myストレス解消法(その27)(๑′ᴗ‵๑)



むかしの活動は、「集積」かも!?

活動の最新の1頁に「人間性」のすべてがこめられており、それを「否定」されるとすべてが否定される…なんてコトないョ

それより、私を知っているヒトが私を見かけたとき、「かわいくなってきている」とか、「ドラマ性がある」とか、「表現力がある」とか思って、見たことに満足して帰っていく。

そういうのが、生きがい!?

それをバネに、そのヒトの実物が「成長」する…それが、これからのストーリーになる!?

「目」に張りがあり物語っているか、それができないときは、伏目がちでも物思いか悲しみにふけるような情緒ある「瞳」が、必要。

それもできないときは、「踊り」で学んだジェスチャーでごまかそうとするけど、「目」の表情も大事。

そして、「気が強い」ふりして「頼るもの」を探してる、かわいがられたい生き物。

「外見」が一番よくみえるときの私は、「理づめで物事を考える四角定規で真面目な人物」ではなく、「いつもピュアで澄んだ感情を浮かべている女性」。

外出する日もプライベートの日も、「ピュアで澄んだ感情をもつ女性」でいないといけない。

いまの私は、"自分"が定まる前の"自分探し"の段階なので、どんな性格にもなれる。

「外見」に合わせた「内面」にならきゃ。

それさえあれば、ヒトビトはうなずいて、帰っていく。

そして、ひとりぼっちのときや、家にいるときも、いっつも、「外見」に合わせたワタシでいよう。

それだけでいい。

私は、「うまくいかなかった物語」を背負って、自分の人生を生きる。

「好きなヒト」は、「私」という生きて動く「物語」があることで、「名声」を維持する。

ほかのヒトは、「終わったストーリー」についてなんのジェラシーや嫌な想いもなく、「好きなヒト」を追いかけられる。

このあたりが落としどころかも!?

(つづく・・)