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どこかの誰かのブログ

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転載、引用、ご遠慮願います。<(_ _)>

 今日は実家のようすを見に行ったのだが、その道すがら、冬季は濃尾平野を囲む山々が近く見えたりするのである。

 西のほうに養老山脈、伊吹山、反対方向には春日井三山や小牧アルプス、正面には各務原アルプス、そしてもっと遠方の恵那山なんかも見える。今日は曇天だったので見えなかったが、天気が良ければ御岳なんかも見えるのである。それぞれ霞んではいるが雪を被っていて美しい。見ているともっとゆっくり眺めたい気になる。ということで、江南市のフラワーパークから眺めてみようと思い至ったのである。

 

 実家に一瞬寄ってから、フラワーパークへ。フラワーパーク内のクリスタルフラワーという建物は屋上が庭園みたいになっていて、周りを一望できる。道すがら見えた山々、そしてより近くの各務原の低山、昨年末に散策した不動山や三井山、伊木山、尾張富士や継鹿尾山、尾張本宮山なども間近に見える。遠方には能郷白山も見ることができた。残念ながら、やはり御岳山はみることができなかった。

 

 その後、すいとぴあにも足を運び、そこでも周りの景色を楽しんだ。すいとぴあからは伊木山がとても近くに見える。年末に散策しようと思いながら、駐車場が通行止めになっていて諦めた残念さが心にわだかまっており、ここまで来たのだから行ってみようと、また思うに至ったのである。すいとぴあからは車で10分かそこらである。

 

 今日は普通に駐車場に至る道路も通ることができ、中腹の展望所前の駐車場に車を止めて、山歩きを開始した。いくつもの散策路が整備されており、それなりの急登があったりして、登山気分を味わうことができる。あまり時間もなかったので40分ほど散策するにとどめたが、あちこち歩き回れば2時間3時間徘徊することができそうである。山頂は173mで、あまり眺望は良くないが、もう一つの頂、キューピーのの鼻と名付けられているところからは、犬山方面の眺望がすばらしい。なかなか良き超低山であった。

 

 その後実家に戻り、若干草を刈ったり、庭木の枝を切ったりして、畑でレモンなどを収穫して帰宅した。レモンは実をつけすぎていて、小ぶりのものが多い。間引いたりしないといけなかったのだろうか。

 

 来週は、先延ばしにしていた鼠経ヘルニアではないかと思われる症状の診察にそろそろ行かねばと思っているところである。

 

 

 前のブログを書いてからまた1年が過ぎてしまった。

 

 相変わらずのコロナ禍である。

 

しかたがないので、本日は東山動植物園近くのの裏山へ里山歩きに行ってきた。最近は、「うるおいの森」として整備されているようである。

 

本当はもう少し遠出をしたいところだが、どうも体調もあまりすぐれない。左下腹部に違和感があるのである。なんだか固いのだ。押したり揉んだりすると普通に戻る。いろいろ調べた結果、どうも脱腸ではないかと思える。もう少しスマートに言うと、鼠径ヘルニアである。放っておいて治ることはないらしいので、手術するしかないのだが、なかなか医者へ行く決意ができない。もしかしたら別の病気かもしれないので、早く行かないといけないのだが。

 

さて、裏山には東山テニスコートから歩いて行く。以前はなかったユーカリ畑があり(コアラの食べ物である)、人間地獄と呼ばれる崖のようなところがあり、湿地もあり、馬の背という本格的な低山を思わせるような地形のところもあり、無数の(は言い過ぎだが)ルートがあってなかなか楽しい。

 

人間地獄は、かつては自由に下ったり登ったりできて、20年ぐらい前、わたくしの息子も保育園児のころにはよくここで遊んでいたはずである。残念ながら、最近は柵で囲まれて立ち入り禁止になっている。

 

妻とともに徘徊していると、一人の女性に出会った。散歩していて今日初めて人に会ったということである。わたしどももそうだった。少し話をしていると、わたくしどもの息子と同じ保育園に子供さんが通っていたとのことで、名前を伺うと、妻は何となく覚えているということである。年は違うが同じころに子どもが在籍していたようである。偶然の出会いであった。

 

その後も徘徊を続け、裏山の三角点を確認し帰途についたのであった。

 

遠出できないときは、わたくしの中での名古屋3低山、裏山、植田山、相生山を彷徨おうと思うのであった。東谷山は少々遠いので残念ながら、わたくしの名古屋三低山には入らないのである。

めずらしく年末年始の休みが10日もあったのである。(しかし、うち2日は実際には仕事をしてるが)

コロナ禍とはいえ、10日間ものあいだ、何をしていたのだろうかと、明日からの仕事を前にして、非常に残念な気分である。

あ~あ、行きたくないなあ、あと10年ぐらいこのまま休んでいたいと思う。

 

日・月が連休になることを期待しつつ、なんとかがんばろう。

3年以上ぶりのブログである。まだ残っていたんだな、このブログ。

 

昨年4月に母が亡くなった。

 

コロナ禍で仕事が減って大変な方々も多い中、わたくしは別にエッセンシャルワーカーではないが、昨年は仕事が忙しく、しんどい年であった。

 

とはいえ、母を見舞ったりすることがなくなったので、これまでよりは自由に使える休日は増えたので、夏頃から低山ハイキングに行く回数がこれまでより圧倒的に増えた。この年末年始にも、八曽山と尾張富士に行った。

 

今年は、恵那山と能郷白山を歩くのが目標である。山歩きをするのに残された時間もそんなにないだろうから、仕事を減らして月に4回ぐらい山歩きに行きたいものである。

 

本来仕事は6日からだが、明日は少し仕事に行かなければならない。行きたくないが仕方ない。

 連休中、5日、6日と、家族で松本へ行ってきた。

 

 無計画だったので、非常に適当にあちこち回ったのだけど、そのうちの一つに、重要文化財の旧開智学校というのがあった。

 明治初期に開校した珍しい洋風の建物で、中を見学できるようになっている。

 あまり関心がなにので、適当に見て回ったが、2階の一室に、体育についての展示のある部屋があった。昭和初期のサッカーについての教員向けの解説書が展示してあって、その横におすすめのフォーメーションとして、形としては2-4-4もしくは4-3-3に見えるような陣形がボードで示されていた。Wを上下に二つならべたような感じである。おお、この時代にアーセナルの名監督チャップマンのWWシステムをすでに日本でも紹介していたのか、と思ったのであるが、良く考えたら、チャップマンはWMシステムであった。

 

 それにしても、私も小学校で体育の時間にサッカーをやったものであるが、システムなんて教えてもらった記憶が一切ないのである。わたくしどものサッカーは、ボールがあるところにみんなが集中してしまう、現代サッカーよりも超コンパクトなサッカーであった。

 私がサッカーにシステムとかフォーメーションなんぞとういものがあるのを知ったのは、Jリーグが始まってからのことであった。残念なことである。

 

 と、せっかくの重要文化財の見学で、そんなことを思ったのであった。