「有名になって

お金持ちになって

人にちやほやされたい。」

「あわよくば、、、。」

って多くの人の中に

そんな気持ちがあるんじゃないかな。

 

 

私の中にだってある。

 

 

そしてすでに多くの人が

それが自分の無価値感から来ていることや、

それだけじゃ幸せになれないことは、

なんとなくわかっているよね。

 

 

なのにそういう考えは、

気持ちではいけない、

と自分を縛って、

いい人、正しい人になろうとすることで

自分の一部を殺すよりも、

そんな自分もまた

認めてあげることから

はじめるたらどうだろう。

 


誰の心の中にも、

外側の「欲」の向こうに、

神聖で真摯な思いがある。

 

 

世界に自分を捧げたい、

誰かの他の人のお役に立ちたい、

誰かを幸せにしたい、

と言う。

 

 

未熟さや身勝手さも含めた

ありのままの自分を認め、

愛することで、

そんな気持ちへの自然に

触れて行けるのではないかと思う。

 

 

そしてその利他と呼ばれるような

思いや行動だって

結局は「自分」のためだったりする。

 

 

インドのグル「和尚」は、

徹底的に自分勝手になれ、

と説いた。

 

 

徹底的に

自分勝手を追求することの中で、

他者の幸せを望むようになる、

とかなんとかそんなこと。

(文献ご存知の方いたら教えて)

 

 

自分の中にある

未熟さをなかったことにして

自分を縛りつけると、

それはあなたの外に「影」としてあらわれる。

 

 

あなたはそれら自分が表現していないこと、

自分の中にあることを

自分のものとしていないことを表現する人を、

嫌ったり、軽蔑したりすることだろう。

 

 

あなたは世界を分離しては嘆く。

 

 

世界がみな自分のようだったら、

世界はもっといいところになるはすなのに、と。

 

 

あなたがあなたが忌み嫌うものまでも

自分のものだと認め、

愛するとき、

光と影は統合され

あなたはより全体へと近づく。

 

 

それは自分ができる世界への

最高の奉仕かも知れない。

 


どんな自分だっていいんだ。

 


どんな人もみな

それぞれのベストを尽くしている。

 

2012年3月30日Facebook投稿より

 

 

 

 

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「自分らしく豊かに生きる