西山門
安岡寺は山号を南山、院号を般若院と号する天台宗の寺院で、
通称「高槻観音」と呼ばれています。
新西国観音霊場・客番及び近畿三十六不動尊霊場・第12番札所となっています。
JR高槻駅からバスの便も多く、公共交通を利用しても不便無く参詣できますが、
当日はバイク利用となりました。
安岡寺の西側に駐車場がありますが、結構急勾配の坂を登ります。
駐車場から少し東へ進んだ所に西山門があります。
西山門を入った正面に鐘楼があります。
鐘楼の前には枯山水の流れの脇に梅が花を咲かせていました。
鐘楼の北側に青梅(あおうめ)観音堂があります。
堂内にはかって、付近の真上村にあった安正寺の本尊である
木造千手観音坐像が安置されています。
廃仏毀釈により明治3年(1870)に安正寺が廃寺となったため、安岡寺に遷されました。
安正寺は青梅寺とも呼ばれ、観音像は青梅観音とも呼ばれていました。
木造千手観音坐像は像高137cm、平安時代の作で、国の重要文化財に指定されています。
日曜日と祝祭日に開扉されるようです。
青梅観音堂の東隣に鎮守社があり、熊鷹大神、大杉大神、天照大神、
白菊大神、蛭子大神、神服大神が祀られています。
鎮守社の右奥に井戸があり、神福大龍王が祀られています。
開成(かいじょう)皇子が、この地に安岡寺を建立された折、
この地の神福大龍王の口から湧き出た霊水とされています。
いかなる水飢饉の時でもこの清浄水は枯れること無く、古来僧や修験者達は
この水を清めの水として、また飲料として用いてきたと記されています。
青梅観音堂の東側に本堂があります。
安岡寺は宝亀6年(775)に開成皇子により創建されたと伝わります。
この地に霊験を感得した開成皇子は、自ら本尊の如意輪観音を刻み、
堂宇を建てて安置したのが安岡寺の始まりとされています。
開成皇子は第49代・光仁天皇の子で第50代・桓武天皇の兄にあたり、
天平神護元年(765)に宮中を出て勝尾山に入って禅居し、
善仲・善算の二人の師に出会って出家・受戒しました。
西国三十三所の勝尾寺やこれから向かう神峯山寺(かぶさんじ)及び本山寺も開基しました。
その後、安岡寺は文安年間(1444~1449)に焼失しましたが、
永正年間(1504~1521)に再建されました。
戦国時代には三好三人衆や高山右近の兵火を受け荒廃しました。
江戸時代の寛文年間(1661~1673)に良盛(りょうせい)により再建され、
四の塔頭を数え大いに栄えました。
しかし、明治の廃仏毀釈で衰微し、現在の規模に縮小されました。
本尊は開成皇子作と伝わる如意輪観音で、秘仏とされています。
本堂には脇侍として愛染明王坐像、不動明王立像が安置され、
不動明王立像は弘法大師の作と伝わります。
また、地蔵菩薩像などが安置されています。
境内の東側には開成皇子の供養塚があります。
本堂の東側に弘紹不動明王像と脇侍として矜羯羅・制多迦の
二童子の石仏が祀られています。
上部には滝も見えます。
毎年2月1日には柴灯大護摩供が大峯山の修験者によって行われます。
不動明王像の前面には広い護摩壇があります。
護摩壇の南側にも梅が咲き誇っています。
総門へと下りました。
門の前は勧請掛け(かんじょうがけ)でしょうか?
神峯山寺の参道にあるのと同じように見えます。
勧請掛け(かんじょうがけ)は門柱の横木にしきみをむすんだ12本の縄をかけ、
縄の高低長短によって、毎月の米価を占っていたとされています。
下った石段を上り、境内まで戻って青海観音堂の西側にある石段を上った所に
叶観音堂があります。
堂内には大阪の篤志家によって寄進された金銅の聖観音菩薩像が安置されています。
諸々の願いが叶うとされることから、「叶観音」と称されています。
叶観音堂から南西上方に開山堂があります。
開山堂の前から北東方向に、本堂の裏側辺りになる山頂付近に登って行くと
般若塚があります。
般若塚の石塔
般若塚の御親木
開成皇子の弟子である開智が、一字一石の大般若経600巻を書写して安置したとされ、
般若院と称される由縁となりました。
仲秋の名月の日には、万燈供養が行われます。



















