081201_1437~01.jpg
銀杏が綺麗。

休み時間、コーヒーを飲みながら銀杏並木を眺めた。

日が当たって、温かい午後。

少しホッと出来た。


話は変わって

どこかの高校の男子寮に、禁煙指導室なる事実上の喫煙室があったというニュースを観た。

ニュースを観て色々なことを思う。
私が通う大学には喫煙所が設けられているが、その中に未成年の喫煙者は恐らくいるだろう。20歳未満は喫煙所に立ち入り禁止にはなっていない。だって外にあるから。厳しい取締りもやってなさそう。一応、大学も公的な教育機関なのではないのかな。それは社会問題にはならないらしい。

恐らく全ての高校には喫煙する生徒は存在する。高校に喫煙所があろうがなかろうが吸う人は大勢いる。

私が通っていた高校は割りと評判の良い学校だったと思う。真面目な男子校という感じ。しかし、裏ではタバコを吸っている人はかなりいた。調子こいてる奴は大体吸っていた。中学の同級生と遊んだりすると、オレ以外全員タバコを吸っていた。高校生にとって、タバコを吸うことは何かのシンボルなのだろう。それが何のシンボルなのかはよく分からない。多分、「大人」というシンボル。「不良」「先進的」、「早熟」、「社会規範からの逸脱行為」というシンボル。そんな感じか。

高校生のオレには、誇らしげにタバコを吸っている人達がくだらなく見えた。そんなのロックでもなんでもねぇと思ってた。集団でタバコを吸うことによって「社会規範からの逸脱という規範」が存在していたからだ。

だからタバコを吸ってる女の子に、君はタバコは吸わないの?なんて言われて、オレは吸わないと答えたりした。単に真面目だからではない。なんで吸わなきゃいけないんだという反発心があったからだ。それは言わば、尾崎豊の精神である。

吸いたきゃ勝手に吸えばいい。吸いたくない人は吸わなきゃいいだけの話。特に中学、高校の時は、周りに喫煙運動が流行っていた。しかし、成人を過ぎると逆に禁煙運動が巻き起こっている。 オレは特に吸いたいと思わないから吸わない。吸いたい人は吸えばいい。しかし早く吸ったからといって別に偉いわけではない。

毎朝、清掃のアルバイトで煙草の灰皿の掃除をする。いくらなんでも体に悪いだろうというぐらい汚れている。それでも喫煙所には社員の人達がタバコを吸いにやってくる。仕事の話もあれば世間話もしている。なんとなく楽しい話ばかりではない。大人のタバコを吸う人は、吸わなきゃやってらんないから吸っているんだろうと思う。それはそれで認めてあげないといけないだろう。