私が彼にはじめて会ったのは
1988年の初夏、
 
 
NYのクラブで。
 
 
たぶんMKかネルズ、
もしかしたら新しくできたばかりの
マーズだったかも知れない。
 
 
まだ引っ越して来たばかりで、
ソーホー住む東京の元カレの友人宅に
居候をしていた頃のことだ。
 
 
誰の紹介だっただろう?
 
 
細かいことは忘れたけれど、
そのときの彼の姿は未だ
瞼に焼き付いているかのように
覚えている。
 
 
鋭い目をしていた。
 
 
ツルツルの長い髪に
ヨージ・ヤマモトの黒のスーツを着て
美しい西洋人女性たちに囲まれた彼を
 
 
最初は日本人だとは思わなかった。
 
香港の俳優とか
パリにいるアジア人のモデルみたい。
 
 
目が会うと
平気で笑顔を合わせてくるその感じ。

口元からは八重歯がのぞいた。
 
 
最初は英語で話したかも知れない。
 
日本語で話したときに、
ギャップに驚いたこともまた
覚えているから。
 
英語ではその立ち居振る舞いに
ピッタリのクールな
低い声と言葉遣いだったのに、
 
日本語だと急に、
中学生みたいに甘えた感じになった。
 
 
「何を飲むの?」
 
明らかに年上であろう私に彼は、
飲み物をご馳走してくれようと
していた。
 
たぶんまだ10代で、
美術学校パーソンズの学生
だった。
 
 
私は遠慮することもなく、
 
「ビールがいいわ。」
 
と云う。
 
 
そういえば私の方も
黒いスーツを着ていたな。
 
 
「へー、そんなもの飲むんだ」
 
 
返す彼。
 
 
淑女たるもの、
シャンパンとか、カクテルとかを
頼むもんだよ、と云わんばかりに。
 
 
そうして私たちは
友だちになった。
 
 
そう、友だち。
 
 
それからNYで東京で
何度か一緒に酔っぱらった。
 
 
そういえばいつだって
彼が奢ってくれたな。
 
 
一緒にいて一度だってお金を払った
覚えはない。
 
 
 
私が99年に
以前の仕事を辞めてからは
すっかりご縁が切れてしまっていて、
今も話をすることはない。
 
 
その間に彼は、
写真家になり、
有名歌手と結婚し、
映画監督になっていた。
 
 
彼の映像作品を見たことは
一度もない。
 
 
ここのところ
フェイスブックのタイムラインに
彼の映画のプロモーションが、
頻繁に流れてくるようになった。 
 
 
ついにハリウッドで

「モーガン・フリーマン」も出演する映画

「ラスト・ナイツ」を

監督したのだと云う。
 

忠臣蔵がベースになった
作品らしい。 


  
今はよく知りもしないのに
こんなことを云うのは
おこがましいが、

すごく彼らしい、
と勝手に思った。

  
ちょうど明日から公開に
なるらしい。 

  
紀里谷和明監督新作「ラスト・ナイツ」
http://lastknights.jp/introduction.html 
 

タイムラインに沢山流れてくる中の
ひとつのインタビューを読んでみた。
 
 
「夢があるなら、
 なぜ命をかけないの?」
 
 
というキャッチが
気になったから。 

http://logmi.jp/103328
 

感動した。
 
すごいよね、
ハリウッド映画作っちゃったの。

 
読む価値のある言葉たちだと
思う。http://logmi.jp/103328
 
 
今回はじめて
彼の映画を見てみようと思っている。
 

 
よかったらあなたも!