お雛様の好きな本から!





「目である。女雛は目にものを言わせていた。

今で言うならアイライン、斜めあがりにくっきりと引かれ、墨で描いたこの細い一線が、女雛の面ざしを変え、見るものを引きつける。

この目が動いたら、この目で見つめられたら、どうなるであろうかと、思うほど、一線の魅力に魅かれる。」

(時の流れを見つめてきたお雛さまたち(岩槻/東玉人形の博物館)--「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「凄艶とさえ言いたいお顔で、うねりをつけてつり上がった切れ長の目は、男雛や楽人たちのように優しくない。

見つめていると、くっきり刻まれている二重まぶたの下に、はめ込まれたガラスの黒い瞳に、見すえられ、吸い込まれそうになる。

この表情から女雛の強さが感じられる。「見初めた」という噂を信じたくなるのだ。

その美しく、そして強い瞳。

この女雛に対して男雛は、細いおとがいのあたりが、まだ初々しく、少年の匂いが残る。笏で口もとを隠すような姿は、はにかんでいるように見える。

これに対しての女雛は、重々しく豪華な冠に、繊細な瓔珞(ようらく)を長く揺らめかす。」

--家柄の違う高島三万石藩主諏訪忠恕のもとに、恋愛結婚で(!?)輿入れした松平定信の娘、「烈姫」が持参した雛(諏訪/諏訪市博物館)について--

(「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「金屏風を背にして座ってらっしゃる古今雛。

派手やかで、優婉な雛である。

特に女雛の大きく重々しい冠は、お顔の二倍より上である。

その冠さえ、この女雛の魅力を引き立て、あでやかな白いお顔がいよいよその艶やかな美しさをこちらに伝え、妖しいときめきを感じさせる。

この一対の雛は、不思議な魅力を持っていた。

今にも動き出しそうな、いや、舞い納めて、ふんわりと座った静かな形。

見ているうちに、だんだん吸い込まれそうになる。

冠を取った女雛の、伏し目の内に、生身の女を感じ、また、別の美しさに魅せられる。」

(飛騨高山/「平田記念館」の古今雛--「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「どなたの人形だったかは明らかではないが、代々の姫君たちに可愛がられた人形である。

おでこで鼻はちんまりと少々上向き加減。

眉も目もさがって、ぷっくりふくれたほっぺには、えくぼが見える。

笑みこぼれる白い小さな歯にも愛嬌がある。

幼い児が見せるあどけなさである。

三千代さまは衣装持ちで、紋付の着物から、夏服のお召し替えまで、たくさん持っていらっしゃる。」

(水戸「茨城県立歴史館」/一橋徳川家の三つ折り人形「三千代さま」--「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「昭和二十年(一九四五)五月二十三日夜の空襲で代々木の山内家は全焼する。

倉庫四つのうち、二つだけが焼け残った。

この焼け残った倉庫に有職雛と雛道具があり、高知の山内神社に送られ、宝物館に納めて管理されることになったのである。

持ち伝えられた有職雛は、戦争、焼夷弾、空襲、母家の全焼、炎上の忌まわしい時期は、静かに闇の中で過ごされ、

今、桃の花咲く季節に、昔と変わらぬすずやかなお顔で、高雅な姿を見せてくれる。」

(「土佐山内家宝物資料館」の有職雛--「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「ここには有職雛が多く飾られ、どれも優雅である。

男雛も女雛もどこか可憐な感じを残して座る。

稚児雛と呼ばれる子どもの雛も並ぶ。

朗らかに口を開け、白い歯を見せて笑っている。

何がそんなに可笑しいのと訊いてみたくなる愛らしさであった。

華やかな宵節供。ぼんぼりの明かりの中に雛たちの微笑みが浮かびあがる。」

(「到道博物館」鶴岡酒井家の雛--「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「可愛らしい五人囃子がいた。

幼い顔で、一生懸命、持ち場を守っているのだが、

その顔を見ていると思わずこちらが笑ってしまう。

太鼓を打つ子の凛々しいこと、ふりあおいだ顔にも手にも作り手が伝えようとする、愛らしさがしっかり受け止められる。

上段の内裏様は、ながいお顔で、男雛は眉をあげ口を結び、女雛は静かに笑って、音曲を聞いていられる。」

(「酒田/本間家旧本邸」の雛--「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「軒が深く、奥深い雪国の家は、庭からの陽光を、幾通りもさえぎられながら、届く。

届いた光は、ものの影もぼうんやりと重く、定かではない。(略)

古風な座敷に、いっそうそれらしく見えるのが、特に大型の「高砂(たかさご)」の人形である。

二人は見るからに仲良く、笑顔で、なにか話し合っているようだ。

白髪になるまでとの願いが伝わってくる。」

(「中山町/柏蔵家」の丸平の雛--「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「男雛も女雛も、お顔はほんわかと、のびやかである。

しかし、女雛の深く入った富士額に、きりっとした短い眉と、少々つりあがった目もとは、この女雛の利かん気があらわれている。

もしかしたら、しっかり女房で、男雛の綱を握っているのかも・・・。

男雛は女雛の方へ少しばかり寄りかかり、女雛も床についた袖が、男雛の方にかたむいている。

なんとも仲の良さが伝わってくる、紙子のお雛さまである。」

(「隅町/日出祇園山鉾会館」の紙子の雛--「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「男雛女雛ともに、いかにも享保雛らしい「静かで能面のような」と言われるお顔をしている。

面長で、細い目、小さな口、両雛ともよく似たお顔で仲良く並んでいる。

玲瓏(れいろう)たるという言葉がぴったりの表情で、特に女雛の冠は重々しく、仏具のような金色ににぶく輝いている。

肩から膝前に、くっきりと交叉してのびる懸帯は、周囲の黒を吸い取ったかのように、深い艶をもった黒の絹ビロードである。

江戸時代のビロードは、西洋からの舶来品で、高価な貴重品であったので、雛の飾りに使われていたのである。

雛の衣装は男雛女雛ともの布地が使われているので、このビロードが男雛のどこにあるか探した。

ビロードは男雛の胸前にある細いいく筋かの飾りの中にあった。

それは金糸を綾に巻いて目立つように使われていた。」

(「新潟/北方文化博物館」伊藤家の享保雛--「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「人形は、かなり沢山持っていた。私も女の子らしい憧れと夢を、人形に託していた時代もあった。

それが大震災で、凡ての物は、家屋もろとも焼失してから、もう人形に抱いていた夢は消えた。

「ひとがたと言うくらいで、お前たちが、倒壊した家の中から、焼失をまぬがれたのも、もしかすると、人形たちが身替りになったためかもしれない。

地方では、災厄をよける為に、雛人形を水に流すという習慣もあるくらいです、

だから、人形は、大事にしなければいけない」

そう母に言われた。そしてその後、小さな形ばかりの雛人形を、父が買ってくれた。」

(文=作家 中里恒子 「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「外国でも、女の子は、それぞれ愛蔵の人形をもっていて、ぼろぼろになっても、はなさずにいると言う。

人形に寄せる思い出や、人形にまつわる物語や、その人形を持っていた頃の自分の歴史みたいなものが、人形という形で残っていることに、人々は、愛着や、悲苦、喜怒哀楽をしのぶものとして、大事に保存するのであろう。

雛本来の役目から言えば、災厄を負って貰うひとがたとして、年年に、水に流すという方が、民俗学的にも根拠があると思うが、

現今のように、美美しい雛飾りをするようになっては、大事に保存して、一生の守りにするということも、身の上に変りがなければ出来ることであろう。

そして、代代、雛人形を伝承することで、つつがなく、その家、人間が守られているという感謝の気持も生れるであろう。」

(文=作家 中里恒子 「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「私がいまもいい年をしながら人形が手離せないのを、人は幼児性だとして笑うけれども、どうもこれは一人娘で育ったさびしさから来たものではないかと自分では思う。

家中大人ばかりの毎日だったし、それだけにお節句が近づいて雛壇からひとつひとつ雛を出す日のそれはもう嬉しかったこと。

母のまわりを飛びまわりながら、雛の顔を掩ってある紙をとりのぞき、羽根箒をかけて順番に並べるたのしさ。(略)

いにしえの装束の雛たちは、いつも病弱だった私に、いま思えばどれだけ深いイメージの広がりを与えてくれたことだったろうか。

夜、雪洞のあかりでじっと見ていると、白い頬から涙が伝わっているようにも眺められ、子供心に、どうして泣くのかしらん、上の人に叱られたのかしらん、などと想像しては飽かずみつめていたことなど覚えている。

ひょっとするとこの頃から私は小説書きを志向していたかもしれず、絢爛豪華で、そのくせ何かもの悲しい宮廷文化に対する憧憬は、いまでも私の心の底を流れているように思われる。」

(文=作家 宮尾登美子 「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「いま私は、二人の女の子を嫁がせたあと、誰にえんりょもなく自分で選んだいちまさんに着物をぬっては着せ、ぬっては着せして楽しんでいる。

針を運びながら、思うはいつも遠い日の雛のお節句のこと。

こんな、あんな、楽しいことを味えるのだから、やはり女に生れてよかった、としみじみ思うのである。」

(文=作家 宮尾登美子 「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「私は女たちにかこまれて育ったわけでもないのに、とりわけ雛人形には愛着がある。わが家では、妻や娘以上に、私は雛人形とまつりに熱心だ。

私の娘なぞは、せまい住宅事情のせいか、雛人形にはさしたる関心もなく、どらえもんやすぬうぴいの縫いぐるみに、魂を見、且うばわれている。(略)

私が雛人形に愛着を抱くに至ったことには、いろいろな原因があげられよう。育った時代が殺風景で、殺伐としていたこともそのひとつ。

私が大陸育ちで日本の風景を知らず、引揚げてのち、土俗的なものに憧れたこともそのひとつ。(略)

今、私が抱く愛着には、失われゆく記憶を惜しむ面があるだろう。それが、王朝のみやびへの夢につながっていよう。

その夢は土を失った人間としての詠歎でもある。しかし、どれ程かたちは小さくとも、今様に変ろうとも、人形たちに祓の気持をこめていることに、変りはない。

人形たちに、罪や穢れをひき受けてくれるよう祈っている。家内の無事息災を念じている。

雛人形だけではなく、あらゆる人形には生命(いのち)が宿っている。戯れに人形と遊ぶなかれ、だ。

(尤も、土に還らない人形はこの限りでない。ビニールとかプラスチックのスーパー・ヒーローたちは単なる玩具である)(略)

雪洞のあかりにてらしだされた、この世のものならぬ美しいひな人形に接する時、私の魂は彼岸へあくがれる。

ゆらぐあかりに、ほのかに雛の唇が動くのを見る。仏性を見る。と、いう次第で、私は人形の呪縛から身をとき放つことが出来そうにない。

個人的な年中行事とは妄執なのかもしれない。しかし、私は、雛人形を愛している。」

(文=映画監督 実相寺昭雄 「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「江戸のころより、世の移り変わりを眺めてきた人形たちは、たちこめる伽羅(きゃら)の香りの中で、あるかなきかのほほえみを浮かべ、後世の女たちを見守っていた。

ある年、宴のあとで忘れものをとりにいこうと人気のない日本館に入りかけて、私はハッと立ちすくんだ。

数々の人形たちがピタリと私語をやめ、ざわめきがハタと途絶え、闇の中にわざとらしい静けさが立ちこめるのをまざまざと感じたからである。

あれは、春の宵の幻覚だったのだろうか……白酒のせいだったのであろうか……。」

(文=ハクビ総合学院学長 酒井美意子「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「人形は、人間が人間に対して抱く夢や怖れあらゆる感情を封じ込めた混淆(カオス)であり、信仰の原形ともいう意識と通じ合うことによって、命を長らえているのだと思われる。」

(「雛人形と雛祭り」P124 読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「相手を失った内裏雛というものは、淋しいものである。五十嵐さんのお宅で見せていただいたのは、女雛を失った男雛だった。

実に上品な顔だちをしている男雛で、対になっていた女雛の美しさもさぞやと想像される。

五十嵐さんは、あるところで捨てられるこの雛を見てかわいそうになり、引き取ったのです、と話していた。

おそらく、捨てられかけていた時の男雛は埃だらけで哀れな姿をしていたに違いないが、いまは五十嵐さんの部屋で大切に飾られている。

他にも四体、かつては雛段で五人囃子でも勤めていたかと思われる、衣紋正しい人形が、五十嵐さんのところで住む場所を得ていた。

それらの人形たちは、じっと座って、それぞれの思い出に生きているように見える。」

(文=磯辺勝「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「人形を求める人は、たんにそれが古い年代物だからという理由だけでは絶対に買わない、と青山さん(「昔人形青山」店主 青山恵一氏)は断言する。

その証拠は、青山さんのお店を訪れる人形ファンのほとんどが、新しい人形しか扱わない人形屋さんにも始終見に出かけている人たちだ、ということである。

新しい古いということではなく、自分の気に入った人形があれば求める、というのが人形の好きな人々の姿なのである。

「人形を手がける楽しみは、単に品物を売ったという感じよりも、名前をつけましたよ、着物を着せましたよ、というような話題がつながり、お客さんとの交流が生まれてくるところです」と青山さんは話していた。」

(「雛人形と雛祭り」P193 読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「三十年、五十年、あるいはもう少し、六、七十年前の人形を大事にしておられた方がこちらに持ってこられて、どうか供養してくださいというのですから、京都の宝鏡寺ならではのことです。

そのころの職人の方の魂のこもった人形が、まあ、長いこと持っておられましたから手垢もついてますし、汚れてもいますけども、そこに何ともいえない味といいますか、心がにじみ出てるんです。

門跡さんに、「岩村さん、一生懸命に勉強して、これ、よかったら参考に持ってってもいいのよ」なんていわれたこともありましたし、あたしも、ああ、これはありがたいことだなと思って、勉強がてら少しいただいたこともありますし、とても参考になっています。」

(話=市松人形作家・二世松乾齋東光 岩村一茂「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「人形の好みには個人差が大きいし、それぞれの人が好むところを度外視して、抽象的な優劣の基準を立てることには、限界がある。

人と人形との出会いは恋に似て、時に愚かしく見えようとも、一期一会である。(略)

今日目を開かせてやった人形が、誰に愛され、どのような運命をたどることか。

それを思えば、ただ人の形をした物を作っているのではない、人智の及ばぬ何者かの仕業に手を貸しているような心地がするものではないだろうか。

人形は生まれるものであって、作られるものではない、というような言葉を聞いたことがある。

あれほど人の心を映す人形が、人の手だけで作られるはずがないという、これも人形の不思議さを知った者の、深い驚きの心から出た言葉であろう。

人形はそれを作った人の心を映し、それを愛した人の心を映す。」

(文=磯辺勝「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「今日の雛祭りは三月の上巳の祓いと、雛遊びといっしょになったものだと伝えられる。

上巳の祓いというのは、昔、三月の上巳に紙で人の形を作ったものを陰陽師から送ってもらい、

それをもって、自分のからだを撫で、息を吹きかけて、陰陽師に送り返すと、陰陽師は祓いを行って、川に流した。

これで自分の罪をはらって清くなったということになる。」

(文=平野雅章「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「「よく、お雛さんは、顔(かしら)が大事と言われるんですけど、

衣装とバランスがとれてないといけませんな」

衣装で苦労するのは、その選択である。

柄は、昔の公家衣装の柄を徹底的に研究し、それを現代風に活かさねばならない。

「衣装も、昔に比べれば、だんだんと豪華で派手になってまいりました。

色数が増えますと、その配色が難しおす」

襟元も難しい。素材は羽二重だが、これはやわらかいものだから、なかなかびしっとしまってくれない。

名人が着付けたものは、何年経ってもくずれないと言う。

お雛さんは、ちょっと目には、どれもこれも同じように見えるが、それが玄人の目から見ればどれもこれもちがう。

「頭師さんのもってきはった頭と、苦心して選んだ柄の衣装が、ピタッとおうたものは、なかなかでけん。

そやから、ピタッとおうた時は、なんとも言えんうれしおすな」

ところで、関東のお雛さんと京のお雛さんとは、どこか違うところがあるのだろうか。

「十二、三年ほど前までは、関東の頭は及川系統どした。

これは、たとえは悪うおすけど、江戸大奥の女中の顔でんな。

そやから、お公家はんの顔の京ものとは、品がちがいます。」

ところが、近頃は、関東の頭も京風になってきたという。

「やっぱり、お雛さんは京ものが一番ええということどすやろな。」

この矜持が、伝統を支える京都の風土なのだろうと思うのである。」

(話=雛師 安藤忠男 「雛人形と雛祭り」P70 読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「編集部:しょうもないもんでも、人形はやたらなところへは捨てられませんしね。

澤田:へえ、そうです。ひょいと捨てたら、それは・・・。

一番最初はね、人形(ひとがた)つくって、それに赤ちゃんの悪病や悪魔をもってってもろうて、それを川へ流したら、流れる川やったら災害も悪病も流れていくさかいにね。

いま、それのしきたりが流し雛になっていますわね。

編集部:はい。

澤田:あるときにわたしが田舎にいたときに、

兵隊にいって、職業でしょうないので、豚を殺したり、馬を殺したりしてみんなの食膳をつくった。

その人が帰ってみえて、でも、いろんなことが起きて、馬やら、牛やら、鶏やらに寝ているとうなされて、ちょっとノイローゼみたいにならはったんでんねん。

ほんでわたしが、

「ああ、そうか。それは気の毒ですな。

人形(ひとがた)こしらえて、ご心経、しっかり読んで、そして、いっぱいお供えもんして、それを全部川へ流して供養しなさい」といったんです。

「それがみんなその人の病気を持っていってくれはる。

それを二へん、三べんしてごらんなさい。そうすとすっきりお治りやすさかいにな」といったら、

「おかげさんで。ありがとうございました」て。(略)

人間というものは、生きている限り、五障もしていかんならんし、よいことも悪いこともたくさんありますからね。

できるだけ五障を消滅せんことにはどうにもならん。」

(話=宝鏡寺住職 沢田恵瑞 「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「編集部:雛人形を買うという話になりましたが、

買う人の方に人形の作者が誰、というようなことにこだわりすぎる傾向はありませんか。

金林:その人が気にいってよければいいわけですからね。

斎藤:人形を愛する心というのは恋愛感情によく似てるんですよ。人を愛することなんですからね。

ですから自分の気にいったものを買えばいいのであって、それ以外の条件というのはあまり問題にしなくていいんじゃないですか。

金林:そうですね。顔なんか、幾らこれがいいといったって、きらいな顔と好きな顔とありますからね。

斎藤:おたくの店なんかでもあるでしょうね、お客さまで、そちらでこれが一番いいといってお勧めしても、どうも・・・なんて考える人がいるだろうと思うんです。

金林:いますよ。すいぶん。丸顔だの、細面だの、そういうのをいろいろこさえとくんです。

そうすると、お姫さまなんかでも丸顔のほうがいいというのと、それから、もう少し器量のいいのは細い顔のほうがいいという人と。

斎藤:なるほど、その人の好みみたいなのがあるんですね。

金林:ええ。そのかわり、そういうのはやっぱり胴もそういうふうに細仕立てにしちゃうのね。

まあ、感心しないような顔がたまにあるんですよ。

いや、これがいい、これはうちの子供にそっくりだ、といって買っていく人がいるんですね。」

(話=人形作家・金林真多呂 人形研究家・斎藤良輔「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「私ははからずも昭和十三年頃、すでに白髪のご老人であられた雛屋次郎座衛門の十三代目のご当主に親しくお目にかかる機会があって、

その時ゆっくりと雛屋の代々についてお話を承ることができたのであった。

その時の話によると、初代の次郎座衛門は永禄七年(一五六四)生れで、元和六年(一六二〇)お人形好きでいろいろ挿話のある東福門院ご入内の時から御細工所に召されたといい、

二代・三代と共に今日も京都市黒谷の光明寺にその墓があり、十二代まで代々の幼名や没年・墓所等もはっきり教えて下さった。

その時のお話に徳川十一代家斉の時代には毎春江戸城へ雛人形を飾付けに招かれたが、その時は朝散太夫(ちょうさんのたいふ)と称して従五位下の位を一時的に賜って大奥まで出入が出来た由、

その時の雛壇は三段で、高さ一間、間口が八間で実に豪華なものであったと伝わる話もしてくださった。

余談になるが、その十三代の翁の代になっていろいろな事柄があり、雛人形はやめられやや不遇になられた由で、

当時南禅寺近くにささやかなお暮らしをなされておられたので私も暗い気持ちでお話を承ってお別れしたが、

戦後の昭和二十五年頃、京都の私の友人から左のような話を伝えてきた。

翁が若かりし頃ねんごろにした祇園の一妓との間に生れた男の子が、大阪で材木屋を営み成功され、かねて父なる翁を探しておられたがお互いにめぐり会い、

翁はそこへ引取られて楽隠居でこの世を去られた・・・ということであった。

私はこのお便りを聴いてホッとし、雛屋次郎座衛門家のハッピーエンドを祝福したことであった。」

(文=人形研究家 山田徳兵衛「雛人形と雛祭り」読売新聞社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「大きな壁にぶちあたり、悩みに悩んだ(辻村)ジュサブローさん。

「個展を開いて、もし駄目だったら、人形作家を続けることは諦めよう」とまで決意して開いたその個展で、その後の作家人生を変えることになる不思議な老人と出会ったのです。

「その人は、見ず知らずの老人でした。僕に向かって、『人形ってのは、自分の好き勝手に作ってはいけないんだ。プロとして生きていくつもりなら、誰が見ても素晴らしいと思えるものを作らなくてはいけない』と言うんですよ。

人の顔や形には、自然の掟がある。サイエンスを知らない者には人形は作れないと・・・。

そういわれて初めて僕は、いままで自分の感性に頼りすぎていたことに気づいた。

それからですね。ものの見事に失敗することがなくなりました」

その2年後、40歳の4月から、NHKの連続人形劇「新八犬伝」が始まりました。

「あの老人との出会いがなければ、『新八犬伝』の人形たちは決して作れなかった」」

(「ツーリスト情報版 お雛様を訪ねる旅」近畿日本ツーリスト株式会社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「東男と言うには少しく官能的で、退廃の美を感じさせる。見ているうちに、何やらどこかで会ったような思いがしてきた。

そう、歌舞伎の白塗りの二枚目。悲劇の主役や、きせるの雨が降る助六。ひょっとすると色悪、いろあくと呼ぶ役も当たり役になるかも知れぬ。

同じく白塗りの美男で姿はすっきりとやさしく、男らしく、流し目をくれただけで女はその魅力にまいってしまう。

女たらしともちがう魅力で女をだます男、その実、冷酷な悪人そんな匂いがしないでもない、この男雛。私なんぞは流し目をされなくとも、まいった、降参で、以来まいりっぱなしの始末となっている。

さて、女雛さま、こちらも男雛に負けずおとらず、艶麗な女ぶり。水もしたたるいい女とはこれか。このおすべらかしを櫛巻きにし、黒衿かけた縞の着物を着せ、

立ひざかなんかで座らせたら、婀娜っぽい江戸下町の女、囲われ者のお富さんそのもの、不謹慎ながらそう想像してしまうのである。

しかし、いかに下司な想像をしようとも、お二方とも、あくまでも美しく、上品、優雅。江戸好みのきりりとした魅力で人に迫ってくる。」

(三代舟月作の古今雛 文=雛研究家 藤田順子「ツーリスト情報版 お雛様を訪ねる旅」近畿日本ツーリスト株式会社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「京女、女雛さまだから確かに女には相違ないが、この女雛を女と呼ぶには抵抗がある。生な感じの女はこの雛にはそぐわない。

京の人形師が造りあげた京の女性(にょしょう)、京の雅びとはこのような美しさなのだろうか。気張らず、つくらず、ごくごく自然に、ゆったりと座っていらっしゃる。

上品とはこういうことか、典雅とはこのことなのだと思わずにはいられなかった。十三歳か十五歳か、初々しい少女であるのに内包された「母性」のようなものを感じる。

ふくよかな顔立と姿、落ち着いた風情は、見る人々に、穏やかなやすらぎを与えてくれる。子の悩み、悲しみ、苦しみをおおらかに包み込み、やさしく受け止めてくれる母。

それは人々が想い願う母のイメージであり、女性のやさしさの中に求める母性ではないだろうか。

それがこの女雛から感じられるのが驚きだった。ほのかな微笑みは、晴れやかである。

目もと口もとに視線を集中すると、そのかすかな笑みが、強い印象となって残る。

女雛によく使われる華麗なという形容とは別の美しさ。障子の白い和紙を透した陽のひかり。やわらかく、ふうわりと漂うあまい陽のひかり。

静かで、晴れやかな笑みである有職故実にもとづいて作られたこの雛は、有職雛(ゆうそくびな)と呼ばれる。公家や大名家に多く残っている形である。」

(肥田家伝来の有職雛 文=雛研究家 藤田順子「ツーリスト情報版 お雛様を訪ねる旅」近畿日本ツーリスト株式会社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「雛はその時代の人の好みや流行で、顔も変化する。私好み、自分好みの雛を探しながら「お雛見」をするのも一興かと思っている。

たくさん並ぶお雛さまの中から、あなたが出会う「私の好み」と思った雛はどの時代の、雛だろうか。

人形師は、女の頭(かしら)を彫るとき、気づかずに恋人や好きな女の顔に似た頭を彫っているという。

だから男の方がお雛見に行って出会い「私の雛」と思った女雛は、時代をへだてて、人形師の心の中にある女性とあなたの好みの女性が重なっているのかも知れない。」

(文=雛研究家 藤田順子「ツーリスト情報版 お雛様を訪ねる旅」近畿日本ツーリスト株式会社)

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

「そもそも祓いの行事だった上巳の節句が雛祭りになったのは江戸時代からのこと。

宮中では二代秀忠の娘、東福門院が後水尾帝(ごみずおのてい)の中宮として入内した際、江戸から持っていった風習ではないかと言われています。

そして庶民が雛祭りを楽しむようになるのが元禄時代、それ以降はこれが盛んになるにつれ、人形も雛段もその数を増やしていきます。

明治維新後は欧風化の中で一時衰えますが、やがて復活しました。

昭和以降、人々の生活の近代化が進むと、雛一式をセットで購入することも多くなり、現在に至っています。

いずれにせよ、雛祭りは人々の生活様式に密接に関わりながら工夫され、変化してきました。(略)

ですから、お雛様のなかには、けっこう矛盾や嘘がさりげなく入っています。

たとえばお内裏様はどちらかというと平安風俗ですが、お能の囃子方である五人囃子は完全に武家の風俗です。

第一、お能そのものが、室町時代以降のものなのですから。

要するに、憧れの貴族文化を巧みに取り入れながら、雛職人、雛商人たちが時代ごとに人々を楽しませるための工夫を凝らし、歳月とともに移り変わっていったのが雛祭りなのです。

(文=吉徳これくしょん 資料室長 小林すみ江「ツーリスト情報版 お雛様を訪ねる旅」近畿日本ツーリスト株式会社)

♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o

雛人形についての超おすすめ本・・!

■「お雛さまをたずねて 各地で見られる雛と受け継ぐ心」藤田順子著 JTBキャンブックス



各地の由緒あるお雛さまの由来や表情を、いきいきと描きだし物語る「お雛さまめぐりの旅」決定版!

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

■「雛人形と雛祭り」読売新聞社



各界知識人の雛に寄せる想いが綴られた必読本! 旧家秘蔵の雛、全国各地の雛、節句行事の祝い方など、おさえておきたい基本知識も超充実!

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

■「ツーリスト情報版 お雛様を訪ねる旅」近畿日本ツーリスト株式会社



全国の博物館や資料館にあるお雛様をめぐる旅、超おすすめスペシャルガイドブック!

♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o♡o+:;;;:+o