今朝の新聞で、少しでも古くなったコンビニの弁当は捨てられるという記事を読んだ。企業の利益優先によるらしい。
一体、どのくらいのお弁当が人体を通らずに廃棄されていくのだろう。とてつもない量ではなかろうか。

食べ物は元々生き物であって、それが殺されて、加工されて出来る。廃棄されていく食品の「命」ってどうなるのだろう。「そんなの知ったことか」で済ますのか。

「命を大切にしよう」と大人は子供に言う。しかし、社会としては全然命を大切にしてはいない。だから、子供に命の大切さを教えられなくて当然ではないか。

「働かざるもの食うべからず」という言葉は、今ではきっと通じない。昔の人は、本当に働かないと食べていけなかった。今では、捨てるほど食べ物がある。大量に食べ物はあるがゆえに、損失になる食べ物は捨てられる。

人口が増えて、それだけの人口分の食料を確保するには、余分が必要なのだろう。大食い番組を見ていてうんざりするのは、なんであんな無駄に食べるんだということ。牛も豚も、ただ大食いをされる為だけに殺されている。それが変だとは思わないことが変じゃないのか。

それだけ「命」を粗末にしているのに、地球環境をなんとかしようと運動するのは変だ。環境問題って空気のことだけなのか。

生きるのに必要なだけの命を有りがたく頂くというのが理想なのだろうか。そうすると原始時代に戻って、狩りをして生活をする。まさに「働かざるもの食うべからず」の生活だ。その日ぐらしで、富もないから戦争がないだろう。自殺なんて、不治の病でもなければ、きっとしない。

原始時代は、寿命が短くて「死」が身近だった。いつか死ぬという確信があった。今は、しばらくは死なないという根拠のない確信があって、余計なことばかりしている。