お雛様の好きな本から!


「幽玄-----。
灯のゆらめきで、生を受けたかのように、一対の雛も三人官女も息づいていた。
今にも動き出しそう、というより、舞い納めて、ふわりと風を押さえて座した、あの静かな、止め、とでも言おうか。
幽玄と見ているうちに、それはだんだんと、淫靡な感じさえ与えはじめた。
じっと見ていると、吸い込まれてゆくような、一歩またいで足を踏み入れたら、もうこちら側へは帰れなくなってしまうような気がしてきた。
ことに、女雛の、伏し目でありながらその瞳のなまめいた強さ、生身の女のようである。
おおいかぶさる重々しい冠さえ、その魅力を引き立て、艶冶(えんや)な白い顔が迫ってくる。
蔵の戸を押しあけた。陽の光が射し込んだとき、ほっと息をついた。いつの間にか息をつめて見ていたらしい。
雛の呪縛から解き放たれた、としかいいようのない感じだった。」
(平田家伝来の古今雛(平田記念館)--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「その雛が、私の目を引いたのは、微笑んでいないことだった。いや、いないとも言えないほどの、微かな、ほほえみの気配が漂っている。
よく似た一対で、特に共通しているのは口もとである。口の両端を内側から細い糸できゅっと縫い込んだように、深く引き締めている・・・。
口もとから続くおとがいは、長く丸く膨らみ、柔かい曲線で首に流れる。
男雛はふっくりとした頬の、女にも見紛うような美しいお顔。女雛は、眦(まなじり)の切れ上ったくっきりした目で、その目は芯の強さを内に蔵している。
それに比べて男雛の眉も目も、なんと優しいことか。
しかし、伏目勝ちのお二人は、どこか寂しげである。
この雛には、作者と買入れた年が記録されていた。
在銘:玉翁 安政四年(一八五七)
あまりに微かなほほえみと寂しげなのが気がかりで、何か心にひっかかり、忘れられない雛になっていた。
--世を忍ぶ姿で人形の頭を作っていた、勤王派か佐幕派かわからぬが士(さむらい)で、道端で斬殺された「玉翁」作の雛(京都府立総合資料館)について--
(「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
※雛頭にガラス目を入れる技法は、この「玉翁」というという幕末の江戸の職人によって京都に伝えられたとされています。
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「小袿姿の女雛の前でたじろいだ。
長年、雛の前に立ち、写真を撮ってきたが、これほど異様な感じを受けたのははじめてである。
長い顔、広く長い額。白い小袖の衿もとに、黒々と流れるような髪。
一つ一つは当然の形であるのに、何か違う。
身の周りを取り巻く妖気のようなものを感じる。妖気はこちらに伝わってくる。
眼に見えない細い蜘蛛の糸が、繰り出されてくる。透き通った銀の糸の呪縛で、身動きが出来なくなる。
女雛は、胸の奥底に冥い(くらい)闇を抱いている。
切れ長の眼は、前に立つ女の、女ゆえの業を見透かす。
幻燈の中の絵のように、おぼろおぼろに揺れる、取り出された己れの業。
怖れる女を見て、女雛はほほえむ。口もとに見え隠れする冷笑。密かな冥い笑み。
うつむく女雛の白い顔は、暗緑色の厚い葉陰に、重たげに開き、暗い闇の中に、ぼうと浮かぶ木蓮の花。白い花びらの重なりの影。
この女雛は怖かった。ほほえんでいるが故に、なおいっそう怖かった。」
(豪商 鴻池家伝来の古今雛--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「「おっほっほ」なにがそのように・・・面白いこと、それともお白酒を過ごされてか・・・。
隣の男雛さまも、つられてにこやかな笑顔で並ぶ。兄妹のようによく似たお顔立ちで、むつまじさが、春霞のようにお二人を取り巻いている。
女雛さまは、稚い少女のように天真爛漫に笑い、ふと気付いて、女らしく口もとに檜扇をあてるのだが、朗らかな愉しい気分は、その間から溢れこぼれて、見る人に分ち与える。
位置を変えて見れば、やはり典雅な内裏様が、晴れやかな表情で座っていられるだけ。
たった今「おっほっほ」と笑ったことなんぞ、他人のことのように、静かに澄ましていらっしゃる。」
(金沢 岡家伝来の古今雛--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「確かにこの雛一対は、可愛がられた幸福そうなお顔をしている。
人形にそんなことがあるものかという人がいる。
しかし、博物館などに飾られてある雛の中には、美しいけれど何とも寂しげに哀れに見える人形があるものだ。
顔立ちが淋しげとか悲しげとかいうのでも、衣服の古びのせいでもない、その人形が持つ感じである。
この雛の、おっとり、風雅なお顔をしみじみと見ていると、愛されてきた、可愛がられてきた豊かさと、その愛情を永年受けとめて、おのずからそなわった自信のようなものすら感じられるのである。
(前田家伝来の次郎座衛門雛(金沢兼六園成巽閣)--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「しかし、年代よりもなによりも、私の胸に深く残ったことは、
「雛まつりをしないと、その子が生まれながらに背負わされている禍い(わざわい)を、取り除かれず、不幸になる」
という、信仰に似た考え方で、雛まつりの原型や、本来の流れにもある。
生まれてきた子供の幸せを、切に祈る両親や親族、まわり近所の人々の気持、それが嬉しい。」
(長崎の座敷雛--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「二階の大きな座敷のガラスケースに二組の雛が飾られていた。
大型の享保雛と古今雛である。
いつも眺めていたいので、こうしたと言う。
お雛さまを見ていると「気持がやすらぎ、気持がよくなる」「いつまでもみていたいし、見飽きることがない」
あのひそやかな微笑みに魅入られた人が、ここにもいた。」
(山形大石田 榎本家 千代お祖母さんの雛 --「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「春になると、いそいそとお雛さまに逢いに行く。
雛を訪ねて旅に出ることを、友は「雛巡礼」だといった。気持としてはそれに近い。
が、私は、あの雛の白い小さな手にみちびかれて、旅をつづけているような、不思議な感覚にひたることがある。
雛が糸を引き、結びつけている。思いもかけぬめぐり逢いに、からだじゅう総毛立った瞬間を、何度経験したことか。
そのような不思議は、人との出会いにも重なった。不思議としか言いようのない出会いである。
その出会いで受けた泣きたいほどの優しさは、佛像にすがって泣くときに似ていた。
友がいう「巡礼」という言葉は、この出会いそのままであった。
私は、これを「雛の縁」ひいなのえにし、雛が結んでくれた縁と思っている。」
(「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「「人」の「形」と書いて人形だが、人形には人の形(肩)代わりという意味もある。(略)
江戸時代、裕福な家庭に赤子が生まれると枕元に人形を置いた。
その子が成長するまでに出会うであろう不幸や悲しみや疫病を、人形に肩代わりさせた。(略)
こどもたちにとって雛人形はつかみどころのない難しい表情だと言った。
それは大人になって様々な体験や喜怒哀楽を味わい、人生を受容してきた者だけが得られる平穏の表情だからである。
できることなら私も、毎日を雛のような顔で生きたい。しかし現実はこの有り様だ。
「人はこんなにも穏やかな表情で生きられること」を知らなければならないのは、大人の方である。
雛人形に限らず人形の表情には余白がある。人が人形を眺めるのは、その余白に自分を託し、託した自分を眺めることができるからである。
自分の気持ち次第で人形が様々な表情に見えるのは、そのためだ。ことに、静かな表情の雛人形は、余白が大きい。
それは、眺める我々の思いのすべてを受け入れてくれる余白でもある。
「大の大人」が年に一度、雛祭りを、人形と向き合う日にしてもよいのではなかろうか?
それには、誰かに贈られたのではない、自分の目で選んだ自分のための雛人形を手に入れる必要がある。」
(文=「昔人形青山」店主 青山恵一 「骨董緑青Vol.18通巻48号『お雛あそび-お雛さまとお雛道具』」マリア書房)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「中国の上巳は水辺で行う行事でしたが、わが国でもこの日、草木あるいは紙などで作った素朴な「人形(ひとがた)」にわが身の災厄を托し、海や川に流す習わしがありました。
『源氏物語』の「須磨」の巻にも、このひとがたを海に流す場面が見られます。
今日、鳥取や和歌山など、各地に残る「流し雛」のルーツも、このあたりに求められるでしょう。
このひとがたは、のち美しく作られるようになり、平安時代の少女のお人形遊び(ひいな遊び)とも合体して、やがて屋内に祀られるようになりました。
古い書物はいずれも、これが雛祭りの始まりであると説いています。
今日でも、雛人形を「お雛様」と敬って一段高い所に祀り、季節の食物を供えます。
そんななにげない習わしの底には、おそらく発祥当時の"祈り"が今も脈々と流れているのではないでしょうか。
さらに、日本人が人形を「お人形さん」と呼び、単なるモノとしてではなく、さながら魂あるもののように大切にするのも、同様の理由からと思われます。
このように雛、そして雛祭りからは、古代の呪術から生まれた祓いのひとがたが女児の遊びと融合し、やがて華やかな季節の祭となって行くという、一つの文化の発達のかたちが明らかに読み取れるのです。」
(文=小林すみ江 「骨董緑青Vol.18通巻48号『お雛あそび-お雛さまとお雛道具』」マリア書房)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「人形というものは不思議だ。たとえば、人形に名前があるのはなぜだろう。
人と同じように、生きている者としての扱いを受けているのではないだろうか。
また、人は人形たちと友人や恋人と同じように「出会う」。おそらく、人と人形は惹かれあうのだ。(略)
人形物語には独特の世界があると思う。それはなんなのだろう。
そこに子どもと人形の心の交流があり、多くは濃い関係だからではないか。
幼い子の人形に寄せる思いはことのほかひたすらだ。子どもは人形に信頼を寄せている。
また、人形の暮らしが人の社会の縮図になっていることも特徴だ。
人形に人間を重ねて書いている物語もある。しかしそこには人形という制約があることでストーリーがより複雑になっている。
さらに、人形が人間よりもっと多くの時間を生きている、そのことを取り入れている作品もある。長いときを生きてきた人形だからこそ見たことが書かれている。」
(「私の好きな人形物語」和田まさ子著、株式会社てらいんく)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「お雛さまは変らない。
優美な笑み、典雅な姿。ある時は驚くほど艶めかしく、ふうと引き込まれそうになる。表情はあくまでも静かに、遠く、はるかに遠くを見て、微笑んで座っていらっしゃる。
雛壇の上で、毎年どんな雛まつりを見てこられたのだろう。華やかに着飾った女性たちのざわめきか、ひっそり飾られて祝われたのか、二百年もそうして過された雛の表情は、ただ、ただ、美しいばかりである。
この雛を大切に守り、伝えてきた方々に、雛のやさしさが伝わらない訳がない。そのやさしさを、私は受けるのである。
思い出すと、お雛さまの顔とともに、なつかしさがこみあげてくる。そして、思うのである。またお目にかかりたいと。」
(文=藤田順子 「雛祭り雛めぐり」文化出版局)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「ある時、母とささいなことで言い争いをしてふくれ面をして戻ったら、人形の研究室に閉じ込められてしまいました。
「お人形さんとにらめっこをしてきなさい」と言うのです。どこを向いても人形は笑っています。しばらくそれらを見ていた私は、やがて自分が恥ずかしくなって出ていくと、父は「直ったか」と言って笑っています。
「人形は口をきかず、いつもにこにこ笑っている。人の悪口も言わない。喜怒哀楽も表わさない」
常々父が語っていたことでした。人形にはこんな力があるのだと、私に諭してくれたのです。」
(文=日本画家 西澤豊水 「雛祭り雛めぐり」文化出版局)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「しかし何か違うのである。
昔のお雛さまは、小さくてもすべて木と紙と布で出来ていた。
いまでは右近の橘左近の桜の囲いなどはほとんどプラスチック。
男雛の帯や菱餅もプラスチックだったりする。女雛の冠も簡単。細かい金細工に赤いビーズがつき、繊細だった昔のお雛さまを思い出し、ため息が出た。
それでも貧しい予算で新調したお雛さまをめいっぱい飾って初節句とした喜びを、娘が成人した今も忘れてはいない。
(文=森まゆみ「雛祭り雛めぐり」文化出版局)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「和歌山にある淡嶋神社には紀伊徳川家・十代藩主・治宝(はるとみ)公より姫君誕生の折ごろに奉納された雛たちが残されています。(略)
十五代続いた紀伊家の中で頼方(よりかた)公は吉宗公に、慶福(よしとみ)公は家茂公となり、どちらも徳川宗家を継ぐことになります。
ところが紀伊家時代もなかなか実子には恵まれませんでした。
女性の病気回復や安産、子授けなどを祈願した淡嶋神社への多数の雛人形の奉納は、当時の藩主の思いが込められています。
お人形はどれも笑みを浮かべた優しいお顔で、男雛と女雛が一対のもの、あるいは一体だけのものとさまざまです。
髪は取れ、紅の色も少々色あせてはいますが、そのお人形が飛び抜けてよい品であることは一目でわかります。
特に刺繍が施された打掛や、別箱で保存されている一〇〇枚にも及ぶ裃(かみしも)や袴は壮観です。
ほかにも賀茂人形や手づくりの布人形などが小物類とともに蔵から出されました。
お人形たちが飽きないようにとの願いが込められたひいなの品々です。」
(「淡嶋神社宝物殿」の雛 --「日本の旧家 雛めぐりの旅」萬 眞智子 著、 家庭画報編集部/編 (著))
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「「今から五〇年近く前に、桐村の家に嫁いでまいりました折、
江戸時代より続く丹波漆の漆商として京都や大阪で大々的に商いをいたしておりました時分の三代目熊蔵が、かつて買い求めた五月人形と出会いました。
安永年間から続く老舗である京都の丸平大木人形店製の鍾馗(しょうき)さまや神功皇后、武内宿禰(たけのうちのすくね)などが揃った人形のお顔はどれも神々しく、忘れられないものでした。
その後、女の子が三人生まれ、小さい頃からの人形好きも高じて、出会いがあれば一つ、二つと買い求めておりました。
長年のうちにこんなにもたくさんのお人形が集まってきて、まるで子どもが増えていくようで、一つ一つ可愛がっております」
と、人形を愛しみ、茶を楽しむ佳人、桐村喜世美氏。
歴史的に価値がある多くの雛人形を次世代へ残すべく孤軍奮闘中です。」
(茂照庵 京都福知山 桐村喜世美氏の人形 --「日本の旧家 雛めぐりの旅」萬 眞智子 著、 家庭画報編集部/編 (著))
♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o
雛人形と人形文化についての超おすすめ本・・!
■「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社

雛人形研究家 藤田氏が、雛人形の雅びとほろ苦さをドラマティックに描く”歴史的名著”!
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
■「骨董緑青Vol.18通巻48号『お雛あそび-お雛さまとお雛道具』」マリア書房

骨董の味を知り尽くす『通』の大人(おとな)の目からみたお雛さまの魅力、存分に!
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
■「私の好きな人形物語」和田まさ子著、株式会社てらいんく

人形の出てくる物語を世界各国から紹介! 物語の中の人形のありかたがわかる超おすすめ本!
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
■「雛祭り雛めぐり」文化出版局

つるし飾り、雛の膳、大名の雛道具、旧家のお雛さま・・懐かしいお雛さまに会える町への案内状!
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
■「日本の旧家 雛めぐりの旅」萬 眞智子 著、 家庭画報編集部/編 (著)

日本の全国各地の旧家に伝わる由緒ある雛人形が一堂に!アンティーク雛人形好きにはたまらない一冊!
♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o





「幽玄-----。
灯のゆらめきで、生を受けたかのように、一対の雛も三人官女も息づいていた。
今にも動き出しそう、というより、舞い納めて、ふわりと風を押さえて座した、あの静かな、止め、とでも言おうか。
幽玄と見ているうちに、それはだんだんと、淫靡な感じさえ与えはじめた。
じっと見ていると、吸い込まれてゆくような、一歩またいで足を踏み入れたら、もうこちら側へは帰れなくなってしまうような気がしてきた。
ことに、女雛の、伏し目でありながらその瞳のなまめいた強さ、生身の女のようである。
おおいかぶさる重々しい冠さえ、その魅力を引き立て、艶冶(えんや)な白い顔が迫ってくる。
蔵の戸を押しあけた。陽の光が射し込んだとき、ほっと息をついた。いつの間にか息をつめて見ていたらしい。
雛の呪縛から解き放たれた、としかいいようのない感じだった。」
(平田家伝来の古今雛(平田記念館)--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「その雛が、私の目を引いたのは、微笑んでいないことだった。いや、いないとも言えないほどの、微かな、ほほえみの気配が漂っている。
よく似た一対で、特に共通しているのは口もとである。口の両端を内側から細い糸できゅっと縫い込んだように、深く引き締めている・・・。
口もとから続くおとがいは、長く丸く膨らみ、柔かい曲線で首に流れる。
男雛はふっくりとした頬の、女にも見紛うような美しいお顔。女雛は、眦(まなじり)の切れ上ったくっきりした目で、その目は芯の強さを内に蔵している。
それに比べて男雛の眉も目も、なんと優しいことか。
しかし、伏目勝ちのお二人は、どこか寂しげである。
この雛には、作者と買入れた年が記録されていた。
在銘:玉翁 安政四年(一八五七)
あまりに微かなほほえみと寂しげなのが気がかりで、何か心にひっかかり、忘れられない雛になっていた。
--世を忍ぶ姿で人形の頭を作っていた、勤王派か佐幕派かわからぬが士(さむらい)で、道端で斬殺された「玉翁」作の雛(京都府立総合資料館)について--
(「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
※雛頭にガラス目を入れる技法は、この「玉翁」というという幕末の江戸の職人によって京都に伝えられたとされています。
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「小袿姿の女雛の前でたじろいだ。
長年、雛の前に立ち、写真を撮ってきたが、これほど異様な感じを受けたのははじめてである。
長い顔、広く長い額。白い小袖の衿もとに、黒々と流れるような髪。
一つ一つは当然の形であるのに、何か違う。
身の周りを取り巻く妖気のようなものを感じる。妖気はこちらに伝わってくる。
眼に見えない細い蜘蛛の糸が、繰り出されてくる。透き通った銀の糸の呪縛で、身動きが出来なくなる。
女雛は、胸の奥底に冥い(くらい)闇を抱いている。
切れ長の眼は、前に立つ女の、女ゆえの業を見透かす。
幻燈の中の絵のように、おぼろおぼろに揺れる、取り出された己れの業。
怖れる女を見て、女雛はほほえむ。口もとに見え隠れする冷笑。密かな冥い笑み。
うつむく女雛の白い顔は、暗緑色の厚い葉陰に、重たげに開き、暗い闇の中に、ぼうと浮かぶ木蓮の花。白い花びらの重なりの影。
この女雛は怖かった。ほほえんでいるが故に、なおいっそう怖かった。」
(豪商 鴻池家伝来の古今雛--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「「おっほっほ」なにがそのように・・・面白いこと、それともお白酒を過ごされてか・・・。
隣の男雛さまも、つられてにこやかな笑顔で並ぶ。兄妹のようによく似たお顔立ちで、むつまじさが、春霞のようにお二人を取り巻いている。
女雛さまは、稚い少女のように天真爛漫に笑い、ふと気付いて、女らしく口もとに檜扇をあてるのだが、朗らかな愉しい気分は、その間から溢れこぼれて、見る人に分ち与える。
位置を変えて見れば、やはり典雅な内裏様が、晴れやかな表情で座っていられるだけ。
たった今「おっほっほ」と笑ったことなんぞ、他人のことのように、静かに澄ましていらっしゃる。」
(金沢 岡家伝来の古今雛--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「確かにこの雛一対は、可愛がられた幸福そうなお顔をしている。
人形にそんなことがあるものかという人がいる。
しかし、博物館などに飾られてある雛の中には、美しいけれど何とも寂しげに哀れに見える人形があるものだ。
顔立ちが淋しげとか悲しげとかいうのでも、衣服の古びのせいでもない、その人形が持つ感じである。
この雛の、おっとり、風雅なお顔をしみじみと見ていると、愛されてきた、可愛がられてきた豊かさと、その愛情を永年受けとめて、おのずからそなわった自信のようなものすら感じられるのである。
(前田家伝来の次郎座衛門雛(金沢兼六園成巽閣)--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「しかし、年代よりもなによりも、私の胸に深く残ったことは、
「雛まつりをしないと、その子が生まれながらに背負わされている禍い(わざわい)を、取り除かれず、不幸になる」
という、信仰に似た考え方で、雛まつりの原型や、本来の流れにもある。
生まれてきた子供の幸せを、切に祈る両親や親族、まわり近所の人々の気持、それが嬉しい。」
(長崎の座敷雛--「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「二階の大きな座敷のガラスケースに二組の雛が飾られていた。
大型の享保雛と古今雛である。
いつも眺めていたいので、こうしたと言う。
お雛さまを見ていると「気持がやすらぎ、気持がよくなる」「いつまでもみていたいし、見飽きることがない」
あのひそやかな微笑みに魅入られた人が、ここにもいた。」
(山形大石田 榎本家 千代お祖母さんの雛 --「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「春になると、いそいそとお雛さまに逢いに行く。
雛を訪ねて旅に出ることを、友は「雛巡礼」だといった。気持としてはそれに近い。
が、私は、あの雛の白い小さな手にみちびかれて、旅をつづけているような、不思議な感覚にひたることがある。
雛が糸を引き、結びつけている。思いもかけぬめぐり逢いに、からだじゅう総毛立った瞬間を、何度経験したことか。
そのような不思議は、人との出会いにも重なった。不思議としか言いようのない出会いである。
その出会いで受けた泣きたいほどの優しさは、佛像にすがって泣くときに似ていた。
友がいう「巡礼」という言葉は、この出会いそのままであった。
私は、これを「雛の縁」ひいなのえにし、雛が結んでくれた縁と思っている。」
(「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「「人」の「形」と書いて人形だが、人形には人の形(肩)代わりという意味もある。(略)
江戸時代、裕福な家庭に赤子が生まれると枕元に人形を置いた。
その子が成長するまでに出会うであろう不幸や悲しみや疫病を、人形に肩代わりさせた。(略)
こどもたちにとって雛人形はつかみどころのない難しい表情だと言った。
それは大人になって様々な体験や喜怒哀楽を味わい、人生を受容してきた者だけが得られる平穏の表情だからである。
できることなら私も、毎日を雛のような顔で生きたい。しかし現実はこの有り様だ。
「人はこんなにも穏やかな表情で生きられること」を知らなければならないのは、大人の方である。
雛人形に限らず人形の表情には余白がある。人が人形を眺めるのは、その余白に自分を託し、託した自分を眺めることができるからである。
自分の気持ち次第で人形が様々な表情に見えるのは、そのためだ。ことに、静かな表情の雛人形は、余白が大きい。
それは、眺める我々の思いのすべてを受け入れてくれる余白でもある。
「大の大人」が年に一度、雛祭りを、人形と向き合う日にしてもよいのではなかろうか?
それには、誰かに贈られたのではない、自分の目で選んだ自分のための雛人形を手に入れる必要がある。」
(文=「昔人形青山」店主 青山恵一 「骨董緑青Vol.18通巻48号『お雛あそび-お雛さまとお雛道具』」マリア書房)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「中国の上巳は水辺で行う行事でしたが、わが国でもこの日、草木あるいは紙などで作った素朴な「人形(ひとがた)」にわが身の災厄を托し、海や川に流す習わしがありました。
『源氏物語』の「須磨」の巻にも、このひとがたを海に流す場面が見られます。
今日、鳥取や和歌山など、各地に残る「流し雛」のルーツも、このあたりに求められるでしょう。
このひとがたは、のち美しく作られるようになり、平安時代の少女のお人形遊び(ひいな遊び)とも合体して、やがて屋内に祀られるようになりました。
古い書物はいずれも、これが雛祭りの始まりであると説いています。
今日でも、雛人形を「お雛様」と敬って一段高い所に祀り、季節の食物を供えます。
そんななにげない習わしの底には、おそらく発祥当時の"祈り"が今も脈々と流れているのではないでしょうか。
さらに、日本人が人形を「お人形さん」と呼び、単なるモノとしてではなく、さながら魂あるもののように大切にするのも、同様の理由からと思われます。
このように雛、そして雛祭りからは、古代の呪術から生まれた祓いのひとがたが女児の遊びと融合し、やがて華やかな季節の祭となって行くという、一つの文化の発達のかたちが明らかに読み取れるのです。」
(文=小林すみ江 「骨董緑青Vol.18通巻48号『お雛あそび-お雛さまとお雛道具』」マリア書房)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「人形というものは不思議だ。たとえば、人形に名前があるのはなぜだろう。
人と同じように、生きている者としての扱いを受けているのではないだろうか。
また、人は人形たちと友人や恋人と同じように「出会う」。おそらく、人と人形は惹かれあうのだ。(略)
人形物語には独特の世界があると思う。それはなんなのだろう。
そこに子どもと人形の心の交流があり、多くは濃い関係だからではないか。
幼い子の人形に寄せる思いはことのほかひたすらだ。子どもは人形に信頼を寄せている。
また、人形の暮らしが人の社会の縮図になっていることも特徴だ。
人形に人間を重ねて書いている物語もある。しかしそこには人形という制約があることでストーリーがより複雑になっている。
さらに、人形が人間よりもっと多くの時間を生きている、そのことを取り入れている作品もある。長いときを生きてきた人形だからこそ見たことが書かれている。」
(「私の好きな人形物語」和田まさ子著、株式会社てらいんく)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「お雛さまは変らない。
優美な笑み、典雅な姿。ある時は驚くほど艶めかしく、ふうと引き込まれそうになる。表情はあくまでも静かに、遠く、はるかに遠くを見て、微笑んで座っていらっしゃる。
雛壇の上で、毎年どんな雛まつりを見てこられたのだろう。華やかに着飾った女性たちのざわめきか、ひっそり飾られて祝われたのか、二百年もそうして過された雛の表情は、ただ、ただ、美しいばかりである。
この雛を大切に守り、伝えてきた方々に、雛のやさしさが伝わらない訳がない。そのやさしさを、私は受けるのである。
思い出すと、お雛さまの顔とともに、なつかしさがこみあげてくる。そして、思うのである。またお目にかかりたいと。」
(文=藤田順子 「雛祭り雛めぐり」文化出版局)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「ある時、母とささいなことで言い争いをしてふくれ面をして戻ったら、人形の研究室に閉じ込められてしまいました。
「お人形さんとにらめっこをしてきなさい」と言うのです。どこを向いても人形は笑っています。しばらくそれらを見ていた私は、やがて自分が恥ずかしくなって出ていくと、父は「直ったか」と言って笑っています。
「人形は口をきかず、いつもにこにこ笑っている。人の悪口も言わない。喜怒哀楽も表わさない」
常々父が語っていたことでした。人形にはこんな力があるのだと、私に諭してくれたのです。」
(文=日本画家 西澤豊水 「雛祭り雛めぐり」文化出版局)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「しかし何か違うのである。
昔のお雛さまは、小さくてもすべて木と紙と布で出来ていた。
いまでは右近の橘左近の桜の囲いなどはほとんどプラスチック。
男雛の帯や菱餅もプラスチックだったりする。女雛の冠も簡単。細かい金細工に赤いビーズがつき、繊細だった昔のお雛さまを思い出し、ため息が出た。
それでも貧しい予算で新調したお雛さまをめいっぱい飾って初節句とした喜びを、娘が成人した今も忘れてはいない。
(文=森まゆみ「雛祭り雛めぐり」文化出版局)
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「和歌山にある淡嶋神社には紀伊徳川家・十代藩主・治宝(はるとみ)公より姫君誕生の折ごろに奉納された雛たちが残されています。(略)
十五代続いた紀伊家の中で頼方(よりかた)公は吉宗公に、慶福(よしとみ)公は家茂公となり、どちらも徳川宗家を継ぐことになります。
ところが紀伊家時代もなかなか実子には恵まれませんでした。
女性の病気回復や安産、子授けなどを祈願した淡嶋神社への多数の雛人形の奉納は、当時の藩主の思いが込められています。
お人形はどれも笑みを浮かべた優しいお顔で、男雛と女雛が一対のもの、あるいは一体だけのものとさまざまです。
髪は取れ、紅の色も少々色あせてはいますが、そのお人形が飛び抜けてよい品であることは一目でわかります。
特に刺繍が施された打掛や、別箱で保存されている一〇〇枚にも及ぶ裃(かみしも)や袴は壮観です。
ほかにも賀茂人形や手づくりの布人形などが小物類とともに蔵から出されました。
お人形たちが飽きないようにとの願いが込められたひいなの品々です。」
(「淡嶋神社宝物殿」の雛 --「日本の旧家 雛めぐりの旅」萬 眞智子 著、 家庭画報編集部/編 (著))
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
「「今から五〇年近く前に、桐村の家に嫁いでまいりました折、
江戸時代より続く丹波漆の漆商として京都や大阪で大々的に商いをいたしておりました時分の三代目熊蔵が、かつて買い求めた五月人形と出会いました。
安永年間から続く老舗である京都の丸平大木人形店製の鍾馗(しょうき)さまや神功皇后、武内宿禰(たけのうちのすくね)などが揃った人形のお顔はどれも神々しく、忘れられないものでした。
その後、女の子が三人生まれ、小さい頃からの人形好きも高じて、出会いがあれば一つ、二つと買い求めておりました。
長年のうちにこんなにもたくさんのお人形が集まってきて、まるで子どもが増えていくようで、一つ一つ可愛がっております」
と、人形を愛しみ、茶を楽しむ佳人、桐村喜世美氏。
歴史的に価値がある多くの雛人形を次世代へ残すべく孤軍奮闘中です。」
(茂照庵 京都福知山 桐村喜世美氏の人形 --「日本の旧家 雛めぐりの旅」萬 眞智子 著、 家庭画報編集部/編 (著))
♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o
雛人形と人形文化についての超おすすめ本・・!
■「雛と雛の物語り」藤田順子著 暮しの手帖社

雛人形研究家 藤田氏が、雛人形の雅びとほろ苦さをドラマティックに描く”歴史的名著”!
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
■「骨董緑青Vol.18通巻48号『お雛あそび-お雛さまとお雛道具』」マリア書房

骨董の味を知り尽くす『通』の大人(おとな)の目からみたお雛さまの魅力、存分に!
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
■「私の好きな人形物語」和田まさ子著、株式会社てらいんく

人形の出てくる物語を世界各国から紹介! 物語の中の人形のありかたがわかる超おすすめ本!
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
■「雛祭り雛めぐり」文化出版局

つるし飾り、雛の膳、大名の雛道具、旧家のお雛さま・・懐かしいお雛さまに会える町への案内状!
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*
■「日本の旧家 雛めぐりの旅」萬 眞智子 著、 家庭画報編集部/編 (著)

日本の全国各地の旧家に伝わる由緒ある雛人形が一堂に!アンティーク雛人形好きにはたまらない一冊!
♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o


