孫権と同盟を結び帰って来た司馬懿。孫権は曹操のためではなく漢天子のために協力する、くれぐれも己が天子だと勘違いするな、と言った。曹操は司馬懿にその時どう返したのかと問う。すると司馬懿は曹操に拝礼を繰り返す。
* * * * *

「わたくしは孫権に言いました、(天下を治めるという)天命が我が王にあるならば、新王朝の創始者である周の文王のようになるでしょうと(*1)。」
「…その通りだ。人はその一生でやるべき事(に限り)がある、わしは漢臣としてやってきた。後世の史書に、漢の裏切り者と(文字で)批判されたくはない。まぁこれはしかし後世の人がするに任せよう。もしわしに(天下を治めるという)天命があるなら、わしを周の文王のようにしてくれ。」
「大王さまの胸の内は、昔から今まで誰も及ぶ者はおりません(誰よりも素晴らしい)。」
「お前はわしの胸の内を媚びへつらって(推測し)言うが、わしが何度お前を殺してやろうと思ったか当ててみろ。」
「!……。思い切って言ってみますと、六回でしょう。」
「ハハハ。どうやらお前はわしの気持ちを少なく見積もっているようだな。間違いだ、今日を合わせて七回だ。」
「大王さま、わたくしが今回東呉へ行き孫権と共同で関羽を討とうと勧めたことで一回と数えるのなら、一回減らしていただかないと(*2)。」
「わしが言う今日の事とは、ある夢を、三馬同槽の夢を見た事を思い出したからだ。ただ三匹の馬が同じ槽(飼葉桶)で食っているのだが、目覚めてからその意味をどれだけ考えても解らず(気になって)食わず眠れずだ。本当は楊主簿に訊きたいところだが、残念ながら今やその機会はなくなった。お前の知識策略は楊修にも引けを取らぬ、わしに替わって(夢の意味を)解いてみてくれ。」
「夢、ですか、大王さま。」
「夢だ。」
「……わたくしは周礼を学びましたが不精でして、夢解きというのは、実際わたくしの得意とするところではございませんでして…。」
「おい、立て。夢解きだぞ。田んぼのへりにいる農民ですら何か(推測して)言えるもんだ、お前も何か思ったこと何でも言ってみろ。この三匹の馬とは誰を指すのか言ってみろ。」
「ではわたくしは、では、では思い切って言ってみますが、変な事を言うかもしれません、もし間違いでも、どうか、大王様お許しください。…夢は、心から生まれるもの。その槽ですが、それはすなわち魏国の政権でしょう。ええっと…大王様は今日この時、ちょうど関羽と戦っておりますから、この劉・関・張の三兄弟が、大王様の夢の中で三匹の馬となって現れたのかも。」
「でたらめな事を言うな。劉・関・張と馬が何の関係があるというのだ。馬だ馬、馬!」
*1 殷王朝の臣下だった姫昌は反王朝派の諸侯のリーダーとなって殷と戦い、彼の死後、殷王朝を倒し周王朝を興した武王が父の姫昌を文王に追号した。姫昌は自ら王を称えず最後まで殷臣であった事から、ここでは曹操が死ぬまで漢王朝の臣下であり続けるつもりだと言っている。
*2 呉との同盟が曹操の怒りを買うとは思ってなかったのでそれは回数に計上しなかったと反論している。

「…西涼の馬氏!馬騰、馬超、馬岱。きっとこの三人です、ええ。でも馬氏一族は既に大王様によって滅ぼされました。この馬超、馬岱は夢で憂うほどの武士ではありませんよ。」
「馬騰、馬超、馬岱。馬という姓か。司馬も、馬だな!」
「大王様…。司馬というのは、わたくしもその姓です。もしそれ(馬姓)を馬と言わないのならこれ(司馬姓)も驢馬でも馬でもありません。ましてや大王さま、わたくしは一人でございます(三人はいない)し、ええと、大王さまの万馬といる軍の中で、わたくしは大王さまのために馬革に屍をつつむ覚悟(*3)で犬馬の労(*4)も厭いません。どうか大王さまご明察のほどを!」
「ワッハッハッハッ。本題をすり替える能力は優れとるな(*5)。隠れる者を、人は知ることができぬが、知る者を、人は隠してはおかぬ(*6)。この世でわしに七度も殺意を抱かせ、まだ生きているのは、お前だけだ。」
「大王さま、わたくし決して二心はございません、大王さまこのような(殺意を抱く)事は最後にして下さい。」
「(これが最後になるのは)お前は、わしの余生が長くないと見ておるからか?」
「大王さま、決してそのような事は!そのような意味ではございません大王さま、大王さまは千年無限、ずっとずっとずうぅぅっと無限を生きられますよ大王さま!」
「ハハッこの世にそんな無限を生きる人間がどこにいるというのだ。こっちへ来い、来い。」
曹操は司馬懿の肩に手を置く。
「お前は聡明な奴だ。その聡明さのためにわしはお前を殺せず、その聡明さのために子桓はお前を手放さない。だが聡明な者の多くが皆自己を守ることに走り、向上しようと努力する(攻める)事をせず、危機が迫った時にかえってうまく治められない。今天下は三分しているが、合わせるべきは兵力と内政。兵力で言えば我が魏国は最も強いが、内政を言うと我が魏国は最も乱れておる。わしはお前に子桓を手伝わせ、子桓の夢を実現させたい。だからな、お前には向上しようと努力する(攻めの)気概と度胸が必要なのだ。わしが達成できないこの業、この天下を我が魏国が統一するために。」
「わたくし心得ました。子桓公子もまた、よくお分かりです。」
「子桓が、子桓がか?子桓…子桓は?子桓はどこへいったのだ、我が子…わしの子、子桓が来たのか、わしの太子子桓…。」
ふらふらと歩きだした曹操はその場に倒れる。
「大王さま?大王さま、大王さま!大王さま!誰かーッ!!」
*3 (昔戦死した者の遺体を馬の皮で包んだことから)戦場で戦って死ぬ覚悟。
*4 犬や馬のように主人のためなら何でもすること。
*5 直訳:左右を顧みて他を言うような能力は小さくない。「左右を顧みて他を言う」は孟子の言葉で、答えに窮して周りを見回し本題とは別のことを言ってごまかすこと。
*6 直訳:隠れることに長けている者を人は知ることができない、よく知る者(知識のある者)を人は隠してはおかない。
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私が最も好きなシーン。
曹操や程昱は現在魏の禄を食んでる懿、孚、防の三人を三匹馬と考えたのかもしれないけど、歴史的な流れを見ると懿、師、昭なのかな…。
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