今回で10回目、そう十番目なので「麻布十番」へ行ってみた。(苦笑)

台風一過の東京は抜けるような青空と強い日差しで、今回の写真は陽光が強すぎて多少見にくいですがご勘弁を。
せっかくなので麻布十番で昼食を取ろうと事前にネットを見ていて気になった「大越」と言う洋食屋に向かうも「店主体調不良により休業」の貼り紙が…。
念のため、もう1軒気になった「やさい家めい」へ向うが、店前の本日のメニューに惹かれるメニューはなかったので、散歩しながらどこかに入ることにする。。。
「麻布十番」は、六本木の横なので新しくお洒落な様子と、また昔ながらの郷愁を感じる佇まいとが微妙なバランスで成り立つ街。
もう、駅前の商店街の入口に、建物こそきれいなビルだがマガジンラックに雑誌や新聞を入れて売ってるタバコ屋さんなども、昔ながらの佇まいだろう。

そして、もはや都心では商店街など壊滅状態なのだが、ここでは「麻布十番商店街」が名物である。

そして実際の商店街入口がこちら!
↓

この通りを真っ直ぐ行けば、六本木ヒルズにぶつかる。

この商店街を駅側の入口から入って最初の信号のところが有名店が並ぶ場所。
まずは「豆源」。

そして道路を挟んで「麻布かりんと」。

この道路を入ると、有名たいやき店の「浪花屋総本店」がある。
お、とりあえずここの「たいやき」でも食べて、小腹を満たしつつ散歩するか!と思いつき店前へ行くと…お休み。。。

完全にランチ難民化している。(苦笑)
ちなみに、先ほどの信号の逆側の角にある玩具店は、テレビ「モヤモヤさまぁ~ず」で紹介された「コバヤシ玩具店」だ。

炎天下でランチ難民となり、商店街を往復したり横道に入ったりダラダラ歩いていると、ある店にやたら人が吸い込まれるように入っていくのを目撃。

「魚可津」というお店。
つられて入店する。
(美味しかったので、次回に別途書きたいと思います!)
旨さに腹鼓みを打ち、散歩再開。
この魚可津のワンブロック先に、麻布十番のオアシス「パティオ」と言うちょとした広場がある。

そしてここに童謡「赤い靴」(1922年/大正11年 野口雨情作詞、本居長世作曲)の歌詞のモデルとなった少女の像「きみちゃん像」がある。

童謡「赤い靴」は実話ではないが、実際には海外へ行く前に病気で幼くして他界した少女の「きみちゃん」が歌のモチーフだったそう。
そしてこのきみちゃんが亡くなった孤児院が麻布にあったとの事。
このパティオからさらに南側へ進むと、麻布山「善福寺」がある。
その善福寺入口から見ると、お寺ではなく高層マンションがあるように見える!(笑)

そして、山門までの坂道の両脇には他のお寺が密集している!(笑)
左側には、まず光善寺。

隣には、善光寺。

続いて善通寺。

向かい側となる右側には、まず金蔵寺。

お隣は真福寺。

そして善正寺。

6つものお寺(やたら「善」の字が多いな)を超え、山門到着。

脇には「勅使門」と命名されているという説明書きがあった。
そして門をくぐり中に入る。
左側には「鐘」が見える。

右側には、かつてここが「最初のアメリカ宿館跡」だという碑と説明がある。

そして正面には立派な本堂。

この後、この善福寺の裏手の方にテレビ番組「ブラタモリ」で紹介していた「がま池」があったという辺りになるので、足を伸ばしてみる。
仙台坂を登りきり、右折し、しばらく行ったところを左折し道なりに曲がると、「ブラタモリ」でタモリも来た「THE HOUSE GAMAIKE」を発見。

この建物の向こう側に「がま池」の一部が残っている。
横の駐車場から池の周囲に生えていると思われる木々が見える。

「がま池」と言うのは、昔この池に巨大なガマ蛙が住んでおり悪事を働いていたが、この土地の所有者であった山崎家の一員にやりこめられ、今後はこの山崎家の防火に務める約束をガマ蛙が誓うと、その後、大火が起き、山崎家をも巻き込むほどの勢いで猛火が襲うや、巨大なガマ蛙がこの池から現れ、水を火に吹きかけ鎮火したという伝説が残っている。
そのまま、道を右折するとコインパーキングがあった。

お?このパーキングの奥の木々が茂ってるあたりまで行けば池が見えるか??と思い行ってみる。
すると!

木々の間に池の水面が見える!
もうちょっと寄った画像で。


ほんのわずかではあるが、見れて良かった。
パーキングからさらに右折する(ちょうど「THE HOUSE GAMAIKE」の裏側に位置するあたりへ来ると「がま池」の説明板を発見。

さらに道なりに歩くと、見晴らしの良いポイントに出くわす。
眼下の児童遊園の先には、麻布のお洒落な感じとはまるで正反対の昭和な風情を残す住宅たちが密集している!

児童遊園の先には、それこそ自分が幼少時によく見た家たちが並ぶ。

ここ本当に麻布です。(上記画像の住所表示を確認ください)
下記画像では「善福寺」入口で見えた高層マンションも見えます。

板塀の家もこんな都心では見かけなくなった。

そして、高台の方の道をまた進むと「暗闇坂」にぶつかる。

昔は今以上に木々が鬱蒼と茂り、昼でも暗い坂道だったことから名付けられたが、今も左側の家の木々が茂っていて、暗闇坂の名残りが残っているように思える。
そして、坂の横の道を真っ直ぐ行けば、再び麻布十番のオアシス「パティオ」に戻る。
駅前の銀行に昔の麻布や六本木のものらしい写真が飾ってあった。



下記画像は、昔の「六本木交差点」です。

麻布十番、どうしても時間が経つほどに昔の名残りが薄れていくが、それでもこんな超都心でありながらまだかろうじて名残りがあるのも素晴らしい。
いい街だと思います!