フランスでのテロは可成り衝撃的でした。
ISの無差別テロは単に人を殺すのが目的に思えます。
イスラム教の教義にも反しているのが明白ですが、洗脳されたとしか思えない行動。

先日、この事をある政党が街頭演説、「このテロが行なわれた」と言っているのに驚きました。
正当な行事の様な言い方に違和感がありました。
街頭演説が好きな彼の政党です。
京都では既に市長選挙の候補者名まで叫ぶ事前運動の名家。


このテロに対して世界は断固たる対決を表明しています。
しかし、このテロリストは世界が騒げば騒ぐ程強烈な達成感を抱くのです。
フランス人でかつて誘拐されたジャーナリストがテロリスト達の実態を明らかにしました。
それに寄ると彼らは狂信的ながら幼稚で単純だとか。
最も畏れるのは彼らの戦いが「聖戦」ではないと認識する事。
最も辛いのは「静かなる軽蔑」だとか。

事がここまで来れば静かなる軽蔑だけで済まない事は分かっていますが、対決を力強く表明すればする程彼らが強くなるのも事実。
この矛盾に世界がどう対処するのか。
解決の道筋は全く闇の中です。

テロと言っても種類があります。
ケネディの暗殺や安重根の伊藤博文の暗殺の様に個人を狙ったものと不特定多数の無関係の人を狙ったものとに分けられると思います。

人間には潜在意識にサディズムやマゾヒズムが潜んでいると言われています。
漁をして満足感を得るのはサディズム、マラソンなど身体の限界に挑むのはマゾヒズムの達成感という人も。
その潜在意識のサディズムが増幅して異常を来したのが無差別テロと言う訳。
貧困や差別が引き金になったとは言え、聖戦というお墨付きがその異常さを封印したと思われます。

個人の暗殺には已むに已まれない動機に一抹の理解すべき点も無いとは言えません。
ケネディの暗殺は闇に包まれていますが、伊藤博文の暗殺は思い違いという偶然的なものでもあります。
反日の英雄視されている安重根ですが、日韓併合を進めたくなかった伊藤博文を暗殺したのは彼の勘違いの思い込み。
彼は明治天皇や日本政府がアジアを西洋支配から立ち上がるべく後押ししている事に賛意や感謝の言葉を述べています。
理性的な彼なら本当はこの暗殺は有り得なかった。

テロ、殺意の目覚めはどうして起こり得るのでしょうか。