ヨハン・シュトラウスのワルツ‥といえばニューイヤーコンサート(1年はコレで始まる‥!?`(エ)´)ノ

でも大好きな曲ばっかりなのに、どのシュトラウスが作曲した曲なのかわかってなかった(一家3人がそれぞれスーパー大作曲家のため、混乱する・・°°;

らららクラシック「踊るシュトラウス・ファミリー」見てやっとファミリーのナゾが解けました(大作曲家ぞろいであるだけでなく、大ゴシップ一家であったのね`∀ノ´*

まずお父さん「ヨハン・シュトラウス1世(Johann Strauss I)」



「ニューイヤーコンサート」を締めくくる名曲として知られる「ラデツキー行進曲」はお父さん(ヨハン・シュトラウス1世)の作品です!



例年、お客さんの手拍子で盛り上がるのが恒例行事‥!


(2014年ダニエル・バレンボイム指揮のニューイヤーコンサートから"Radetzky March")

「ワルツの父」にして、甘いマスクのイケメンスター、ヨハン・シュトラウス1世・・



実は彼(1世)には愛人がいて、愛人との間に子供もいっぱい(8~9人)いるという、ファミリー内の大トラブルがありました(ファミリー内どころか、世間中に知れ渡った大ゴシップに!)

当然、妻のマリア・アンナ・シュトレウム(Maria Anna Strauss)は面白くありません(。-_-。)



当時(今も!?)音楽家の収入は安定せずその日暮らしというのが常識(ヨハン・シュトラウス1世のような大スターの存在は奇跡だった‥)

ヨハン・シュトラウス1世は、妻マリアとの長男ヨハン・シュトラウス2世 (Johann Strauss II)に堅実な職業を望み、音楽を学ぶことを固く禁じていました・・

しかし、当のヨハン・シュトラウス2世は音楽の道に強く憧れていました〃 ̄



そんなある日、ヨハン・シュトラウス2世が密かにヴァイオリンを練習していたところ、1世が現れて息子のヴァイオリンをたたき割るという衝撃的な事件が発生 ̄□||||!

妻マリアは夫の行いに復讐するため、息子のヨハン・シュトラウス2世には夫の受けてこなかったような本格的な音楽教育を施し、夫以上の音楽家にすることを決意( ̄ー ̄)b

その甲斐あって、ヨハン・シュトラウス2世は、父をしのぐほどの大作曲家(「ワルツ王」)に見事成長します!

父と子のトラブルあれこれを面白おかしくおかしく描いたヨハン・シュトラウス2世の名曲「トリッチ・トラッチ・ポルカ(Tritsch-Tratsch-Polka)」。



誰もが知る名曲「美しく青きドナウ(An der schonen blauen Donau)」。



「ポルカ『雷鳴と電光』(Unter Donner und Blitz)」。



「南国のバラ(Rosen aus dem Süden)」。



「アンネン・ポルカ(Annen-Polka op. 117 )」。



「春の声(The Voices of Springtime)」。



「皇帝円舞曲(Kaiser-Walzer)」。



「ペルペトゥム・モビレ(常動曲)(Perpetuum Mobile. Ein musikalischer Scherz)」。



「ジプシー男爵(The Gypsy Baron)」。



「朝の新聞(Morgenblätter)」。



「千夜一夜物語(Thousand and one Nights Waltz)」。



「ポルカ『百発百中』(Freikugeln)」。



「酒、女、歌(Wein, Weib und Gesang op. 333)」。



「加速度円舞曲(Accellerationen)」。



などなどウィンナ・ワルツを代表する名曲ぞろい・・

一方、1世と妻マリアの二男、ヨーゼフ・シュトラウス(Josef Strauss)は、ピアノの名手で作曲を趣味としながらも音楽家人生に嫌気がさし、堅実な職業「工学技師」に就いていました。



「現場監督としてドナウ川支流の石のダムと水門の建設を管理」など、「工学技師」としてのヨーゼフのキャリアと業績はとても順調でした-∀-

そんなヨーゼフが突然、音楽の道に巻き込まれることになったのは、ヨハン・シュトラウス1世が45歳の若さで亡くなり(愛人の娘の猩紅熱が移って急死‥∑(_□_;))、仕事が集中した兄ヨハン・シュトラウス2世が過労で倒れたときでした・・

当然、音楽家に本気でなるつもりもなく、ピンチヒッターをつとめたヨーゼフが作曲した曲はその名も「最初で最後(Die Ersten und Letzten)」!



ところが、この曲が意外にも大好評を博してしまい、母マリアの策により一家の音楽事業を拡大するため、二男ヨーゼフもプロ音楽家の道に入ることに・・!

兄ヨハンとの仲はかんばしくなく、ヨハンはさまざまな策を講じて弟ヨーゼフの活躍を阻止しようとします*`ロ´*ノ

気に入らない仕事は弟にやる一方で気に入った仕事は弟から分捕り、弟の楽譜の出版話を勝手に断ったり、仮病で弟をロシアまで呼び寄せて無理に代役をやらせたり、弟に秘密で極秘結婚してみたり・・ε-(-ω-; )

しかしその陰でヨハンは「より才能があるのはヨーゼフの方だ、私はより有名であるにすぎない」と言っていたそうです。

そんな弟ヨーゼフ・シュトラウスの代表作のひとつ「ディナミーデン(Dynamiden)」!



立ち上がりのオーケストレーションを耳にするだけで「踊るワルツ」から「聴くワルツ」にワルツを進化させたというヨーゼフの才能が光ります.:* ゚*。☆

曲名「ディナミーデン」とは分子や原子が引き合う力を示した造語で、「工学技師」出身ヨーゼフならではのタイトルでした´・_・`

シュトラウスファミリーならではの、ウィンナワルツらしい作品も(「騎手(Jokey-Polka)」)!



兄弟ふたり(ヨハン・シュトラウス2世とヨーゼフ・シュトラウス)が共作した名曲「ピツィカート・ポルカ」(Pizzicato Polka)!



ロシア旅行に出かけた2人が、サンクトペテルブルクでピアノの連弾をして生まれた作品なのだとか(仲が悪いようでやっぱり兄弟!!?)

一方ヨーゼフは、ポーランドへ演奏旅行中に指揮台の上で倒れ、42歳の若さで急死してしまいます|||_|||

死因は不明・・酔っ払いのロシア人兵士たちから受けた傷がもとで死んだという事実無根の噂も飛び交いました◯Δ◯∥

ヨーゼフの死後、「ヨーゼフの手稿は兄ヨハンの手にわたり、曲作りに利用されている」という噂が広まり、「スーパー大作曲家ファミリー」かつ「大ゴシップ一家」のゴシップネタはなお尽きないのでした・・

うーん、あの名曲の影にそんなゴシップストーリーがあったとは(ウィンナワルツの軽やかさは、「明るい方を見よう d(-_☆)」という生き方のもと生まれたビッグハッピーオーラなのかも!!? •ω•ฅ