希望と云うのは
私たちの中にあって、

未来にあるわけではない、
と私は思っています。

それは別の云い方をすると

「自らこそが希望である」

ということを知ることでも
あります。

それは、自身の中にある
絶望やがっかりを

ないことにして
闇雲にポジティブになることでは
ありません。

それらの感情を感じたとしても、
自分と世界に関しての
もっと本当のことへと
焦点をあてる、ということです。



今回の選挙、
私の応援していた三宅洋平さんの
当選はなりませんでした。

それだけでなく、
自民、公明、おおさか維新と云う
いわゆる「改憲派」

が票を伸ばす結果となりました。

それは私に「希望」とは
ほど遠い感情的反応を
一時的くれましたが、

その後すぐにそれは、
自分を更に魂の目的へと
深く沿わせてくれることとなりました。

さて、その中で東京の6議席目に
護憲派である民進の小川さんが
入ったこと、

比例代表の最後の一議席に
生活の党が入ったことは、

私にとってはうれしい
ニュースでした。

ところで公明党は、
「憲法改正」には賛成しておらず、

以前から「加憲」

と云う立ち場をとっていますね。

HPにもはっきりと記載してあり
古い友人の現職の公明党の市会議員も
コメントしてくれたりしましたが、

NHKのニュースなどでは完全に
改憲派として扱われていますし、

HPを見ても、
その他の議員さんたちのブログ
などを見ても、

ネットで調べても、

その「加憲」が
はっきりとどう方向なのかは、
曖昧でわかりづらかったです。

(書いてあることの意味は
理解できます)

そして実際には自民党と
連立して与党となっており、

公明党が加憲を云い出してからも、
自民党はその意見を取り入れている
様子はないので、

信用できないなあ、
と云うのが私の感覚ですが、
どうなんでしょう。



私のFB友だちの中には、
改憲に賛成、自民党派の方たちも
いらっしゃるのですが、

その向こうには、
中国の脅威とか、があるようですね。

そして面白いことに
そういう方たちの中には、

ご自身の政治的意見よりも
三宅洋平氏をディスする投稿の方が
多かったりするのが興味深かったです。

さて、選挙は、憲法改正か否か、
と云うところで語られるべき
だけではない、

とおっしゃる方も多く、
それはもう本当にごもっとも、
だと思います。

もっと政策全体を
みるべきだ、

と云うことですね。

そして、憲法改正をどうしても
したい、

と云うことの後ろにある
哲学や思想の上に

それらの政策が成り立っている
と感じ、

そこに賛同できない自分が
いました。



三宅 洋平さんの
話に戻りますが、

三宅さんを批判する内容には、

三宅さんだけでなく、
それに賛同する人たちへの
批判も見受けられました。

それは三宅さんの演説は、
人々を感情的に揺さぶる効果があり、
それが非常に上手で

多くの人がそれに
煽動されたり、感動してしまう、

と云うことでした。

それをあたかも
悪いことかのように書いてあるのが
面白かったです。

(冷静な判断力を失う、
と云うことなのでしょうね)

それでも確かに例えば
スピ系、とか、自己啓発系
とか呼ばれる人たちの多くが、

感情レベルが豊かであると同時に
その中には、

境界線が弱く、
簡単に操作されてしまうような
類いの人たちも多く存在するのは、

私もかねてから
観察してきましたし、

それを指摘しては
気づきを促すための記事を
書いたりして来ました。

例えば明らかに感情操作を
目的としているつくられたであろう
投稿に安易に感動してシェアしたり、

セミナーに申し込ませるのが
目的での自己開示の中にある感情
操作の意図に気づかずに、

これまた安易に感動したり、、。

と、そこにある危うさを
観察してきました。

つまり!

騙されやすい、ということですね。

そこで気づいたのですが、
人には二種類のタイプがあって、

ロジックで騙されやすい人と、
感情で騙されやすい人がいるのだな、
と。



話がそれてしまいました、
ごめんなさい。

戻しますね。

また他の三宅さん批判には、

理想主義的すぎて、
実現可能な政策に落とし込めない、

と云うこともあるようですね。

これもまた一抹の真実が
あると思います。

それでも私は、
彼の云うことの多くに
私たちの本質的在り方から来る
未来を感じたのでした。

三宅さんの見る未来を
ともに実際の社会に
反映させて行くのを見たい、

ともに創造したい、
と感じるとともに、

実はそれ以上に彼が
「国会」と云う場所に
送り込んでくれるであろう

新しい(本来の)
考えと在り方の風に
期待したのでした。

同時に三宅さんや山本太郎さんや
まわりの人たちにも、

安易に「陰謀論」的なものを
語るのはやめて欲しいなあ、とも
思うのです。

(減ってはいるようですが)

そうでなくて
事実とされていることには
別の視点があること、

を見せてくれたり、

今、これが為されていることには、
もしかしたらこんな隠された意図が
ある、という可能性も考えられない、

みたいな云い方に変えることで

一人一人の中に
興味を持ったり考えたりする力を
養えるような方法にした方が
いいと思うんです。

これは三宅さん、山本さん
とは別に見聞きする
「陰謀論」に関してですが、

「ありえね〜」
「くっだらね〜」

と云う、
個人の歪んだメンタリティから
想像されて拡散されたであろう
と思うレベルのものから、

マスコミには出て来ないだけで、
実際ある「事実」まで

いろいろなレベルのものが
あると私は思っています。

それを一緒くたにしては、
体制やシステムを攻撃するのは
それこそ、

個人の攻撃性の現れの方が大きく、
本来の「創造」からはずれる行為だと
思わずにはいられません。



最後に、私は、
今回の選挙をきっかけに、
私たちが自分たち一人一人の持つ
「創造」の力を

どのように使いたいか、
について今一度考えてみて欲しいな、
と思います。

私が「スピリチュアル」と云う
言葉を使うときそれは、

天使や、神社や、
現世ご利益の神様を意味してはいません。

それは、

『私たちはみな繋がっており、
互いに影響を与え合って
存在している。』

と云うことであり、

別の云い方をすれば

『私たちはすべてを
「共同創造」している』

と云うことが、
大きな柱となっています。

また少し矛盾するように
思えるかも知れませんが
別の視点も加えると、

『私達は1人1人が、
自分の見る、体験する
世界を創造している』

と云うことでもあります。

その中で

「ポジティブ」

であろうとする人たちが、
自分の世界を良いところにするために

実際この世界に存在する
そうでないところを
見ないようにする、と云う
傾向があるのを観察しています。

そうするべき、
と云ういう教えもあるようですね。

確かにそれにも、
一理あるなあ、

と実践していたことも
あります。

ニュース断食をし、
欲しくない現実からには
焦点をあてない、

ということですね。

それが与えてくれたのは
「ネガティブ」も
欲しくない現実も

自分の心の中にあるのだ、
と云うことの大実感でした。

それを経て私は、
外側のことにも

目を開いているという意図へと
戻ってきました。

切り離すことなく、
超えて行く、

ということです。

この世界で起きるどんなことからも
目をそらすことなく、

それでいながら、
その中に本質を見続けられる
自分であること、

自分の中に起きる
思考と感情のリアクション(反応)
に責任を持ち

変容させては本質へと
繰り返し戻る練習を続けること、

自分にできる小さなことを

(自分がすることを愛していることと
ありがたいことに一致させることが
できました)

低く見積もることなく、

だからといって
過大評価することもなく、

淡々と、だけど情熱的に
生きて行こうという決意を
あらたにしています。



希望は未来にあるのではない。

と私は思います。

希望は私たちの中にあって、
私たちの本質の質の
大きなものの一つだと思っています。

私は私の中にある
希望の火を絶やさない。

感じ続けます。

それを生きます。

私は(あなたは)希望です。

それを見ています。

私が忘れている日には
どうかその未熟さを
ゆるしてくださいね。



なんとも勝手なお願いで
終わってしまいました。

長い文章最後まで読んでくれて
ありがとうございました。