子供が交通事故に遭い死亡するというニュースを見ると、この世界は一体どうなっているんだと思う。

たしかに事故を起こした犯人が悪い。それに子供も急に飛び出してきたのかもしれない。
しかし、社会全体の構造が交通事故死を引き起こしているという認識と反省が、ほとんどないように見えるのは私だけであろうか。

交通事故で毎年約6000人が亡くなっているという。単純計算で、十年だと六万人になる。
そのうち、子供の死はどれだけあるだろうか。

私自身、小学校二年生の時にトラックにはねられたことがある。交差点で自転車に乗って、このままいけるだろうと思い突っ込んでいったらトラックに跳ねられた。その時は運よく、トラックが自転車の前輪部分に当たって弾き飛ばされただけで軽傷ですんだ。それでも、一歩間違っていたらおそらく死んでいたのだろうと思う。

それは、私が悪い。交差点で左右を確認しなかったのだから。
ただ、子供というのはそういうものであると私は思う。

先日、そのことで友人と議論になった。友人は子供の死亡事故は子供の親の責任だと言う。親が教育を徹底していれば、死亡事故は起こらないはずだ、と。たしかにそうかもしれない。
しかし、私は、子供は背が低く視界が狭く、冒険心が強く、交通ルールを確実に守れない自分中心で行動する生き物であると認識する。当たり前だが、交通社会は大人の都合で出来上がっている。そこには、子供の都合は無視されている。

これから先も確実に子供が車にはねられ死亡する事故は発生するであろう。これだけ多くの人が車に乗り、道路が張り巡らされているのだから。それは国も分かっているはずであるし、誰の目からしても明らかである。それでも、自動車を否定できないのは経済と深くかかわっているからであろう。

車の販売台数が減少して、膨大な損失が生じたという報道を目にすると、やはり経済優先なのだなと思う。あれだけ、環境問題で騒いでいたのにも関わらず、やはり自動車が売れた方が世界はよくなるとしている。

車を少し減らしたらどうか、という意見は多分通らない。経済のあらゆるところに車が関与しているからだろう。
もはや、車は否定できない。大人はそういう。私も本音ではそう思う。

しかし、本当にそうだろうか。車のない時代には人間はどのように暮らしていたのか。
今よりずっと人口は少なかったであろうが江戸時代は車がなくても人々は生活していたではないか。
人類が誕生してから五百万年といわれている(と勢いで書いてしまったけど、人類学でいう新人は二十万年前項に生じたらしいです)。自動車が社会に普及してから、たかだか60年ぐらいではないのか。

過去の人々はそれほど不幸であったのだろうか。昔の生活には戻れないとはいうが、もしエネルギーがなくなったら戻らざる負えなくなるのではないか。

これから先、経済が常に右肩上がりということはありえない。子供だったので記憶にないが、日本経済は一度バブルが弾けたらしい。経済が飽和状態に達しているにも関わらず、発展をしようとしたからだという。

つまり、何が言いたいか。経済中心で世界を考えていくとよろしくないのではないか。経済は大切だけれど、ほどほどにしないといけないのではないか。
別の言い方をすると、欲望はほどほどにしないといけない。

結局よく分からなくなってしまったが、今はそんな気持ち。