モヤモヤ ブラ 散歩~祝「ブラタモリ」再開記念!タモリ推奨の坂を往く | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

この4月から私の好きなテレビ番組の1つ「ブラタモリ」の新シリーズが始まります!
この週末にも、今年の正月に放送された“京都編”の完全版がオンエアされていました。

昨日は天気も良いし、せっかくなら「ブラタモリ」気分でと思い、タモリ氏が出版した『タモリのTOKYO坂道美学入門』という本で紹介されている坂道を訪れることにした。
『TOKYO坂道美学入門』
紹介されているどの坂も魅力的ですが、自宅から一番近距離と思える目黒の坂を2カ所訪れることにした。

まずは“相ノ坂”を目指す。
相ノ坂は、この本の表紙にもなっている坂です。
相ノ坂(本)
場所は、国道246号の神泉町交差点を三軒茶屋方面へ向かうとすぐに青葉台の歩道橋があるのでそこを入る。
青葉台
すると、右手へ下る坂道が幾つかあるが2つ目の下り坂が“相ノ坂”の坂上になる。
相ノ坂1
いい感じですねー。
どんどん降りて行きましょう。
相ノ坂2
相ノ坂3
相ノ坂4
と、ここらで振り返ると、
相ノ坂5
ほら、本の表紙と同じじゃないですか。(嬉)
石崖の右に階段坂もあります。
相ノ坂6
昇ってみましょう。
相ノ坂7
坂を登りきって目に入る風景ってなんてことない光景でも何かちょっと嬉しくなります。(笑)
登りきって振り返ると、
相ノ坂8
これも良い眺めです。
この階段を降り切って左折すると目に入ったのが、
相ノ坂9
味わいのある町番地表示。
この緑色のフェンスの向こうは菅刈小学校。
相ノ坂を降り切ったところに坂名表示柱がありました。
相ノ坂10
坂名の由来は、この坂上にある大坂道と坂下の日向道の間(あい)の坂だからとか、人々が落ち合う坂(合いの坂、逢いの坂)だからという説があるとのこと。

“相ノ坂”を降り切り左折すると、菅刈小学校の桜がきれいです。
菅刈小学校
小学校にある桜ってどれも綺麗に咲くので感心です。

この道を真っ直ぐ行くと、“菅刈公園”にぶつかる。
菅刈公園1
菅刈公園は“すげかりこうえん”と言い、江戸時代に豊後の岡藩の屋敷があり、滝や池のある回遊式の大名庭園として、江戸時代の地誌に江戸の名所として紹介されていたほどらしい。
明治には西郷従道(西郷隆盛の弟)がこの土地を購入し洋館や和館を建造。
庭園についても、池・滝・大芝生地など大改修が行われ「東都一の名園」と言われたそうな。
中へ入ると、
菅刈公園2
多くの子供連れ家族が花見も兼ねて訪れていた。
桜も良いですが、菜の花の黄色が鮮やかです。
菅刈公園菜の花
公演の奥には和館と庭園がありました。
菅刈公園3
菅刈公園4
菅刈公園5
都会のど真ん中に無料で見れるこんな和庭があるなんてなかなか良いじゃないですか。
ちなみに和館はこの公園の歴史を示したちょっとした展覧室になっていて興味深いです。
また、和室は貸し出し可能で、この日はお茶会で借りてる方々が使用していました。

この菅刈公園と住宅地1ブロック分と道路を挟んで隣接するのが“西郷山公園”。
西郷山公園1
手前に見える階段を上がり、左折すると西郷山頂上まで最短で行ける階段が続き、道なりに真っ直ぐ行くと緩やかで九十九折りに上がる坂道で行ける。
ちょっと上がってみると、
西郷山公園2
階段と坂道がぶつかる様が判るかと。
さらに少し昇ってみると、なかなかの光景。
西郷山公園3
そして頂上へ到着すると花見客でごった返していました!
西郷山公園4
西郷山公園5
そんな西郷山頂上からの眺め!
西郷山公園6
木々の先に見える都会の風景がいいですね。
新宿の箱根山も良かったですが、この青葉台の西郷山も良いです!
その頂上に大きな石?岩?があるので、見ると西郷山公園の由来が刻まれていました。
西郷山公園7
菅刈公園の説明にも記したように、明治になって西郷従道がこの辺りに邸宅・庭園を設け、回覧式庭園にした際に地形の起伏を利用して山のようにしたことから“西郷山”という呼称になりました。
やがて、この地を目黒区が公園化することになり、その話を伝え聞いた西郷家ゆかりの鹿児島県ならびに県内14の市が記念植樹にと約200本もの樹木を寄贈してくれたことの感謝が刻まれています。
頂上から降りる際、登ってきた側と違う側にも階段があり、そこを降りて見上げたら、ソメイヨシノと枝垂れ桜が並んでいたのが印象に残った。
西郷山公園8

さて、目的のもう1つである坂“目切坂”を目指す。
目切坂(本)
西郷山公園を南東の方角へ進むと目切坂下に出くわす。
目切坂1
左側に坂名表示柱があった。
さらにその左横にも表示板もある。
目切坂2
なんでも昔この辺りに臼の目切りが出来る腕の良い職人がいたことからこの名がついたらしい。
また、かつての鎌倉街道の一部でもあり、変事の際「いざ鎌倉!」と出動出来るように切り拓かれた坂道だという。
タモリ氏の本に、渋滞知らずの抜け道と紹介されていたが、この日は人も車も引っ切り無しに通る有様。
この坂下には目黒川があり、花見客で溢れているし、坂上は代官山で買い物客でいつも賑わっている。
その2カ所を結ぶ道なので仕方ないか…。
で、ゆっくり写真を撮っている余裕も無いまま目切坂を上がって行く。
目切坂3
昇り切るとすぐ右に表示板が。
目切坂4
この坂上に富士塚があったという。
江戸時代、富士信仰が流行り、江戸の町の至るところに(大体神社内が多いが)富士山に見立てた小山を作り、そこを訪れ富士信仰を行なっていた。
この場所にも富士塚があったのですね。
で、坂を昇りきり振り返ると、
目切坂5
本で紹介されていた写真と同じ光景です!
この場所から、身体を右に向けると、
代官山1
その先には代官山。
旧山手通りの代官山交番前の交差点。
そっちへ向かって、数メートル歩くと右側にこっそりとお地蔵さんが。
お地蔵さん1
表示板も。
お地蔵さん2
お地蔵さんはその道の安全祈願のため道辻に設けられ、そのお地蔵さん自体が昔の道しるべの意味を持った。
ことこの目切坂は前述のように変事、つまり戦の際に行くために作られた坂道でもあるし、かつては暗闇坂とも呼ばれたようで、かなり木が鬱蒼と茂った暗い道だったことからこのお地蔵さんの意義は大きかったようだ。

さて、旧山手通りにぶつかり左折するとそこはもう代官山のランドマークでもある「ヒルサイドテラス」。
ヒルサイドテラスの前から振り向きざまに撮影すると、紛れもない代官山の風景だ。
この辺りは“猿楽町”と言う。
代官山2
お洒落なヒルサイドテラスだが、その敷地の端っこに町名の由来となる“猿楽塚”とその地鎮社とも言える“猿楽神社”がひっそりとこっそりと佇んでいます。
猿楽神社1
鳥居の横に表示板が。
猿楽塚1
猿楽塚についての説明。
猿楽塚は、6~7世紀古墳時代末期の円墳で、渋谷のような早いうちから激しく開発された街にもかかわらずこのような形で残っているのは貴重だという。
そして鳥居をくぐると、猿楽神社縁起と猿楽塚掲示柱が。
猿楽神社2
猿楽塚2
この塚を登り猿楽神社参拝でこの日の散歩を終了。
猿楽神社3


新装「ブラタモリ」は4月11日(土)19:30からスタート!
楽しみです。