時代の人の好みや流行で、お顔も技法もさまざまに変化してきた、アンティークなおひなさま“(⌯¤̴̶̷̀ω¤̴̶̷́)✧

代表的なアンティーク雛人形の種類から‥「私好み」の雛を探して「お雛見」も!?‎b´з`d

■享保雛
(江戸中期1716年~1736年頃の享保年間に京から広まった、大きなもので45cm~60cm以上の華美で大型の雛。面長の顔に描き目、女雛は袴に綿を入れて厚く膨らませ、男雛は束帯に似た装束で袖が横に張る)



■次郎左衛門雛
(江戸時代中期に「雛屋次郎左衛門」が創始したとされる、丸顔に引目鉤鼻の独特の表情をもつ雛。上級の武家や伝統を重んずる公家に、雛の本流として重用される)



■古今雛
( 安永(一七七二~八一)の終わり頃から江戸の町に流行した、目に水晶やガラス(玉眼)を入れた写実的で豪華な雛。京生まれの次郎左衛門雛に対抗するため、江戸の人形問屋大槌屋が日本橋十軒店の職人原舟月に依頼し作られたのが始まりとされる。町雛でありながら大奥や武家の女性たちにも珍重される。現代のお雛様の直接のルーツ)



■有職雛(高倉雛)
(江戸中期(1750~)有職故実に則り装束を正しく考証して織りつけた雛。髪型から衣装の形式と色柄・織りまで公家礼式の忠実な再現となっている。公家階級や大名家などによる特注品)



■立雛
(流し雛から発展し、室町時代に始まる最古の形式の雛人形。男雛は小袖に袴姿で、ヒトガタのように手を左右に開く。女雛は筒状につくられた長着の上に細い帯を締める。多くは衣装が紙で作られたため「紙雛」と呼ばれることも)



■寛永雛
(江戸時代初期の17世紀前半に誕生した、もっとも古い内裏雛の一つ。比較的小さな雛。立った姿から座った形への、過渡期の雛人形。男雛の天冠と頭は共作りで、墨塗りで仕上げられている。髪は植えられていない。男雛は手を備えるが、女雛は手先が作られていない)



■元禄雛(古式享保雛)
(元禄期(1688-1704)を中心とする江戸時代中期頃の雛人形。座った形の雛人形の中では非常に古い様式で、男雛の天冠と頭を共作りにしたもの。寛永雛に似るが、女雛も手先が備えられている)



■芥子雛
(極小寸法の雛で、頭と手足には貴重な象牙を用いているものも。松平定信「寛政の改革」など幕府の取り締まりで雛のサイズが制限されたことにより流行した、小さいなかにも贅や趣向を凝らした雛)



■御殿雛
(江戸末期から、京都と大阪を中心に流行した。御殿のことをお厨子とも呼び、古くは「源氏物語」に厨子の中に「ひいな」を飾って遊ぶ場面も登場する。京都では御所の紫宸殿、江戸では日光東照宮をまねて厨子が作られている)



以下はおひなさまのルーツ編です((((* ̄ー ̄*)†~~~

■人形(ひとがた)(形代(かたしろ))
(雛の発祥と思われるもの。神の仮の姿を紙で切ってあらわしたものを形代とよび、それに身体を撫でて我が身の穢れや災いを移して海や川に流し祓をする、みそぎの一つ。流し雛の風習のはじまりとも思われる)



■流し雛
(人形(ひとがた)(形代(かたしろ))から派生した節句の古い行事。災厄を負って貰うひとがたとして、雛人形を身代わりにして、川や海に流す風習。「下鴨神社」の「京の流し雛」、奈良県五條市南阿田地方「源龍寺」の流し雛、和歌山市加太「淡島神社」の雛流し、鳥取県「用瀬」町の流し雛など、今でもこの行事が残っている地方がある)



■天児(あまがつ)
(人形(ひとがた)から進化して雛人形をはじめ日本人形の祖型となったお守り。木をT字に組んだ体に白絹にくるんだ丸い頭をのせたもので、誕生した嬰児の枕頭に置き、魔除けとし、また産衣を着せかけて祓を行った)



■這子(ほうこ)
(天児(あまがつ)と同じ用途の人形。白絹を縫って綿を詰め、幼児の這う姿をかたどった胴体に頭を付けたもの。天児が多く上流のものだったのに比し、這子は室町頃より民間でも盛んに作られ、のち子女の玩ぶ人形ともなった)



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