に起きている不調和や、

自分の身に起きる

境界線の侵害や搾取を

甘んじて受けろ、

ということでは決してない。

ノー!は断じて

ノーであっていい。

この異なる次元を

1つの身体で行き来しながら、

あなたは少しづつ上昇して行く。

その少しだったはずの一歩づつが、

時間とともに大きな差となり、

分かれ道となり、

あなたはいつの間にか

輝く草原へと戻る。

そうしてあなたは一息ついて思う。

なんて美しい世界なのだろう、と。

 

 

 

 

 

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