一の鳥居

谷性寺から東へ進み国道9号線、JR山陰線を超えて進んだ先に出雲大神宮があります。
御蔭山(みかげやま:御陰山、御影山、千年山、千歳山とも表記)を御神体とし、

その西麓に鎮座しています。
古代、丹波盆地が湖であった時代からこの地に古道が開かれ、人が住み、

御蔭山で祭祀が行われていたと推定されています。
出雲大神宮では、御蔭山は出雲御神体山と称されています。
『日本書紀』本文では、国常立尊(くにのとこたちのみこと)は天地開闢

(てんちかいびゃく)の際に出現した最初の神であり、天下って田場(たには)の

真伊原にましまして桑田の宮(出雲の宮)を築かれ、国の半分を農業として

理想的に統治された詳細が記されています。
亀岡は元は桑田郡に位置していました。
国常立尊が薨(こう)じられた後、田羽-田場-出雲御神体山に葬られ、

出雲毘女皇(いずもひめ の すめらぎ)らによってその御神体山の麓の祠に祀られました。
桑田の宮と国常立尊の祠は出雲毘女によって守護され、

出雲毘女皇が薨(こう)じられた後は、御神体山に葬られました。
毘女は三穂津毘女(みほつひめ)と諡(おくりな)されて祠に祀られ、

「出雲大神」と呼ばれるようになりました。
出雲御神体山が崇められるようになったのは三輪山より古く、社伝では現在の

出雲大社は出雲大神宮から勧請されたとし、「元出雲」の別称があります。

さざれ石

『日本紀略』の弘仁8年(818)12月16日条「丹波国桑田郡出雲社、名神に預る」という

記述があり、この時代にはすでに有力な神社になっていました。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では「丹波国桑田郡 出雲神社」と記載され、

名神大社に列せられ、正応5年(1292)には、雨乞いの功を示したことから神階が

最高位の正一位まで昇りました。
「丹波国一之宮」と称され、明治4年(1871年)5月14日の近代社格制度では

国幣中社に列せられました。
現在は神社本庁に属さない単立神社となっています。
また、平安時代末期には既に神宮寺が存在していたとみられ、明治の神仏分離令により、

北西の極楽寺に借地移転されました。
平安時代作の十一面観音菩薩像は、国の重要文化財に指定されています。

駐車場の西側の神池には弁財天社があり、

市杵島姫命(いちきしまひめ の みこと)が祀られています。

二の鳥居の手前には「なでうさぎ」が祀られています。
因幡の白兎に因むものと思われます。

二の鳥居

二の鳥居をくぐった右側(東側)に「真名井の泉」があります。
御神体山から湧き出る御神水とされています。

「真名井の泉」の左側(北側)に夫婦岩が祀られています。
出雲大神宮の主祭神・大国主命は日本一の縁結びの神とされています。

夫婦岩の左側に「大国 恵比須舎」があり、信楽焼きの二像が祀られています。
社殿創建1300年を記念して祀られました。
大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラが密教に取り入れられました。
密教の伝来とともに日本に伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、

軍神・戦闘神、富貴爵禄(ふうきしゃくろく=財産・爵位・俸禄があること)の神とされ、

特に財福を強調して祀られたものが、日本に伝わりました。
その後、神道の神である大国主と混同され、習合して、食物・財福を司る神となり、

微笑の相が加えられるようになりました。
現在見られるような米俵に乗り、打出の小槌を持った像容は江戸時代になってからです。

 

恵比須神は、唯一日本古来の神で、狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、

左脇に鯛を抱える姿で表されています。
大国主命の子で事代主神(ことしろぬしのかみ)と同一視されています。

拝殿

中門

社伝では出雲大神宮に社殿が造営されたのは和銅2年(709)10月21日とされ、

現在の本殿は鎌倉時代のもので、貞和元年(1345)に足利尊氏により修造され、

その後にも細川勝元により修造が加えられています。
現在の本殿は国の重要文化財に指定されています。

 

祭神は大国主命とその后・三穂津姫命(みほつひめのみこと)とし、

長寿、縁結び、金運の三大御神徳の信仰を集めています。
大国主命は少那毘古名命(すくなびこなのみこと)と共に人々に農業や医術を教え、

国造りを行いました。
荒ぶる八十神(やそがみ)を平定して日本の国土経営の礎を築きました。
その後、天照大御神の使者から国譲りを要請され、皇孫への永遠な国譲りを

約するものとして高皇産霊尊(たかみむすびのかみ)の娘・三穂津姫命を

后としたとされています。

 

本殿前に安置されている獅子・狛犬は、『徒然草』 第236段「丹波に出雲と云ふ処あり」で

下記のような内容で記されています。
「聖海上人が参拝した際、獅子・狛犬がむしろ向きに立っていました。
これは他に例を見ないことできっと由緒のあることに違いないと思って神官に尋ねると、

これは子供の悪戯だと答え、獅子・狛犬の向きを直して立ち去った」
現在の狛犬は当時のものとは違っているそうです。

 

出雲大神宮-その2(御神体山)に続く