夏目漱石の「彼岸過迄」に出てく る文章を時々思い出す。須永は恋について次のように述べる。
『僕も男だからこれから先いつどんな女を的に劇烈な恋に陥らないとも限らない。然し僕は断言する。若しその恋と同じ度合の激烈な競争を敢えてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ろにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも、勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他から評したらどうにも評されるだろう。けれどもそれ程切ない競争をしなければ吾有に出来にくい程、何方へ動いても好い女なら、それ程切ない競争に価しない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分に靡かない女を無理に抱く喜びよりは、相手の恋を自由の野に放って遣った時の男らしい気分で、わが失恋の瘡跡を淋しく見詰めている方が、どの位良心に対して満足が多いか分からないのである。』
彼岸過迄の内容は、ほとんど忘れてしまったけれどこの文章だけは覚えている。
自分の恋に対する思いと同じなのである。親友にも理解されなかった価値観が百年前の小説に書かれてあった。この感覚は大事にしなければいけないと思う。
『僕も男だからこれから先いつどんな女を的に劇烈な恋に陥らないとも限らない。然し僕は断言する。若しその恋と同じ度合の激烈な競争を敢えてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ろにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも、勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他から評したらどうにも評されるだろう。けれどもそれ程切ない競争をしなければ吾有に出来にくい程、何方へ動いても好い女なら、それ程切ない競争に価しない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分に靡かない女を無理に抱く喜びよりは、相手の恋を自由の野に放って遣った時の男らしい気分で、わが失恋の瘡跡を淋しく見詰めている方が、どの位良心に対して満足が多いか分からないのである。』
彼岸過迄の内容は、ほとんど忘れてしまったけれどこの文章だけは覚えている。
自分の恋に対する思いと同じなのである。親友にも理解されなかった価値観が百年前の小説に書かれてあった。この感覚は大事にしなければいけないと思う。