久しぶりに主人に子どもを預けて外出をした。家着を買って、ぶらりとカフェに寄るだけの、ほんの束の間の休息。
ある時期から女性に生まれたのだから、結婚をして子どもを産んで育ててみたいと願うようになった。
見事にその願いを叶えることができたわけだけれど、たまにとても自由になりたくなる。人間とは本当に貪欲な生き物だ。
こうしてカフェでぼんやりしていると、仕事がうまくいかずにバーで半べそをかきながら愚痴っていたときも、友人と仕事や恋愛について語らった時間も、愛おしい日々だったのだと気づく。
片想いや失恋の哀しみも、いまとなってはライムサワーみたいに爽やかで気泡が弾ける愛おしい時間だったなと懐かしくなる。
まだまだ赤ちゃんの子どもは愛くるしいし、子煩悩な夫にも感謝をしている。けれど、結婚をして子どもを産むという夢を叶えたいま、私が欲しいのは自由なのだ。
振り返ればまた、いまの慌ただしい日々もまた、かつてのように愛おしい時間となるのだろうけれど…やはりいま私の心は窮屈さを不満だと訴えてくる。
全てを手に入れることは難しい。
子どもを産まない人生と子どもを産んだ人生、どちらが幸せかという論争をたまに耳にするけれど、私はどちらも不幸でどちらも幸せだと思う。
長い目で見れば、どのような人生も幸せの量と不幸の量は、さほど変わらないようにできているのものなのではないかと最近の私は思うのである。