【事故から目を覚ました直後】

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は、前回のブログ「事故当日(私の記憶)」の続きになります。


目を覚ますと機材等の音がたくさん聞こえてきて、すぐに病院ということはわかりました。
足元を見ると右足は膝からすぐ下がなく包帯でぐるぐる巻きになってました。左足はその時はまだ指先までありましたが、疎外固定といって鉄の棒で固定されていて状況が理解できませんでした。足がないのを見ても、悲しいとか驚くような気持ちは全くありませんでした。



瑛大を失ったことが大きすぎて他のところに感情をもっていく余裕がなかったのかもしれません。
ただ、今は瑛大を失ったことが大きすぎるからこそ、自分自身と向き合えたのかなと思えています。
もっと生きたかったはずの瑛大の気持ち、痛み、悲しみに比べたらと思うと私はこの先何でも乗り越えて行けると思いました。
実際その気持ちがあったから、辛い治療やリハビリも頑張ることが出来たと思っています。

※今後もだと思いますが、話しがすぐ感情面の方にいってしまいがちですがお付き合いください。

目が覚めたあと、5分ほどでしたが主人と息子と会うことができました。

瑛大の捜索が続いているというのは聞いていて(いつどこで聞いたかは記憶が曖昧)
暗くて寒い湖の底に1人ぼっちでいることを想像してとても苦しく瑛大のところにいってあげたいと思うばかりでした。

主人と息子は私の顔を見てホッとしている様子でした。

私はまず「瑛大は?」と聞きました。
見つかった?って意味ですが、もしかしたら「生きてるよ!助かったんだよ!」って言ってくれないかなと少しだけ期待もしましたがそれはありませんでした。

ちなみに捜索していたのは下半身部分だったそうです。
下半身、、、と言葉が出なかったのもありますがそれ以上聞くのも怖くて何も聞きませんでした。
それでも見つかってよかったという安堵はあり「良かった良かった」と涙が溢れ出ました。

時間になり別れるのがすごく寂しくて、コロナ渦だったのもあり指先だけ触れてバイバイしました。

病室の外では私の弟や他家族もいましたが人数に制限あるため会えませんでした。

なので看護師さんに写真を撮ってもらい後で送りました。



主人と息子が帰ったあと、しばらく放心状態になり、すると一気に色々なものが込み上げてきて泣き出してしまい看護師さんが優しく肩をポンポンとしてくれました。
「瑛大が見つかって良かった」と何度も言いました。



ここから私のトータル6か月半の入院生活が始まります。
コロナ渦のため面会は基本禁止というなかで、とにかくたくさんの方々に支えられ励まされながら頑張ることができました。
本当に本当に感謝しかなく、そんな気持ちも伝えながら治療やリハビリのこともお話ししていきたいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。