※薔薇「ノスタルジー」

「一点もの」とか「手作り」とか、そういう言葉をきくとワクワクする。

たとえば日本の古いものの場合、「大量生産」が一般的でなかった時代に職人や庶民の「手仕事」で作られたものが多い。

そうしたものの多くは、「戦火」を潜り抜けたり「時代」の移り変わりに埋もれたりするなかで、失われてきた。

でもごく一部のものは、今日まで大切に伝えられてきたものが、持ち主を失って「不要品」となり、骨董店やネットオークションなどで、再び利用してくれる人が現われるのを待っている。

そうしたものには、「失われた時代の残り香」や「人々の暮らしの息遣い」、「丁寧な仕事をしていた職人の技と経験と魂」が込められている。

そうしたものを再び利用して、お人形さんに古布の衣装を着せてあげたりすると、ごく新品のお人形であっても「時代の名残り」を身に付けた「ゆかしい存在」となる。

古い市松人形も、状態のよい古布を利用して着物を仕立て直してあげれば見違えるほど立派に蘇る。

古布でパッチワークをしたり、吊るし飾りやカバンなどを作ってもかわいい。

むかしから「骨董市めぐり」が趣味だったけれど、「古布」を専門とする店の周辺はいつも賑わっていた。

当時の私は木でできた古い仏像ばかりに目が行っていたため、「古布」の店にむらがる人々の気持ちはわからなかった。

今であれば、それらの古布をただ「着る」人もいるだろうけど、「リメイク」して新しいものを作り出すということに「至福の喜び」を感じる人がいるのだろうということもわかってきた。

古い一点ものの布をただ眺めているだけで気持ちが「グラウンディング」し、「落ち着き」と「安らぎ」を感じる。

そうした古いものでお人形に服を作ってあげたり、パッチワークをしたり小物を作ったりすると、「古いものを新しい形によみがえらせる」という「あらたな価値の創造」による喜びも得られる。

そして、まったく新品の大量生産品だけで作ったものよりも、「味わい」「深み」が増して歴史を感じられる作品ができあがるのだ。

そうしたものといっしょに暮してみれば、「安らぎ」「リラックス感」「なつかしさ」「自分らしい時間」を忘れずにいられるだろう。

現代は「大量生産(マスプロダクション)」の時代。

暮らしは便利になり、欲しいものがより手に入りやすくなった。

その「自由」を手に入れることの「難しさ」と「奇跡」は、人類の歴史の「果てない努力」と「進歩」の軌跡の果てにある。

そんな時代を生きられることを喜ぶとともに、

昔ながらの「職人の手仕事」「一点もののぬくもりやなつかしさ」「日本伝統の文様や技術の美しさ」を今の世に伝えてくれる、古い一点ものアンティークの残り香を、骨董市やネットに求めたり、

ふらりと立ち寄った場所で見かけた古裂の衣装をまとった市松人形を連れ帰ってきてそっと愛でたりするひとときを、「自分らしい時間」として大切にしたい。

(「人形の小島」の「市松人形」と「飛騨さしこ」の巾着)