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どこかの誰かのブログ

どこかの誰かのブログです

転載、引用、ご遠慮願います。<(_ _)>

ブログを書かなかったこの1年半の間にいろんなことが変わってしまった。

 

こちらで私が適当に植え付けた空豆は、枯れることなく、親父が亡くなった後、沢山の実をつけ、わたくしどもの食するところとなった。

 

グランパスは信じられない人事を行い、醜態をさらしたあげくJ2に降格し、アーセナルもついにチャンピオンズへの連続出場記録をたたれ、ベンゲルは崖っぷちである。

 

戦争法案が制定され(あれ、戦争法はもっと前か)、共謀罪も新設されそうな勢いだ。

 

今日は施設から母を連れ出して外食し、某公園でひなたぼっこをしてきた。親父が亡くなった当時はほとんど動く気力もなく、食も進まず、母もほどなく逝ってしまうのではないかと心配なほどだった。様々な好意に恵まれて、驚くほど元気になった。ありがたいことである。

 

明日、明後日は、自分たちの息抜きに遠出してくる。本当に久しぶりだ。

 昨年3月末に父が急逝した。父が母を介護する老老介護状態だったので、その後、葬儀やら、母の介護やら、相続やら、実家の畑の草むしりやらで、休日にゆっくり休むことができない日々が続いた。余裕がなく、ピグからも撤退せざるを得なくなった。

 今はいろんなことに一定のめどがつき、少し落ち着いてきた。この連休には2日だけ遠出する。

 母の見舞いや、実家の草むしり、法事などは続くが、連休で少し落ち着いているので、とても久しぶりにブログを書いている。

 

 以前とは少し違ったものにならざるを得ないが、また少しずつ、書いていこうと思います。

 全国2名の読者のみなさん、よろしくお願いします。

 以前柄にもなく読んだ『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子)のなかで、聖が引用感を語る場面があった。自分の感情さえ他人のものを引用しているような気持ちになる、『しょせん何かからの引用じゃないか、自前のものなんて、何もないんじゃないのか』、そういういう気持ちも、やっぱりどこかからの引用じゃないかというような気がする……と。

 僕もよくそんな思いにとらわれることがある。僕の場合、引用なんていう高尚なものじゃなくて、もっと安っぽいコピペ感とでもいえば良いのだろうか。全部コピペでオリジナルなんてゼロじゃないかと思えるのである。
 まぁ、とはいえ、何を引用、コピペするのか、という選択をしているのは私なのであるから、オリジナルはゼロでも、わたくしはわたくしなのであろうか。それとも、引用、コピペの選択も、引用、コピペなのであろうか。よくわらからなくなるのである。
昨年末、実家の母親が体調を崩し、畑仕事ができなくなったので、老父だけでは大変だというので、月に数回、週末に実家で農作業の手伝いをしている。

だいたい草むしり程度のことが多かったのであるが、夏も過ぎ、草の生え具合も少なくなってきていることもあり、本日は、一寸そら豆の植え付けを手伝ったのである。

これが来年の5月か6月ごろ、実を結ぶはずなのであるが、私の植え付け方が悪く、全部枯れてしまわないか、若干心配である。

草むしりにしろ、そら豆の植え付けにしろ、それほど力を使う仕事ではないはずであるが、どうも農作業を手伝ったあとは、心臓の調子が良くない。老親より、私のほうの体調がやばいのではないかと、これも若干心配なのである。
今週初めに、階下のFさんご家族が引っ越された。

わたくしどもがここに引っ越してきて既に10年以上たつが、その時には既に住んでおられたので、かなり長いこと住んでおられたのだと思う。

Fさん(とりわけ夫さん)は地域(某公団住宅だが)のリーダーであり、まとめ役であり、世話役的な方であった。人が面倒がってやらないこと、やりたくないことも、率先して(仕方がなくだったかもしれないが)引き受け、お休みの日に地域のための活動をしたり、自治会の役員をやったり、等々、大変お世話になったといえる。

こういう人がいなくなると、コミュニティ(そんなものあるのかという気もするが)がますますその機能を失っていく気がする。

さて、わたくし自身は、同じ場所に10年以上住むなんてことは、成人してからは初めてであり、若いころは常に数年で引っ越すということを繰り返していた。荷物も少なくて引っ越しはそれほど苦ではなかったし、引っ越して新たな気分で生活するのがなんとなく嬉しかった。

しかし、今でははkらずも家族が出来、10年も同じところに住んでいると、引っ越すのも容易ではない。ゴミ屋敷寸前の汚部屋を片付けるのは気が重い。しかし、あちこち傷んできているので、何とかしなければならないこともあって、そのためにも部屋の片付けは必要なのだが、日々ますます汚部屋度が増している今日この頃である。

階下の方が引っ越し作業で相当苦労しておられるのを垣間見て、他人事ではないと痛感するのであった。