人や状況を批判、判断、解釈することをやめると
ただあるがままが見えてくる
そこにある美が姿を表しては芸術となる
滅多に乗らない最終電車で繰り広げられる
小さなドラマ達を眺めるのは
映画を見るより面白い
酔って吊り輪に捕まりながら眠りに落ちては
寄りかかって来るスーツ姿の男を
ゲームをしながらひじでつつく女性
終電が過ぎ去った後のホームで一人壁に手をつけて
嘔吐する人
それを片付ける係員
人もまばらな公園の木々が風に揺れる音
コンビニの明かり
ああ、そして今日は満月だったよ!
これと言って何も起きていない風景の向こうに
ものすごく沢山のことが起きているのが見える
静寂の上に墨で絵を描くように
模様ができていくかのようにシーンが変わって行く
このろくでもない、素晴らしき世界
というのはすごいコピーだね
本当にろくでもない、とは思っていないけれど
一つの視点から見れば全くその通り
そしてもっと共感するのは
何があってもこの素晴らしき世界ということだ
世界は綺麗なところだ
駅をでてすぐの公園の草むらで
飛び散った吐瀉物で汚れた眼鏡を
目を近づけてはハンカチで拭う若い男を見ながら
ますますそう思った
電車のつり革につかまりながら
眠って隣の女性につつかれていた男性は
そっと揺すって起こして席を譲らせてもらいました。
40代前半くらいか。
普段はきっとすごくきちんとした人なのだろうと思われる。
ひっそりとだったけれど声をかけたら正気が戻ったのか
「大丈夫です」と断られたが、
こちらの意志ははっきりしている。
「すぐ降りるから」と座っていただいた。
座ると前に立っていた私と目を合わせては
本の少し気まずそうに会釈をしては目を閉じるとすぐに
また眠ってしまった。
愛おしくて涙がでそうだったよ。
おやすみなさい。地上に降りた天使達。
私達はみんな己が誰かを忘れてこの人間と言う変わった種族の
変わった物語の登場人物と思い込んで生きている。
その物語を主人公としてだけでなく
内容もまた書き換えることができるのだと言うことを
知る人は少ない。
やがて力を取り戻したあなたは
何も書き換える必要なく完璧な世界にいつもいることを
知ることだろう。
それが夢でも現実でもかまわない。
物事を変える努力を放棄せざる負えないことだろう。
目の前にある今が、あまりにも美しすぎて。