ついに7月、2015年も後半戦に入りました。
なので、自ずと昨日は6月30日。
梅雨の合間の天気になったので、ちょいと「北の丸公園」へお散歩。
北の丸公園は元の“江戸城”の一部であり、現在の皇居に通じる位置にある。
実は「北の丸公園」としては初めて行った。
ここは公園内にあの“日本武道館”があるので、何十回、いや100回以上行ってるかも?
しかし、あくまで武道館に行くだけで、公園そのものを散策したことは皆無だった。
幾つもの地下鉄が交差する「九段下」駅をスイスイと歩き最も近い地上口へ。
坂を上がるように進んで行く。
その左には大きなお濠が。
緑1色と言う感じ。
このお濠は「牛ヶ窪」と言う。
正直私は今回のこの散歩をするまで“千鳥ヶ淵”だと思っていた。(汗)
ここに根付く木々は桜です。
桜の花が咲く頃は見応えのある風景になる。
そしてすぐに目の前に「北の丸公園」の入口が。
日本武道館も、もちろんこの入口を入る。
すぐ左に目をやると先ほどの「牛ヶ窪」がよりはっきりと見下ろせる。
下掲画像左にある太い通風孔にような建物は“昭和館”、その右に見えるレトロながらもビルディングな建物が東日本大震災で閉館になった“九段会館”。
ちなみに北の丸公園内はこんな感じのマップです。
この地図で言うと、一番上の昭和館左横の道を下に行く形で進む。
すると目前に大きな城門が見える。
いつ来ても趣があります。
余談ですが門の右にチャリに乗った見回りスタッフがいるのだが、こいつが暇なのか?私がそんなに怪しいのか?この後の散歩につきまとってくるのだった。。。
この入口門が「田安門」口になるのだが、これはあくまで木戸門。
ここをくぐると道は右に直角に曲がり、その先に見えるのが「田安門」の本門とでも言うところの門。
この直角にして広いスペースを取り門が狭い状態にするのは城に敵が襲来した際に、ここで敵を集まらせて一網打尽にするためにこのように作ってある。
さて普段だと、武道館目指してそそくさと入っていくのだが、今日は一旦止まって振り返る。
最初に潜った門の裏側には階段?がある。
やはり、侍の時代に敵の城襲撃などの際に一番外の門の上から外を窺がうために作ったのでしょうか?
この段々、武道館の帰りだと夜なので暗いし、人でごった返すので、ちっとも気に留めたこともない。
そして櫓門作りの田安門をくぐりましょう。
これまた普段だとスルーしてしまう門の閂などもマジマジと見る。
門の横に案内プレートがあった。
この田安門、江戸城築城の総完成当時に遡る唯一の現存門だそうな。
価値のある出入り口だったんすね。
さあ、中に入るとすぐに「日本武道館」があります。
上掲画像左側の突き出た金縁屋根が武道館。
そして「日本武道館」の正面口へ。
そして武道館のトレードマーク(?!)と言えば“大きなたまねぎ”(by爆風スランプ)。
そうそう、何故6月30日だからこちらへ来たのか?と言うのは、49年前のこの日、1966年6月30日はここでとんでもない騒ぎが起きていたからでした。
それは、ザ・ビートルズ来日公演初演日なのでした。
当時は、安保闘争や外交関連の暴動などに登場する機動隊が、たかが一コンサートのために装備されたのでした。
そして今でこそ普通にロックの演奏会場としての知名度もある日本武道館ですが、本来はその名の通り武道専用会場だったので、ロックコンサートへの貸し出しはこのビートルズが最初でした。
とにかく日本が、ビートルズ来日公演をしかも日本武道館で行うということが、若者の熱狂的支持、政治団体の暴動、国家の治安、等々、を巻き込む一大騒動に至った。
その当日の日本武道館。
そして49年後の今日。
この騒動から49年後のこの日は“スキマスイッチ”のコンサート。
“全力少年”の2人組みですね。
私は“脱力中年”です。(笑)
音楽会場としての武道館のトリビアなのですが、最初にコンサートを行った外国人音楽家はレオポルド・ストコフスキー指揮の日本フィルハーモニー交響楽団で1965年7月に行われていた。
ちなみに私の武道館初体験は小学生の頃、母親に無理やり入れさせられた交通少年団の発表大会かなんだかがここであって、当日は退屈な発表会が延々と繰り返されていたんだと思うが記憶が全く無い。
ただ、私のような興味を示さない奴にもと思ったのか、途中でプロ歌手が2人歌った。
最初は当時デビューしたばかりの男性アイドル歌手で、“あいざき進也”だった。
デビューシングルのB面(死語!)も含めた2曲を歌った。
大会の後半には今度は当時人気上昇中の女性アイドルが出て来た。
それは“山口百恵”だった。
3~4曲歌ったのかな?
♪こーわくなっい、アアンアン とか♪あーなたにおーんなのこーの一番大切なー とか歌ってたような気がする。
ついでに最後に行ったのはもう2年前になりますか!
“ザ・タイガース”の再結成コンサートでした。
武道館横には昔からある小さな売店。
駅のキオスクみたいに何でも置いてある!
今では”富士宮やきそば”まで売ってます。(笑)
そしてこの売店の斜め後ろにある時計塔。
昔からよく待ち合わせは、この時計から売店までのどこか!としていました。
その時計塔の後ろからもう木々が茂り、いかにも公園の様相です。
入っていきましょう。
まだ新しい巣箱が幾つもありました。
しばらく行くと左脇に大きな階段坂と、また新たな門造りが見えます。
「清水門」と言って内堀通りと通じる門になります。
階段を降り切ってすぐに見えるのが「清水門」の内門。
ここまでは一度だけ来たことがあります。
確か「プロレスリング・ノア」の“ジョー樋口追悼興行”で入場列がここまで延びていました。
もう5年前のこと…。
今回はしっかりと「清水門」を見ましょう。
ここも、潜ってすぐに直角に左に曲がり木戸門がある。
「田安門」の時とは逆に内側から外に出るように進んでいきます。
おお、良い道なりと眺めです。
良く見ると木戸門を出てすぐのところはほんのちょっとだけ弧を描く石橋になっているではないか!
そしてその小さな石橋の右に目をやると見えるお濠は「清水濠」というものです。
この清水門と内堀通りを繋ぐ通路を境に南側がこの「清水濠」、北側が「牛ヶ窪」という濠になっています。
なのでここから振り返っての「牛ヶ窪」を撮影。
遠くに武道館の“たまねぎ”が見えます。
さて、また清水門へ戻ります。
「清水門」の脇にも案内プレートがありました。
「田安門」のと同じような…。
先ほど降りてきた階段坂を登りましょう。
ちなみにこの坂、「雁木坂」と言うそうです。
坂を登り左折し南下すると「科学技術館」があります。
科学技術館を横目にさらに進むと急にコンクリートの道路橋を渡ります。
この橋の下は何かと言うと…。
首都高速が走っています。
この橋を渡るや下り坂に。
そしてその坂の先には…。
紀伊国坂を挟み皇居「北桔橋門」が見えます。(「キタハネバシモン」と読みます。)
そして「北桔橋門」を見つつ、紀伊国坂を左折して下ると、すぐ「国立公文書館」が。
そしてその横には、「国立近代美術館」があります。
ここで引き返し、紀伊国坂を登りましょう。
それにしても北の丸公園、意外と高低差があるもんだ。
坂を登り切る辺りで機動隊がよく乗ってくるバスが。
何だ?
その先に見えたのは、皇居の「乾門」でした。
ん?
撮影してると、背後いや上空?から視線を感じる…。
振り返ると…。
次回(後編)に続く。