myストレス解消法(その51) (^≗ω≗^)

ある日「妖精」がやってきた……そしてこんなソラゴトを囁いたとしたら!? …



今日も「ストレス解消」!?…「妄想」ブツブツ「妖精」のソラゴト続き …



「舞台のうえで、40代のバレリーナが踊っています。

『悲しみ』、『挫折』、『苦悩』、『夢』、『希望』、

そして、『自分への愛』を、

彼女は踊っているのです。

その心のなかを、覗いてみましょう。

『私は、巨大な才能のもとに、生まれてきた。

私は、才能のために生きる。

私は、美しさのために生きる。』

これは、彼女が『自分自身』のために、

事実如何にかかわらず、ひたすら『信じている』事柄なのです。

『to be or not to be』
(生きるべきか死すべきか)

その答えは、おそらく

『to be』
(生きるべき)

でしょう。

では、『to be』とはどういうことでしょうか。

その根源にあるのは、『自分への愛』です。

すべての『かりそめの心』

を取り除いていったとき、

最後に残るものは、きっと、『自分への愛』。

その次に強く残る『愛』は、きっと、

自分といっしょに人生を共にしてきた、

『家族への愛』。

そして、『自分への愛』こそは、

自分の才能を『自ら見出し』『信じて』、

自分を『救う』ための力です。

自分が変われば、周囲の人々の心は、

それに伴ってついてくるものです。

そして、『自分を変えるもの』こそは、

『自分への愛』と、

『自分の才能』を自ら理解し、『信じる』力です。

クラシック音楽の、国際コンクール出場者の演奏を聴いたとき、

たとえ、予選で落ちるべき運命の出場者であろうとも、

その演奏の、『凄さ』や『勢い』に、

涙が落ちるほど、感動することがあります。

それは、その人が、その人のすべて、

その人の才能のすべて、その人の人生のすべてを、

『その演奏』にぶつけているからです。

アマチュアの演奏家であっても、

音楽に『渾身の力』で向き合い、

自分にとっての『最上の音楽』を探求してきた結果、

『その演奏』があるとしましょう。

その音楽には、その人のすべて、

その人にとっての『そのときの真実のすべて』が

あらわれています。

しかし、それを『コンクール』といったかたちで、

勝ち負けで競った場合には、

受けにきた人のほとんどすべてが、

『渾身の力』で自らの音楽に向き合ってきたわけですから、

才能ある演奏家であっても、

『受賞』まではなかなかたどりつかないかもしれません。

そこで、音楽で生き残る道を、いったん諦めたとします。

その音楽に込めた、あなたの渾身の『才能の力』は、

まったく活かすことができず、そのまま立ち消えとなり、

消えてしまうものなのでしょうか。

必ずしも、そうではありません。

たとえば、『音楽』を演奏しているときには実感することのできる、

あなた自身の信じる、あなただけの『才能の力』を、

あなたの『日常の力』、あなたの『人間関係の力』、

あなたの『対人の力』に、

活かしてみたらどうでしょうか。

『音楽の才能』とは、すなわち、その音楽の『美しさ』です。

才能とは『美しさ』であり、

あなたが『女』であるとしたら、

あなたの『女らしさ』であることでしょう。

そのあなたの『才能の美しさ』

あなたの『女らしさ』の力を、

あなたの身体という『ひとつの楽器』『ひとつのハコ』を駆使して、

表現してみましょう。

それがあなたの『表現力』、あなただけの『才能』です。

あなたの『外見』が、もし美しいならば、

すべての男性と女性は、老若男女問わず、

たとえ、『うわべやかりそめの心』であろうとも、

あなたに『惹きつけられる』ことでしょう。

そしてあなたはたしかに、『あなた自身が信じるとおり』の存在、

つまり誰よりも『才能がある』存在なのです。

『才能』とは『美しさ』であり、『女らしさ』です。

あなたがその『美しさ』『女らしさ』の表現力を、

『あなたの身体』という、

あなたにぴったりの楽器をもって表現すれば、

あなたの『対人の力』が上がったことに、

すべての人々が気が付くのです。

そのときこそ、あなたは、

『人々の心を惹きつける』『人々を味方につける』

対人の力を、『完全に』手にすることでしょう。

そのときこそは、あなたが過去に、長年苦しんできた

『人間不信の病』『対人において適切な感情表現ができなくなる病』

などは、あなた自身の信じるとおりの『才能の巨大さ』の前に膝を屈し、

敗北を喫することでしょう。

『to be』の意味とは、

あなたが自分を愛し、自分の才能を愛し、

その才能を、『あなたが生まれ落ちたその身体』を

楽器のように使って、表現するということではないでしょうか。

それは、あなたが『踊ること』の意味であり、

あなたが『生きること』の意味であり、

あなたの『身体があること』、

すなわち、あなたの『to be』の

意味するところです。

『身体』が滅びたあと、

『精神』の一部が、なんらかのかたちで残るかどうかは、

はっきりとはわかりません。

それは『神の領域』で、

『人の理解の及ぶ範囲』をおそらく超える事柄です。

『源氏物語』では、『六条の御息所』は死した後も

『死霊』はなお存在し、永遠の悲しみのもと祟り続けます。

『精神』の死は、『肉体』の死ほどさだかではありません。

そして、少なくとも、

あなたの『身体』が滅びるそのときがくるまでは、

あなたは、あなたのもって生まれ落ちたその『身体』を使って、

『あなただけの才能』を表現しつづけることでしょう。

それこそは、『to be』

すなわち、

あなたが『生きること』の、

意味することではないでしょうか。」