昨年の暮れに母が新しくマンションを買って引っ越したことを機に
東京にいるときにはそこに住まわせてもらうことになった。
一年の半分以上は日本におらず、日本にいるその半分近くは東京にいないので、こうして戻ってくるところがあるのはありがたいことだ。
以前米国から戻ったばかりの2003年、母の家に数ヶ月居候させてもらったことがあったが、そのときはあまりうまくいかなかった母との暮らしが、今回は毎日がとても楽しいものであることもまたありがたい。
それはまるで大好きなガールフレンドでルームメートとの青春の暮らしのようでもあると同時に、親子という境界線に対してのリスペクトがいつもここにあると言うか、、。
それほど多くを語りあったりするわけでもないが、こうして一緒にいられるだけで何か温かいものがある。
特に楽しいと感じているのは、一緒に料理をしては一緒にご飯を食べること。
夜のうちに、「明日は何を食べますか?」などと聞き合って、冷凍してあるお肉を冷凍庫から出しておいたり、昆布を水につけて準備をしたり、外に出掛けるついでに、次の日のメニューを決めては、買い物を頼み合ったり。
近所にスーパーはあるけれど、そこで食べ物を買うことはあまりなくて、ほとんどの食材を自然食品店かデパ地下(これすごい言葉だな~、いつの間にか使うようになっていた)で調達するので、週に一回母が通うパーソナルトレーニングのついで以外の買い物は、お互いお出かけのついでにしてくる。
とはいえ、忙しかったりして、そんなことを考えたりする余裕がないときには、お互い好きなときに好きなものを作ったり、買ったりして食べている。
プレッシャー、義務、一切なし、なので軽い。
寝るのも、起きるのも、出掛けるのも、当然違っていて、会わない日もあるくらい。
それぞれの仕事、友人、生活、人生があるので、それを尊重しながら、それらが交差するときだけ、それを楽しむ、と言った感じか。
ゆうべは時差ぼけの私が午後遅くから夜まで寝てしまい、変な時間にお腹がすいては、2人でソーメン(私はヒエ麺)を作って食べた。
一人がごまをする間に、もう一人がショウガをすり、一人が茹でる間に、一人が椎茸やたくあんを切る、てな具合に。
私の育った家では、インスタントというものを使うことはほとんどなく(ラーメンは別。笑)今でもそれは変わらない。
ソーメンのおつゆは、母がおとといの晩から昆布と椎茸にたっぷりの時間浸けいたものを、ゆうべ鰹節でダシをとっては味付けしてすでにできあがっていた。
サラダ用ドレッシングは叔母の手作りのものがいつも冷蔵庫にあり、市販の物を買ったことはないと思う。
私はあまり料理に情熱を持てず、誰かが作ってくれたものを食べる方が好きだけれど、それでも、カレーやシチューも含めてインスタントを使うことは滅多にない。
それは別にこだわり、とかいうわけじゃなくて、味の好みの問題なのだ。
市販のドレッシングを使うんだったら、オリーブオイルと塩とか、そういうので充分。
そういえばスイスの彼にいるときも、誰が食事を作るか、に関しては決まり事があるわけでもなければ、絶対一緒に食べる、という約束もないのも気が楽だ。
夕食はほぼ毎日一緒に食べるけれど、そうでないこともオーケー。
彼が仕事帰りに買い物をして、夕食作りをリードすることもあれば、私が彼の不在時にすっかり準備してあることもある。
日によってはお互い全然違うものを作って食べることもある。
一緒にいられるときの、朝やお昼はだいたいそんな感じかな。
彼はドイツ人だからパン、チーズ、バター、が好きだけど、私は食べないようにしている、というのもある。
一つの台所に立って、一緒に食べるものを作るのも楽しいが、別のものを作っているときも楽しい。
朝から野菜炒めを作ってはすすめる私に、歯ごたえあるヨーロッパのパンに、チーズやハムをのっけて食べている。
他人(家族だって、他人)との共同生活も、こんな気楽さをお互い許し合えているからできているのかな、と思う。
それでも、帰ってくるまでに食事の準備をしておくとすごく喜ぶ。
そんなに珍しいことではないのに(平日の半分はある)、すごく喜んでくれるのがすごい。感心してまうことがあるくらいに。
あまりによろこんで、美味しく食べてくれるのを「全く操作的だ!」と感じることもあるが、それでもうれしい。
(注 「操作的」 また作ってもらいたいがゆえに、わざと喜んで私をやる気にさせようとしているという隠された意図ではないかと勘ぐることも。笑。)
騙されて行こう~、と楽しくバーゼルの街の市場やスーパーを歩く。
それにしても市場って飽きない。毎回同じものしか売ってないのだけれど、何でなのかしら?
ちょっと話が変わって来ちゃったな~、それもまたよし。
25日、時間をはずした日に旅をしてはスイスに。
心待ちにしている。
今度は市場の写真もアップしよう。