黄色い大地 | あさひのブログ
チェン・カイコー(陳凱歌)監督の初期作品。撮影はチャン・イーモウ(張藝謀)、主演は「趙氏孤児」でも味わい深い芝居を見せてたワン・シュエチー(王学圻)。

「黄色い大地」(1984年 原題「黄大地」 監督/チェン・カイコー 主演/ワン・シュエチー)
94分
黄色い大地 [DVD]

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――1939年。共産党八路軍に所属する顧青は陕西省北部の田舎の村へ。彼は党の方針で全国の民謡を採取しているのだ。村では婚礼が行われていた。花嫁はまだ子供といった歳だ。この村では娘は親が決めた相手に嫁ぐという封建的な習慣が続いているのだ。
顧青は貧しい家に泊めてもらう。ここの主人は昔に妻を亡くし娘・翠巧と息子・憨憨(ハンハン)の三人暮らしだった。娘は朝から片道5キロの道のりを歩いて黄河へ水を汲みに行き、息子は羊の世話をし、主人は牛を引いて耕地を耕す毎日だ。
顧青は主人に旅の目的を話し知っている民謡があれば歌ってほしいと頼むが、主人はその気分になれないと歌えないとそっけない――

[ここからネタバレ-------
顧青は翌朝から家事や農作業を手伝う。警戒していた翠巧も次第に心開いていく。
顧青がシャツのほつれを直していると翠巧はおかしそうに笑う。村では針仕事は女の仕事。立派な男が針仕事だなんて…。顧青は自分の暮らしている南方では男も女も同じ仕事をし、八路軍でも髪を短く切った女性兵士が男と同様に戦っていると教える。女は親の決めた家に嫁ぎ男の言いなりに黙って家事をするのが当然でありそれが女の運命だと思っていた翠巧は、顧青の話す遠方の世界の女性の生き方を夢見る。

ハンハンは内気で寡黙な子供でなかなか口を開いてくれなかったが、顧青はそれでも積極的に語り掛け彼と一緒に羊を追う。歌を知っていたら教えてほしいと頼む顧青に、やはり黙り込んでいたハンハンだが、唐突に大声で歌を歌い始めた。その内容は百姓が日々の苦しみを笑い飛ばすために生まれたようなユーモラスなもので顧青は声を上げて大笑いする。顧青は歌ってくれたハンハンにお礼にと、共産党の政党歌(軍歌?)を教える。ハンハンはすぐに覚えて楽しそうに歌い始めた。

ある日翠巧が家に戻ると村の仲人の奥さんがいた。自分の嫁入りが決まったのだと瞬時に悟る。父は言う、これは母が亡くなった時にすでに決めた縁組。この縁組で得た金の半分で母の葬儀を行い、残り半分でハンハンの縁組を決めたのだと…。嫁ぎ先の男はかなり年上だが生活が安定しており食べていけるから大丈夫だと父は娘に言う。

一か月村に滞在した顧青はそろそろ軍へ戻ることにした。主人は最後の夜に歌を歌う。それは嫁に行った娘があまりにつらい生活に絶望して身投げするという内容だった…。
翌朝、旅立つ顧青の後をハンハンが黙ってついてくる。もう村へ戻った方がいいと諭す顧青にハンハンは懐から黍餅の包みを取り出し黙って顧青の鞄に押し込んだ。
さらに進むと今度は翠巧が待っていた。そして自分も連れていって欲しい、おさげを切って男みたいになってもいいから軍に入ると言い出す。彼女が間もなく嫁入りすることになったと知らない顧青は戸惑い、まず戻って上官の許可を得てから迎えに来ると説明する。翠巧は四月までに迎えにきてほしいと言って見送る。

四月がやってきて、翠巧は嫁に行った。
ハンハンは姉に代わって黄河へ水を汲みに行く。慣れない仕事に手間取っていると誰かが桶を取り水を汲んでくれた…それはまさしく姉・翠巧だった。彼女は頭に布を巻いている。嫁入り先から逃げ出した翠巧は黄河を渡り対岸に駐屯している八路軍に入隊すると言う。そしてばっさり切った長いおさげの髪の束を弟に託し、月の明るい夜に一人船で黄河へ漕ぎ出す。その姿をじっと見送るハンハン。
月夜に希望を乗せた翠巧の歌が聞こえる。だがその声は急に途切れ…。

日照りが続く夏の日、顧青は約束通り村へ戻って来て翠巧達を探すが家には誰もいない。
村の男たちは皆雨乞いの儀式を行っていた。その中にはハンハンの姿も。ハンハンは丘の上に顧青の姿を見つけ群衆の中から大声をあげる。そして必死に駆け寄ろうとするが人波に押されてなかなか進めない。そうするうちに顧青の姿は蜃気楼のように見えなくなってしまった…。(終)

------ここまで]

ドキュメンタリー風の作品。(戦前の)現代的な生活をしている兵士・顧青の目を通して、昔ながらの生きるための最低限の生活をしている辺境の貧しい村の様子を描く。台詞が殆どなく、人物の表情と折々流れる民謡だけで繊細な心情を見事に描き出してる!ドラマティックな展開はなく、物語としてはなんてことない風景が描かれているのだけど、最初から最後まで"静かな力強さ"がひしひしと感じられる、まさに大地のような作品。

この村の人々は明日を生きるために食べ、食べるために働く。だから働くことは生きることで、食べることは生きること。翠巧の父は「女が嫁に行くのは好きとか嫌いとかじゃない、食べるためだ。」と言う。つまり生きることであり、そこに疑問は持たない。人が食べて、寝るのと同じくらい当たり前の事なのだ。でもそれでも女たちはどうしようもなくつらい気持ちを抱えて来た。その気持ちを代弁する道具が民謡だった。女だけでなく男もみんな胸に一人抱えてはおけない喜怒哀楽を歌にしてそれが代々伝えられてきた、それが民謡。お父さんが言うように気持ちが高揚した時自然と口をついて表れる歌。だから現代で言うような「感情をこめて歌う歌」ではなく、先に感情があってそれが歌となって噴き出してくる、生きるエネルギーみたいなものがこもっている。
生きることのつらさと、つらさを乗り越えた喜び、その繰り返しを人々は歌い、伝えようとするでもなく伝承されていく。歌う事もまた生きること。当たり前のことだった。
恵まれ過ぎた生活で生きて行ける喜びを忘れがちな私達現代人には彼らの力強い生きざまが眩しい。

柯藍という人の「深谷回声(谷のこだま)」という散文をモチーフに作られた作品らしいけど(脚本:張子良)、物語性があまりないことを考えればこの感動はやはりチェン・カイコー監督の演出によるものなんだろうなぁ。本当に凄い。ほぼ無言、無音のシーンが続くのに無駄と思うようなカットがない!ミュージカル的に入ってくる民謡(役者ではなくプロが歌ってる)、足音や衣擦れを敢えて大きく聞かせるといった手法はリアルからは離れているけど実に効果的。観客の視点を引き付け想像力を刺激する。
登場人物(俳優さん)はたったの四人。あと最初の夫婦と仲人さんくらいは役者かもしれないけど、他はたぶんエキストラだろう。だから本当にドキュメンタリーぽい。翠巧だけ最初から女優さんと分かる小綺麗さでちょっと浮いてたけど、あとはみんなとても繊細な芝居だった。無表情な弟くん、なんかもう泣きそうになる。
久しぶりに心に響く映画を見た…。


TSUTAYA DISCAS
2枚ずつしか借りられない。そしてひと月に4枚借りねば損…。
19勝14敗3引分け。




長いものに巻かれろ