今日は雨が降っている。アルバイトを終えて帰っているとき、ふと映画の「耳をすませば」で流れる「カントリーロード」という歌を口ずさみたくなった。雨と車の音にかき消され、周囲には聴こえないだろうと思い、小さい声で口ずさんでみた。そしたら、なんだかロマンのある映画を観たくなった。映画は観たいと思った時しかあまり観ない。この時期を逃したら、映画を観る機会はしばらくないだろうなと思う。今日か明日か、近いうちに面白い映画を観に行きたいな。
それと同時に、なぜ自分は映画の登場人物のようにはなれないのだろうと思った。「耳をすませば」の天沢聖司には小学生の頃から憧れている。自分もああいう人間になりたいな、と。今でも、自分にはないものを感じる。それは映画だし、アニメだから実際の人間と違っていて当たり前だ。だけど、彼からは具体的なものを感じる。それは何か。天沢聖司は、バイオリ作りの職人を目指している。色々な道具を使って、バイオリンを自分の手で作っている。おそらく、そこから彼の生きる力と頭の良さを感じて憧れるのだろうと思う。
ジブリ作品に出てくる人物のほとんどは、身体を使って生きている、と思う。「千と千尋の神隠し」では、千尋は身体を使って働いているし、「となりのトトロ」のサツキとメイは、身体を存分に使って動き回っている。私が直感的に好きな人は、自分の身体を自由自在に動かせる人のような気がする。
実際の世界でも、マリナーズのイチローは常にバットを自分の近くにおいて、オフの日でも必ず朝と夜には素振りをし、家でじっとしていることはないらしい。常に身体感覚を持ち続けている。私はきっとそのような人間になりたいのだと思う。
現代社会は逆に、出来るだけ身体を使わないように出来ている。身体を使わなければ使わないほど高級なのである。頭脳労働と肉体労働では、どちらが高級か。身体を使わないようにすることが、文明の進歩と呼ぶのであろう。歩くことより、電車や車や飛行機に乗ることが人類として進歩だし高級である。何事もボタンを押せばすむ世界である。お風呂を沸かすのも、洗濯機も、テレビもゲームも、ボタンを押せばすむ。こうしてパソコンに文章を打ち込んでいるのもボタンを押す作業である。しかし、本来は鉛筆をもって文章を書くのが当たり前である。脳からすると、今まで使っていた部分が使わなくなった。そうなると、社会全体が人間の常識を失うに違いない。現代の若者が変だというなら、変になるに決まっている。生まれた時から、そういう世界にいるのだから。