夏真っ盛り。
ひまわりの花は、もう花びらがしおれて種になろうとしていたり。
少し日が短くなってきた気もする。
でも、今は、夏真っ盛り。
スイカとそうめんが似合う時期。
【コミュニケーションの一歩としての聞く力】
私が尊敬したり関心したりする人は、聞くのが上手な人だ。
聞くのが上手な人は、安心ができるし、信頼ができる。
一方、聞くのが下手で、、、すなわちろくに人の話も聞かず、押し付けてくる人は嫌いだ。
正直にいうと、嫌いだ。
なぜなら、安心できないし、不快だし、もちろん、信頼する気にもならないし、好きでもないし、変なアドバイスは害でしかないからだ。
そんなのは時間の無駄。
コミュニケーションの初めの一歩は、聞く力を持つことだと思う。
相手に話をしてもらってこそ、だと思う。
一方的に説教じみたことを、的外れなタイミングですることではないのは、もうきっといろんな啓発本にかいているんだとおもうけれど、でも、いまだにそういう人がそれなりな役割の人の中に多い。
人は自分の理解力や想像できる範囲には限界があることを、時に忘れる。
相談される側としては、そこは押さえておきたいけれど。
相手が自分の理解の中にいる、という前提は危険だとおもうけれど、そうなることが多い。
でも実際は、相手の話をじっくり聞くと、自分が想像していた展開とは方向が変わり始めて今にいたることもある。
何がどうなっているのか、何をしてそうなったのか、何を感じているのか、それを聞くためには、自分の想定している話と、相手の話すことの相違や一致がどのようにあるのかを確かめることは大切。
そのために、聞くという手段は、第一歩であり、ほぼそれがすべてであると思う。
聞くことは、相手が話すことだ。
ただ相手は話すだけで、そこから自分で現状を客観的に把握でき、解決方法を自分で見出すことにもつながる。
カウンセリングは、そのような効果も考え、傾聴や共感、ジャッジしないなどの姿勢をもって接するわけで、聞くことの持つ力を活かす技術でもある。
技術、なので、本格的に聞くことは簡単ではない。
聞き流す、ではなく、相手を理解しようとして聞くこと。
それは、根気もいるし、聞き手が理解できにくいと聞き手には不快なこともあるだろう。
途中でアドバイスしたくなる気持ちをぐっと抑え、いったい本心はなにか、核はどこにあるのかを確認しながら聞く作業は、難しい。
一方、決めつけてアドバイスすることは、気持ちがいい。
なぜならそれは、聞き手であるはずの自分が、人の上に立ち有能で理解力のある人間だ、という幻想をいとも簡単に抱かせ、形にできてしまうからだ。
ただし、その犠牲は、信頼関係の構築であるとはおもうけれど。
聞くことは、本来は難しい。
話をしない人、本来はしたくない話をしに来ている人から、話をしてもらうために聞くというのは、本当に難しい。
でも私は、これができる相談援助者になりたい。