10月といえば「読書の秋」。
「秋の夜長」を、ゆっくり読書しながら心静かに過ごす習慣は、日本人特有のものであるらしい(英語に類似の表現は存在しない)。
この秋から「源氏物語」にハマってしまった。
そして、「源氏物語」を読めば読むほど、「読書の秋」という言葉の深さが、なんとなくわかってくる気がする。
「好きこそものの上手なれ」ということわざがある。
「源氏物語」は、ハマればすごく楽しいし生きがいや癒しになる。
そして「日本語らしい語彙」で書かれた「やや難解」な文学を、「楽しみ」のために読むようになると、
「物事を深く理解する力」「洞察力」「語彙の豊富さ」「説得力」などが身につく。
子供の頃(小学生時代)は、「源氏物語」のほかにも「夜半の寝覚」「とりかへばや物語」「有明の別れ」「落窪物語」「とはずがたり」などの平安時代の女房文学の面白さにハマり、夢中で読みふけった。
自然と「理解力/洞察力/論理性」「文脈を読む力」「古文や漢文の力」などが身に付き、
そうした「読書から得られる力」は「勉強全般に応用できる力」であるため、
「勉強ができる」という子供時代の「自信」の根幹となった。
大人になってからは、「やや難解な文学を楽しみで読む」習慣を忘れてしまった。
「文系」だとなんとなく思っていたけれど、その「文系の力」は、「かつての読書の名残り」にすぎなくなってしまった。
それとともに、「かつてあった自信」もしだいに失われていった。
「読書の秋」に、子供時代に強い印象を受けた「谷崎潤一郎訳の源氏物語」にもう一度ハマってみることで、
「読書の習慣」を忘れてから「失ったもの」の大きさに気付いた。
なぜ子供の頃のように、「ちょっと背伸びしたくらいの読書」が「人生最高のいきがい」であるような「習慣」や「幸せ」を見失ってしまったのだろう。
ずっと「読書家」であり続けていたら、人生は変わっていたかもしれない。
もちろん「読書」だけでは、「対人の力」が伸び悩むこともある。
すべての「読書家」が「対人力の達人」だとは限らない。
「テレビ」や「ユーチューブ動画」などの「視覚的な情報」や、自分自身の「鏡の研究」から、「ビジュアル」や「ダンス」などの力を伸ばして、「対人力アップ」につなげることが大事だったりする。
だけど、そしてある程度ビジュアルやダンスの方面の努力で「対人」に自信がついたら、あとは「読書」の習慣を取り戻すことで、「資料を読み込む力」や「対人における説得力」はアップするはずだ。
「子供の頃の文系の自信」を取り戻すことで、「かつての読書の名残りの力」だったものが、きっと「本当の力」になる。
そして「源氏物語」の著名な「現代語訳」はいろいろあるけれど、
私はなぜか「谷崎潤一郎」訳のファンで、ほかの訳にはどこかなじみにくかった。

その理由は、訳者の「谷崎潤一郎」自身が、超一流の「作家」であるためだと思う。
「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」など、
日本を代表とする小説の著者である「谷崎潤一郎」の訳ならば、
「紫式部の原文」から「現代語訳」という「ワンクッション」おいていても、
「日本語によるひとつの文学作品」として、味わい深くなじみやすい。

それに「紫式部」と作家「谷崎潤一郎」の「感性」「個性」は奇妙にマッチしているし、「注釈」も充実している。
一番「古文らしさ」を感じさせる「現代語訳」でもあり「受験」の「即戦力」にも向いている。
まずは谷崎潤一郎訳の「源氏物語」を、腰を落ち着けてゆっくりじっくり読もう。
それからその他の文学にも手を伸ばして、
「ちょっと背伸びする」くらいの「読書」の習慣を身に付けよう。
もっとも「得意」だったものは「文系の力」。
それさえ「読書の習慣」を失えば「なきに等しい」力。
「継続は力なり」…「読書」の習慣を続ければ「文系の力」はきっと戻る。
「今年の秋」こそは、きっと「本気」の「読書の秋」!!?
■「大和絵土佐派」の絵師「土佐光吉」の作品など、安土桃山以降の源氏絵の世界から!

※蹴鞠(「若菜・上」巻)

※蹴鞠(「若菜・上」巻)

※衣配り(きぬくばり)(「玉鬘」巻)

※衣配り(きぬくばり)(「玉鬘」巻)

※野分(台風)後の「秋好中宮」里邸(「野分」巻)

※野分(台風)後の「秋好中宮」里邸(「野分」巻)

※「桐壺帝」は若宮(「光源氏」)の将来を案じ、高麗の相人に運勢を見させる(「桐壺」巻)

※「桐壺帝」は若宮(「光源氏」)の将来を案じ、高麗の相人に運勢を見させる(「桐壺」巻)

※「桐壺帝」の行幸の楽舞で、「頭中将」と共に「青海波」を舞う「光源氏」(「紅葉賀」巻)

※「青海波」を舞う「光源氏」と「頭中将」(「紅葉賀」巻)

※「青海波」を舞う「光源氏」と「頭中将」(「紅葉賀」巻)

※幼い「紫の上」を垣間見する「光源氏」(「若紫」巻)

※幼い「紫の上」を垣間見する「光源氏」(「若紫」巻)

※都落ちし須磨にわび住まいをする「光源氏」が、「惟光」ら従者と歌を詠みかわす(「須磨」巻)

※都落ちし須磨にわび住まいをする「光源氏」が、「惟光」ら従者と歌を詠みかわす(「須磨」巻)

※宇治八の宮を訪れた薫が、箏、琵琶を奏でる大姫君と中の君を垣間見る。撥で月を招く中の君(「橋姫」巻)

※宇治八の宮を訪れた薫が、箏、琵琶を奏でる大姫君と中の君を垣間見る(「橋姫」巻)

※車争い(「葵」巻)

※車争い(「葵」巻)

※「光源氏」の養女「梅壺女御(秋好中宮)」と頭中将の娘「弘徽殿女御」が物語絵の優劣を競う(「絵合」巻)

※「光源氏」の養女「梅壺女御(秋好中宮)」と頭中将の娘「弘徽殿女御」が物語絵の優劣を競う(「絵合」巻)

※娘の斎宮(後の「秋好中宮」)とともに伊勢へ下向する「六条御息所」を嵯峨の野宮に訪れ名残りを惜しむ「光源氏」(「賢木」巻)

※「秋好中宮」の六条院の里邸「秋の御殿」より「紫の上」の「春の御殿」へ、童女に持たせた箱のふたに花もみじを取り交ぜて歌が贈られる「心から春待つ園はわがやどのもみぢを風のつてにだに見よ」(「乙女」巻)

※「空蝉」と「軒端荻」の囲碁対局(「空蝉」巻)

※「空蝉」の寝所に忍ぶ「光源氏」。気配を察した「空蝉」は、傍らに寝入る「軒端荻」を残して部屋を逃れ出る(「空蝉」)

※常陸宮の姫君「末摘花」に想いを寄せる「光源氏」。姫君の気配を伺おうと常陸宮邸の透垣に近づく「光源氏」は、同じく姫に想いをかける「頭中将」と出くわす(「末摘花」巻)

※「光源氏」が都落ちした後、貧しさに耐えひたすら帰りを待ち続ける「末摘花」。都に返り咲いた後、「末摘花」をすっかり忘れていた「光源氏」は、荒れ果てた館を偶然通りがかり、ようやくその存在を思い出す(「蓬生」巻)

※「朧月夜」との出会い(「花宴」巻)

※夕顔の花を所望する「光源氏」のため、花を折り取ろうとする従者に、「夕顔」の侍女から花を載せるための扇が渡される。扇に書きつけられた歌「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」(「夕顔」巻)

※「花散里」を訪れる道すがら、「光源氏」の一度逢ったことのある女の住まう風情ありげな館から、にぎやかな琴の音が聞こえる(「花散里」)

※物思いにふける「光源氏」(「若紫」巻)

※雛遊びに夢中の幼い「紫の上」を訪れる「光源氏」。乳母の「少納言」が、「もう奥様なのですから少しは大人らしくなさいませ」と「紫の上」をたしなめる(「紅葉賀」巻)

※「紫の上」を賀茂の祭につれだそうと「光源氏」が手ずからその髪をそぎ、「千尋」と祝いごとをいう(「葵」巻)

※六条院の春の町「船楽の遊び」(「胡蝶」巻)

※六条院・女楽(「若菜・下」巻)

※住吉に詣でて偶然「光源氏」一行の華麗な行列に遭遇し、身分の差を実感する「明石の上」(「澪標」巻)

※「紫の上」の養女として手放す娘「明石の姫君」を腕に抱く「明石の上」(「薄雲」巻)

※「明石の姫君」の御殿。生母「明石の上」から果物を入れた鬚籠や新年の食物を入れた破子などが贈られる(「初音」巻)

※六条院の新春、「明石の上」の御殿を訪れる「光源氏」(「初音」)

※「蛍兵部卿宮」に見せようと蛍の光で「玉鬘」の姿を照らしだす「光源氏」(「蛍」巻)

※「大宮」の喪に服す「玉鬘」を「夕霧」が訪れ、帝の勅旨を伝えるのにかこつけて想いを伝えようとする(「藤袴」巻)

※「略奪婚」のような形で「髭黒大将」と強引に結婚するはめになった「玉鬘」。「髭黒大将」の長年冷え切った仲の妻は、いそいそと「玉鬘」のもとに出かけようとする夫の後ろから、香炉を火と灰もろともに浴びせかける(「藤袴」巻)

※源氏の四十歳の賀宴で祝いの席につく「光源氏」「玉鬘」「玉鬘の産んだ息子たち」(「若菜上」巻)

※「玉鬘」と故「髭黒大将」の長女「大姫君」と次女「中姫君」が、桜を賭けて囲碁を打つところを、「大姫君」に想いを寄せる「蔵人少将」が垣間見る

※出家した「女三宮」と不義の子「薫」を訪れる「光源氏」。幼い「匂宮」が女房に抱かれやってくる(「幻」巻)

※「夕霧」の夢枕に「柏木」が現われ、笛を自分の子孫(「薫」)に伝えてほしいと歌を詠みかける(「横笛」)

※亡き友人「柏木」の妻「落葉の宮」に惹かれていく「夕霧」。「落葉の宮」の母からの手紙を読んでいると、妻「雲居の雁」が後ろから手紙を奪い取る(「夕霧」巻)

※「朝顔の姫君」への想いを断ち切れない「光源氏」。嫉妬する「紫の上」を慰めるため、雪月夜の二条院で雪転しをさせる(「朝顔」巻)

※「朝顔の姫君」から贈られた薫香を受け取る光源氏(「梅枝」巻)

※夕霧が六条院で催した「賭弓の還饗(のりゆみのかえりあるじ)」に匂宮と薫が招かれる(「匂宮」巻)
■好きな和歌から!
「世の中は 夢かうつつか うつつとも
夢とも知らず ありてなければ」
(@よみ人知らず(「古今和歌集」))
「見ずもあらず 見もせぬ人の 恋しくば
あやなく今日や 眺めくらさん」
(@「柏木」(「伊勢物語」より引き歌)「若菜上」巻)
「片糸を かなたこなたに よりかけて
あはずば何を 玉の緒にせん」
(@「薫」(「古今集」より引き歌)「総角」巻)
「あふことは 遠山鳥の 目もあはず
あはずてこよひ 明かしつるかな」
(@「紫式部」(「花鳥餘情所引」より引き歌)「総角」巻)
「深き夜の 哀ればかりは ききわけど
こと(琴)よりほかに えやはいひける」
(@「落葉の宮」「横笛」巻)
「わが恋は むなしき空に 満ちぬらし
思ひやれども 行くかたもなし」
(@「薫」「東屋」巻/「匂宮」「浮舟」巻(「古今集」より引き歌))
「白雲の 晴れぬ雲井に まじりなば
いづれかそれと 君は尋ねん」
(@「浮舟」(「花鳥餘情所引」より引き歌)「浮舟」巻)
「へだてなく 蓮の宿を ちぎりても
君がこころや すまじ(住まじ)とすらん」
(@「女三宮」「鈴虫」巻)
「おほかたの 我が身一つの うきからに
なべての世をも 恨みつる哉」
(@「中の君」「寄生」巻/「弁のお許」「早蕨」巻/「浮舟の母」「東屋」巻(「拾遺集」より引き歌))
「わが庵は 都のたつみ 然(しか)ぞすむ
世をうぢやまと 人はいふなり」
(@「紫式部」(「古今集」より引き歌)「椎本」巻)
「世の人は 我を何とも 言わば言え
我なす事は 我のみぞ知る」
(@「坂本龍馬」)
「ある時は ありのすさびに 憎かりき
なくてぞ人の 恋しかりける」
(@「紫式部」(「源氏物語奥入所引」より引き歌)「桐壺」巻)
「たらちめは かかれとてしも うば玉の
わが黒髪を 撫でずやありけん」
(@「浮舟」(「後撰集」より引き歌)「手習」巻)
「ここにしも なに匂ふらん 女郎花
人のものいひ さがにくき世に」
(@「尼君の昔の婿の中将」(「拾遺集」より引き歌)「手習」巻)
■自作の和歌(´-`;)
「誰が夢ぞ 誘ふ通ひ路 吹き閉じよ
我が身ひとつは 風のまにまに」
(@「somethingspecial4」)
「逢魔が原 夢の通ひ路 閉じやせむ
恋しき人の 風の移り香」
(@「somethingspecial4」)
「夢が関 恋しき人も 来し路を
閉じやせむとて けふも過ぎぬる」
(@「somethingspecial4」)
「風そよぐ 秋の夜長の 望月の
淡き月影 ましませ吾が君」
(@「somethingspecial4」)
■好きなことわざから!
「船頭多くして船山に上る」
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」
「沈黙は金、雄弁は銀」
「昔取った杵柄」
「三つ子の魂百まで」
「好きこそものの上手なれ」
「人間万事塞翁が馬」
「柳に雪折れなし」
「柔よく剛を制す」
「禍を転じて福と為す」
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」
「癖ある馬に能あり」
「玉磨かざれば光なし」
「四十にして惑わず」
「いずれ菖蒲か杜若」
「百聞は一見にしかず」
「仰いで天に愧じず」
「断じて行えば鬼神も之を避く」
「精神一到何事か成らざらん」
「読書百遍義自ずから見る」

「秋の夜長」を、ゆっくり読書しながら心静かに過ごす習慣は、日本人特有のものであるらしい(英語に類似の表現は存在しない)。
この秋から「源氏物語」にハマってしまった。
そして、「源氏物語」を読めば読むほど、「読書の秋」という言葉の深さが、なんとなくわかってくる気がする。
「好きこそものの上手なれ」ということわざがある。
「源氏物語」は、ハマればすごく楽しいし生きがいや癒しになる。
そして「日本語らしい語彙」で書かれた「やや難解」な文学を、「楽しみ」のために読むようになると、
「物事を深く理解する力」「洞察力」「語彙の豊富さ」「説得力」などが身につく。
子供の頃(小学生時代)は、「源氏物語」のほかにも「夜半の寝覚」「とりかへばや物語」「有明の別れ」「落窪物語」「とはずがたり」などの平安時代の女房文学の面白さにハマり、夢中で読みふけった。
自然と「理解力/洞察力/論理性」「文脈を読む力」「古文や漢文の力」などが身に付き、
そうした「読書から得られる力」は「勉強全般に応用できる力」であるため、
「勉強ができる」という子供時代の「自信」の根幹となった。
大人になってからは、「やや難解な文学を楽しみで読む」習慣を忘れてしまった。
「文系」だとなんとなく思っていたけれど、その「文系の力」は、「かつての読書の名残り」にすぎなくなってしまった。
それとともに、「かつてあった自信」もしだいに失われていった。
「読書の秋」に、子供時代に強い印象を受けた「谷崎潤一郎訳の源氏物語」にもう一度ハマってみることで、
「読書の習慣」を忘れてから「失ったもの」の大きさに気付いた。
なぜ子供の頃のように、「ちょっと背伸びしたくらいの読書」が「人生最高のいきがい」であるような「習慣」や「幸せ」を見失ってしまったのだろう。
ずっと「読書家」であり続けていたら、人生は変わっていたかもしれない。
もちろん「読書」だけでは、「対人の力」が伸び悩むこともある。
すべての「読書家」が「対人力の達人」だとは限らない。
「テレビ」や「ユーチューブ動画」などの「視覚的な情報」や、自分自身の「鏡の研究」から、「ビジュアル」や「ダンス」などの力を伸ばして、「対人力アップ」につなげることが大事だったりする。
だけど、そしてある程度ビジュアルやダンスの方面の努力で「対人」に自信がついたら、あとは「読書」の習慣を取り戻すことで、「資料を読み込む力」や「対人における説得力」はアップするはずだ。
「子供の頃の文系の自信」を取り戻すことで、「かつての読書の名残りの力」だったものが、きっと「本当の力」になる。
そして「源氏物語」の著名な「現代語訳」はいろいろあるけれど、
私はなぜか「谷崎潤一郎」訳のファンで、ほかの訳にはどこかなじみにくかった。

その理由は、訳者の「谷崎潤一郎」自身が、超一流の「作家」であるためだと思う。
「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」など、
日本を代表とする小説の著者である「谷崎潤一郎」の訳ならば、
「紫式部の原文」から「現代語訳」という「ワンクッション」おいていても、
「日本語によるひとつの文学作品」として、味わい深くなじみやすい。

それに「紫式部」と作家「谷崎潤一郎」の「感性」「個性」は奇妙にマッチしているし、「注釈」も充実している。
一番「古文らしさ」を感じさせる「現代語訳」でもあり「受験」の「即戦力」にも向いている。
まずは谷崎潤一郎訳の「源氏物語」を、腰を落ち着けてゆっくりじっくり読もう。
それからその他の文学にも手を伸ばして、
「ちょっと背伸びする」くらいの「読書」の習慣を身に付けよう。
もっとも「得意」だったものは「文系の力」。
それさえ「読書の習慣」を失えば「なきに等しい」力。
「継続は力なり」…「読書」の習慣を続ければ「文系の力」はきっと戻る。
「今年の秋」こそは、きっと「本気」の「読書の秋」!!?
■「大和絵土佐派」の絵師「土佐光吉」の作品など、安土桃山以降の源氏絵の世界から!

※蹴鞠(「若菜・上」巻)

※蹴鞠(「若菜・上」巻)

※衣配り(きぬくばり)(「玉鬘」巻)

※衣配り(きぬくばり)(「玉鬘」巻)

※野分(台風)後の「秋好中宮」里邸(「野分」巻)

※野分(台風)後の「秋好中宮」里邸(「野分」巻)

※「桐壺帝」は若宮(「光源氏」)の将来を案じ、高麗の相人に運勢を見させる(「桐壺」巻)

※「桐壺帝」は若宮(「光源氏」)の将来を案じ、高麗の相人に運勢を見させる(「桐壺」巻)

※「桐壺帝」の行幸の楽舞で、「頭中将」と共に「青海波」を舞う「光源氏」(「紅葉賀」巻)

※「青海波」を舞う「光源氏」と「頭中将」(「紅葉賀」巻)

※「青海波」を舞う「光源氏」と「頭中将」(「紅葉賀」巻)

※幼い「紫の上」を垣間見する「光源氏」(「若紫」巻)

※幼い「紫の上」を垣間見する「光源氏」(「若紫」巻)

※都落ちし須磨にわび住まいをする「光源氏」が、「惟光」ら従者と歌を詠みかわす(「須磨」巻)

※都落ちし須磨にわび住まいをする「光源氏」が、「惟光」ら従者と歌を詠みかわす(「須磨」巻)

※宇治八の宮を訪れた薫が、箏、琵琶を奏でる大姫君と中の君を垣間見る。撥で月を招く中の君(「橋姫」巻)

※宇治八の宮を訪れた薫が、箏、琵琶を奏でる大姫君と中の君を垣間見る(「橋姫」巻)

※車争い(「葵」巻)

※車争い(「葵」巻)

※「光源氏」の養女「梅壺女御(秋好中宮)」と頭中将の娘「弘徽殿女御」が物語絵の優劣を競う(「絵合」巻)

※「光源氏」の養女「梅壺女御(秋好中宮)」と頭中将の娘「弘徽殿女御」が物語絵の優劣を競う(「絵合」巻)

※娘の斎宮(後の「秋好中宮」)とともに伊勢へ下向する「六条御息所」を嵯峨の野宮に訪れ名残りを惜しむ「光源氏」(「賢木」巻)

※「秋好中宮」の六条院の里邸「秋の御殿」より「紫の上」の「春の御殿」へ、童女に持たせた箱のふたに花もみじを取り交ぜて歌が贈られる「心から春待つ園はわがやどのもみぢを風のつてにだに見よ」(「乙女」巻)

※「空蝉」と「軒端荻」の囲碁対局(「空蝉」巻)

※「空蝉」の寝所に忍ぶ「光源氏」。気配を察した「空蝉」は、傍らに寝入る「軒端荻」を残して部屋を逃れ出る(「空蝉」)

※常陸宮の姫君「末摘花」に想いを寄せる「光源氏」。姫君の気配を伺おうと常陸宮邸の透垣に近づく「光源氏」は、同じく姫に想いをかける「頭中将」と出くわす(「末摘花」巻)

※「光源氏」が都落ちした後、貧しさに耐えひたすら帰りを待ち続ける「末摘花」。都に返り咲いた後、「末摘花」をすっかり忘れていた「光源氏」は、荒れ果てた館を偶然通りがかり、ようやくその存在を思い出す(「蓬生」巻)

※「朧月夜」との出会い(「花宴」巻)

※夕顔の花を所望する「光源氏」のため、花を折り取ろうとする従者に、「夕顔」の侍女から花を載せるための扇が渡される。扇に書きつけられた歌「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」(「夕顔」巻)

※「花散里」を訪れる道すがら、「光源氏」の一度逢ったことのある女の住まう風情ありげな館から、にぎやかな琴の音が聞こえる(「花散里」)

※物思いにふける「光源氏」(「若紫」巻)

※雛遊びに夢中の幼い「紫の上」を訪れる「光源氏」。乳母の「少納言」が、「もう奥様なのですから少しは大人らしくなさいませ」と「紫の上」をたしなめる(「紅葉賀」巻)

※「紫の上」を賀茂の祭につれだそうと「光源氏」が手ずからその髪をそぎ、「千尋」と祝いごとをいう(「葵」巻)

※六条院の春の町「船楽の遊び」(「胡蝶」巻)

※六条院・女楽(「若菜・下」巻)

※住吉に詣でて偶然「光源氏」一行の華麗な行列に遭遇し、身分の差を実感する「明石の上」(「澪標」巻)

※「紫の上」の養女として手放す娘「明石の姫君」を腕に抱く「明石の上」(「薄雲」巻)

※「明石の姫君」の御殿。生母「明石の上」から果物を入れた鬚籠や新年の食物を入れた破子などが贈られる(「初音」巻)

※六条院の新春、「明石の上」の御殿を訪れる「光源氏」(「初音」)

※「蛍兵部卿宮」に見せようと蛍の光で「玉鬘」の姿を照らしだす「光源氏」(「蛍」巻)

※「大宮」の喪に服す「玉鬘」を「夕霧」が訪れ、帝の勅旨を伝えるのにかこつけて想いを伝えようとする(「藤袴」巻)

※「略奪婚」のような形で「髭黒大将」と強引に結婚するはめになった「玉鬘」。「髭黒大将」の長年冷え切った仲の妻は、いそいそと「玉鬘」のもとに出かけようとする夫の後ろから、香炉を火と灰もろともに浴びせかける(「藤袴」巻)

※源氏の四十歳の賀宴で祝いの席につく「光源氏」「玉鬘」「玉鬘の産んだ息子たち」(「若菜上」巻)

※「玉鬘」と故「髭黒大将」の長女「大姫君」と次女「中姫君」が、桜を賭けて囲碁を打つところを、「大姫君」に想いを寄せる「蔵人少将」が垣間見る

※出家した「女三宮」と不義の子「薫」を訪れる「光源氏」。幼い「匂宮」が女房に抱かれやってくる(「幻」巻)

※「夕霧」の夢枕に「柏木」が現われ、笛を自分の子孫(「薫」)に伝えてほしいと歌を詠みかける(「横笛」)

※亡き友人「柏木」の妻「落葉の宮」に惹かれていく「夕霧」。「落葉の宮」の母からの手紙を読んでいると、妻「雲居の雁」が後ろから手紙を奪い取る(「夕霧」巻)

※「朝顔の姫君」への想いを断ち切れない「光源氏」。嫉妬する「紫の上」を慰めるため、雪月夜の二条院で雪転しをさせる(「朝顔」巻)

※「朝顔の姫君」から贈られた薫香を受け取る光源氏(「梅枝」巻)

※夕霧が六条院で催した「賭弓の還饗(のりゆみのかえりあるじ)」に匂宮と薫が招かれる(「匂宮」巻)
■好きな和歌から!
「世の中は 夢かうつつか うつつとも
夢とも知らず ありてなければ」
(@よみ人知らず(「古今和歌集」))
「見ずもあらず 見もせぬ人の 恋しくば
あやなく今日や 眺めくらさん」
(@「柏木」(「伊勢物語」より引き歌)「若菜上」巻)
「片糸を かなたこなたに よりかけて
あはずば何を 玉の緒にせん」
(@「薫」(「古今集」より引き歌)「総角」巻)
「あふことは 遠山鳥の 目もあはず
あはずてこよひ 明かしつるかな」
(@「紫式部」(「花鳥餘情所引」より引き歌)「総角」巻)
「深き夜の 哀ればかりは ききわけど
こと(琴)よりほかに えやはいひける」
(@「落葉の宮」「横笛」巻)
「わが恋は むなしき空に 満ちぬらし
思ひやれども 行くかたもなし」
(@「薫」「東屋」巻/「匂宮」「浮舟」巻(「古今集」より引き歌))
「白雲の 晴れぬ雲井に まじりなば
いづれかそれと 君は尋ねん」
(@「浮舟」(「花鳥餘情所引」より引き歌)「浮舟」巻)
「へだてなく 蓮の宿を ちぎりても
君がこころや すまじ(住まじ)とすらん」
(@「女三宮」「鈴虫」巻)
「おほかたの 我が身一つの うきからに
なべての世をも 恨みつる哉」
(@「中の君」「寄生」巻/「弁のお許」「早蕨」巻/「浮舟の母」「東屋」巻(「拾遺集」より引き歌))
「わが庵は 都のたつみ 然(しか)ぞすむ
世をうぢやまと 人はいふなり」
(@「紫式部」(「古今集」より引き歌)「椎本」巻)
「世の人は 我を何とも 言わば言え
我なす事は 我のみぞ知る」
(@「坂本龍馬」)
「ある時は ありのすさびに 憎かりき
なくてぞ人の 恋しかりける」
(@「紫式部」(「源氏物語奥入所引」より引き歌)「桐壺」巻)
「たらちめは かかれとてしも うば玉の
わが黒髪を 撫でずやありけん」
(@「浮舟」(「後撰集」より引き歌)「手習」巻)
「ここにしも なに匂ふらん 女郎花
人のものいひ さがにくき世に」
(@「尼君の昔の婿の中将」(「拾遺集」より引き歌)「手習」巻)
■自作の和歌(´-`;)
「誰が夢ぞ 誘ふ通ひ路 吹き閉じよ
我が身ひとつは 風のまにまに」
(@「somethingspecial4」)
「逢魔が原 夢の通ひ路 閉じやせむ
恋しき人の 風の移り香」
(@「somethingspecial4」)
「夢が関 恋しき人も 来し路を
閉じやせむとて けふも過ぎぬる」
(@「somethingspecial4」)
「風そよぐ 秋の夜長の 望月の
淡き月影 ましませ吾が君」
(@「somethingspecial4」)
■好きなことわざから!
「船頭多くして船山に上る」
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」
「沈黙は金、雄弁は銀」
「昔取った杵柄」
「三つ子の魂百まで」
「好きこそものの上手なれ」
「人間万事塞翁が馬」
「柳に雪折れなし」
「柔よく剛を制す」
「禍を転じて福と為す」
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」
「癖ある馬に能あり」
「玉磨かざれば光なし」
「四十にして惑わず」
「いずれ菖蒲か杜若」
「百聞は一見にしかず」
「仰いで天に愧じず」
「断じて行えば鬼神も之を避く」
「精神一到何事か成らざらん」
「読書百遍義自ずから見る」
